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「がんばれ ルージュ!!」~江戸時代の結婚事情

 赤沢先生の結婚式に行ってきました。さすが名古屋の結婚式。料理のすばらしさにも驚きましたが、全4時間という披露宴の長さにも驚きました。おかげで、いつもは忙しい披露宴も、ゆったりと飲み食いすることができました。

 さて、結婚について少し調べてみました。
 女性が男性の家に入り、男性の姓を名乗るという結婚制度ができたのは鎌倉時代、武士社会から広がったものです。それまでは貴族の世界では「通い婚」が一般的でした。それはそれで面白いのですが、今日は時間がないので先に進みます。
 北条政子の例に見るように鎌倉時代の結婚の様式はかなり男女平等でした。しかし江戸時代になると幕府は上下の秩序を守るため『家』をすべての基礎とし、女性は低い地位におかれました。
 結婚生活がうまく行かなくても女性の方から離縁を求めることはできず、男性からは「三下り半」と呼ばれるわずか3行半の離縁状をもって、妻を追い出すことができた、という話はかなり有名です。しかしところがどっこい、昔から女性はそんな甘いものではありませんでした。

 実は「三下り半」は一方で男性による離縁宣言状ですが、他方でそれは女性にとっての独身証明書にもなります。つまり別に好きな彼ができても、夫の「三下り半」がないと再婚できないのです。
 いやな夫のもとを逃げ出しても、新しい生活が始められない、そこで彼女たちは知恵を使います。つまり結婚する時に条件として『三下り半』を書いてもらっておくのです。すごいでしょ? 男性が結婚に舞いあがっている最中に、女性は将来に向けて着々と手を打っているのです。これによって、形勢は一気に逆転しました。いやとなれば妻は手持ちの『三下り半』をもって出奔すればそれでおしまいですから、圧倒的に女性有利となります。まさに『上に政策あれば、下に対策あり』です。
 また、「三下り半」を取れなかった女性(主として恋愛結婚でない武家や商家の女性の場合)のためには、縁切り寺の制度が整っていて、そのための専門業者まで揃っていたいたのです。まさに女性恐るべしです。

 披露宴に行ってきて離縁話も縁起ではありませんが、それくらい女性はすごいということです。ルージュ(赤沢先生の学生時代のニックネームだそうです)、しっかりしましょうね。