ひれ伏す空間

 来週予定されている6年生修学旅行のプログラムに「最高裁判所」があります。私はこの場所がとても好きなので、少し話しておきます。

 最高裁の審理は、原則として,高等裁判所で行われた裁判の結果に不服な当事者の上告によって始まります。最高裁判所に対する上告の理由は,憲法違反または判例違反、法律上の手続違反に限られていますので、基本的に「事実」を争うことはありません。

 また、審理は書面審理によって行われますから、裁判官は書類を熟読した上で判決を下します。つまり裁判が開かれるのは1回だけ、裁判官が一方的に判決を言い渡すだけなのです(当事者から不服のある点について直接聴いた方がよい事件については,口頭弁論の機会を置くなど、必ずしもすべてが原則どおりではありませんが)。

 したがって最高裁の法廷の構造もそうなっていて、高裁以下では向かい合っている原告と被告の席は、最高裁ではともに正面の裁判官の方を向いています。そこが一番の違いです。また、裁判所全体の構造も、機能的にはやたら無意味で、とてつもなく巨大なホールの正面に意味の分からない巨大なモニュメントがあったり、大法廷の天井も高い円筒形の吹き抜けで、明かりもほの暗い自然光を入れるようになっています。

 ここでは最終の裁定が下され、それにはまったく逆らえない、ただひたすら恭順し、従うしかない、という権威を表現しているのです。

 今でもそうだといわれればそれまでですが、私は若いころ、わがままで身勝手、プライドは高いのに何もしない、という性質でしたので、服従とか恭順、ひれ伏すといたことは非常に苦手でした。今の子どもと同じように、「納得しないとなにもしませんねぇ」タイプの人間ですから、何かとうまくいかないことも多かったのです。世の中は納得だけでは機能しないようになっていますし、もしすべてが合理で囲まれていたら息をすることすらできません。


 宗教、頑固親父、スポーツにおけるコーチ、師たる教師、何でもいいのですが、とりあえず無条件に従ってみる、あるいは従いたくなる、そういう対象がなければ人間はダメなのかもしれないと思うことがあります。

 最高裁はそういう意味で、なんとなく好きな場所なのです。