
今日、5月29日はジョン・F・ケネディの誕生日(1917)だそうです。
ケネディと言えばまず思いつくのは1961年1 月20日の大統領就任演説です。中でも「祖国があなたに 何をしてくれるかを尋ねてはなりません。あなたが祖国のために何をできるか考えて欲しい」という部分は永遠の名句です。
「サルは木から落ちてもサルだが、政治家は選挙に落ちればただの人である」という言葉があります。どんな理想主義者であろうと貪欲家であろうと、政治家であり続けるためにはまず選挙に勝たねばなりません。
そこでほとんどの政治家は選挙民の歓心を買うため、さまざまなおいしい話をし、それらは公約として実際の政治に反映されていきます。別ないい方をすれば、選挙民の不見識な要求まで実現されていくのです。そして世の中のたいていのことが政治に訴えれば解決することから、私たちはおそろしく依存的になって行きます。
自分たちの幸福は、望みさえすれば誰かが運んできてくれる、自分たち不幸は、誰かが取り除いてくれる。そしてそれにもかかわらず不幸だったり不遇だったりするとすれば、それは自分以外の誰かに責任がある、ということです。
昨日、「学校への要望」という保護者のアンケートを読みながらそういうことを思いました。なんでも要求できる、なんでも解決できる、できないとしたらそれは学校がどうかしているからだ、そう考える保護者が少なくありません。
ケネディの演説は、そうした民主主義国家の国民に対する警鐘だったはずですが、50年の間に、傾向はさらに進みました。
私はケネディのように偉大ではありませんが、いつかこんなふうに言ってみたい気がします。
「学校があなたの子どもに、何をしてくれるかを尋ねてはなりません。あなたの子どもが学校に何をできるか、それを考えて欲しい」
学校のために何かを行える子、そんな子どもこそ誇りだと思うのですが。