私は、指導案というもの、そのものが非常に好きです。
特に研ぎ澄まされたようにぴんと筋の通った指導案は、その論理を読んでいるだけで美しいと思うときがあります。
そうした指導案に出会ったときは、たとえ授業がうまく行かなくても、私は絶対に応援しようと思ったりもします。なぜなら、優れた指導案で授業が失敗するのは、子どもが教師の思惑を超えて優れた活動をしてしまう時だからです。そしてそんなことが起こるのも、研究を通じて教師が激しく授業に打ち込んでいるからなのだと思うのです。
今、ふと、室生犀星の詩を思い出しました。
我は張り詰めたる氷を愛す。
斯る切なき思ひを愛す。
我はその虹のごとく輝けるを見たり。
斯る花にあらざる花を愛す。
我は氷の奥にあるものに同感す、
その剣のごときものの中にある熱情を感ず、
我はつねに狭小なる人生に住めり、
その人生の荒涼の中に呻吟せり、
さればこそ張り詰めたる氷を愛す。
斯る切なき思ひを愛す。