カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「ChatGPTは嘘をつくがその嘘は見破れない」~ChatGPTが不快な件②

 ChatGPTは実に生意気で答えも限定的、
 よくまとめてくるがそれ以上ではない。
 しかもときおり大掛かりな嘘をつき、
 嘘なのにその優れた文章力のため、私たちには見破れない。
 という話。(写真:フォトAC)

【オマエ妙に偉そうだな】

 昨日は私の家がコミュニケーション不全で、それが電子機器やAIにまで及んでいる、いま評判のチャットボットChatGPTにも苛立っているというお話をしました。
 ChatGPTの何がいけないのか。

 最初に思ったのが、「なんでコイツこんなに偉そうなのだ?」ということです。例えば、
「夫婦仲良く暮らしていくための方法を教えて」といった質問をすると、こんな答えが返ってきます。
「夫婦仲良く暮らすためには、以下のような方法があります。
 コミュニケーションを大切にする:(以下短い説明・略)
 相手を尊重する:(以下短い説明・略)
 共通の趣味や時間を過ごす:(以下短い説明・略)
 日々の感謝を伝える:(以下短い説明・略)
 双方が自由に時間を過ごす:(以下短い説明・略)
 これらの方法を実践することで、夫婦仲良く暮らしていくことができます」
 至極真っ当な答えで内容に文句はないのですが、なんとなく素直になれません。その原因を考えると、これと同じ質問をして同じ答えが返ってきた場合、それが熟練のカウンセラーからのものなら、あるいは仰々しい出で立ちの占い師からのものなら、さらにあるいは村の古老からのものなら素直になれるに、ちょっとその辺の世俗心理学や占い本で勉強しただけの中学生から言われたらおそらくものすごく腹が立つ、それと同じ感覚なのです。
(AI風情が、どれだけ人生経験を積んできたというのだ!)

 もちろんそこには応分の説明がなされるはずです。AIが人間の何百億という人生経験を学んだ末の結論だから答えには妥当性がある、といった具合になるでしょう。しかし感覚的な納得は得られません。もちろんこれは聞いた方が悪いといった類の話ではありますが――。

【答えはこれだけでいいのかな?】

 第二の苛立ちは「私が知りたかったのはこれだけか」という問題です。
 例えばChatGPTにプーチンについて教えて」と訊くと400字程度の非常にまとまりの良い文章が返ってきます。
 まずプーチンの出自と来歴を200字程度でまとめ、続いて現在の状況を100字、評価を100字の計200字で示して見せます。文句ないとことです。ところが同じ内容をGoogleの検索窓に投げ込むととんでもないことになります。
「日本人も知っておくべきプーチン大統領の黒い素顔」
ウラジーミル・プーチン  Wikipedia
「【詳しく】ロシアのプーチン大統領どんな人? 石川解説委員分」
ウラジーミル・ウラジーミロヴィチ・プーチンロシア連邦
「【寄稿】 プーチン氏、70歳に その人生を形作った7つの主な ...」
ウラジーミル・プーチン氏は何を考え、何を計画しているの」
国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれ」
「コラム:顔から読み解くプーチン大統領の『秘密』」
・・・・
 ヒット数は523万件ですからタイトルだけでも読み切れないでしょう。ChatGPTがまとめた400字のレポートも大切ですが、知識と知恵はむしろGoogleの中にあります。下から二番目のラスプーチンなどはプーチンとは無関係で、だからこそ広がっていく知もあるはずです。

【ChatGPTは嘘をつくがその嘘は見破れない】

 ChatGPTが私を苛立たせる最大で最後の問題点は、時に嘘をつくということ、そしてその嘘は優秀な作文力のためになかなか見破れないという点です。
 
 ChatGPTの検索能力を試してみましょう。
 私は知っているのに世間一般にはあまり知られていないことで個人情報など秘密に属さないこと、そういうものを調べさせればいいのです。そんな便利な情報はめったにないのですが、私にはあります。それは「『イギリス人は歩きながら考える』というエスニックジョークを発端にした印象深い文章が、今から50年ほど前の中学校の教科書にあった」という話です。

kite-cafe.hatenablog.com

 この件についてはネット上で何人かが「たしか中学か高校の国語の教科書にあった」と思い出しながら、そしてジャーナリスト笠信太郎の「ものの見方について 西欧になにを学ぶか」からの引用であるらしいことやジョーク自体はスペインの外交官マドリヤーガが言い出したものであることまでは調べられるのですが、なかなか教科書本まではたどり着きません。それを私が調べたのです。
 昭和28年(1953年)版 光村出版「総合中学国語」三年上に笠信太郎の「イギリスの知恵」というのがあり、昭和37年(1962年)版 光村出版「中等新国語 2」にも「歩きながら考える」があって、私は後者で学びました。
 
 そこでChatGPTに、「『イギリス人は歩きながら考える』について教えて」と訊ねます。すると返ってきた答えは、
「『イギリス人は歩きながら考える』という言葉は、イギリス人が考え事をするときに、歩き回ることが多いという特徴を表したものです。これはイギリス人だけでなく、他の国の人々にも当てはまるかもしれませんが、特にイギリス人についてはよく言われる言葉の一つです(以下略)」
 そうだったのかと私は驚きます。この話は初耳です。しかしいま知りたいのは思考術の話ではなく「考えたらあとは走るだけ」とか逆に「走ってからのちにようやく考える」とかいった民族性の問題です。そこで質問を変えます。
「『イギリス人は歩きながら考える』、フランス人はどうだった?」
 答えは、
「「フランス人は歩きながら考える」という言葉は、イギリス人の場合と同様に、フランス人についてもしばしば言われることがあります。フランスには美しい街並みや庭園が多く、そういった環境で散歩を楽しむことができるため、フランス人も歩きながら考えることが多いと言われています」
 そうだろうか? そんな話はあったのだろうか?――そしてまた質問を変えます。

問い:「エスニックジョーク『イギリス人は歩きながら考える』について教えて」
答え:「『イギリス人は歩きながら考える』という言葉は、エスニックジョークとして使用されることがあります。エスニックジョークとは、ある国や地域、民族などを対象にしたジョークのことで、しばしばステレオタイプや偏見を含むものがあります。(中略)そのジョークが他者を傷つけたり、差別や偏見を助長するようなものである場合には、適切な対応が求められます」
 お説教かい?

 そこで改めて原点に戻って質問!
問い:「『イギリス人は歩きながら考える』が載っていた日本の教科書について教えて」
答え:「『イギリス人は歩きながら考える』という言葉が、日本の教科書に掲載されたことがあります。この教科書は、日本の小学校の国語教科書である「教育出版 全国版小学校国語」の第3学年(9歳児向け)に掲載されていたものです。
 この教科書では、「イギリス人は歩きながら考えると言われている」という文章が、英語のリーディングテキストとして掲載されていました。その後、この教科書が批判され、イギリス人に対する差別的な内容であるとの指摘が相次いだため、教育出版社は2018年にこの部分を削除するとともに、謝罪する声明を発表しました。
 このように、文化や民族に関する言及が教科書に掲載されることは、その内容が適切かどうかについて議論が生じることがあります。教科書は、子どもたちに正確かつ適切な情報を提供することが求められるため、その点については常に慎重な対応が必要とされます」
 私はびっくりしました。「イギリス人は歩きながら考える」が批判されたことも、文章が教科書から削除され出版社が謝罪声明を出したことも、まったく知らなかったからです。考えてみれば私が必死に情報を集めていたのは2017年ごろで、記事削除や謝罪声明は1年後ですから知らないのも当然かもしれません――と書きかけてようやく立ち止まり、そして呆れます。

 2018年に削除・謝罪したとなると私が調べていた2017年の間じゅう、文章はずっと教科書に載っていたことになります。だったらどんな調べ方をしても「教育出版小学3年生の教科書に掲載中」は必ず引っかかってきたはずです。いやそもそもエスニックジョークに始まる比較文化論が小学校3年生の教科書に載るはずがない。イギリスやフランスが何であるかも知らない子のいる3年生、「わたしと小鳥とすずと」とか「ちいちゃんのかげおくり」を勉強するのがせいぜいの3年生なのです(*)。
 ここまで厚かましい嘘をつかれると普通は見破れません。
 ChatGPT、検索の道具としてはまったく使えません。危険すぎます。
*・・・ちなみに教育出版に「教育出版 全国版小学校国語」というタイトルの教科書はありません。さらに疑り深い方は「過去の教科書 教育出版」でご確認ください(スマホからだと見にくいそうです)。

(この稿、続く)

「高齢者の家庭では、最新AIもボケるのか?」~ChatGPTが不快な件①

 夫婦の会話、老齢のためにこのところしばしば不全に陥る。
 アマゾンのエコードット、アレクサも年老いて反応が悪い。
 何が起こっているのか?
 そう言えば最新鋭であるはずのChatGPTも反応がおかしいのだ。
 という話。(写真:フォトAC)

【我が家のコミュニケーション不全】

 最近、妻の耳が遠くなったみたいで、何かと聞き返します。
 妻の年齢については改めて考えたこともなかったのですが、定年退職を終え、再任用期間も終えてということですから、ずいぶん齢を重ねたものです。かつては“猛妻”と呼んでもいいような強い妻でしたが、あちこちに欠陥が出てきたのかもしれません。これを「猛妻欠陥」と言います。
 あるいは妻も十分老いた、これからは老人として認め、老人として対処していかなくてはならない、ということかもしれません。こちらは「老妻認定」と言います。

 人間はそれでいいのです。ところが最近はアマゾンのスマートスピーカー「エコードット」まで年老いてきて、「アレクサ!」と声をかけても返事をしないといったことがまま起こるようになってきました。「アレクサ! テレビをつけて」とか言っても何もしないのです。腹を立てて大声で言い直すと反応しますから完全にボケたわけでもないでしょう。少々乱暴に扱いすぎたのかもしれません。機械だけに、これを「勤続疲労」と言います。

 ただ、聞こえないことを私がなじると、妻はこんなふうに言うのです。
「あなたの活舌が悪くなっているのよ!」
 そんなに年寄り扱いをしなくていいのにと思うのですが――。

 以上、コミュニケーションにおいて発信側と受信側のどちらか(あるいはその両方)に問題があると、うまく情報が伝わって行かないという話でした。
 さてこの件で、私は最近すこし苛立つ体験をしました。評判の「ChatGPT(チャット・ジー・ピー・ティ)」です。

【試してみようChatGPT】

 「ChatGPT」というのはOpenAI社が2022年11月に公開したチャットボット(*)です。公開と同時に「非常に優れた作文を瞬時に行うことができる」「これを使ってレポートを提出する学生やラブレターを書く恋人が大量に出現して、社会に混乱をきたすだろう」といった方向で、期待よりも不安をもって紹介されました。
*チャットボット・・・「チャット」と「ロボット」を組み合わせた造語で「ChatBOT」と表記されることもある。 テキストや音声を通じて、自動的に会話するプログラムのこと。

 「ChatGPT」はアプリあるいはソフトとして提供されるものではなく、ウェブ上に公開されたプログラムで、ゆくゆくは有料化されると言いますが現在は無料で使えます。

 こちらから入ると右のような画面になるので、順次E-メールアドレスや電話番号などを入力してサインアップし、あとはログインをすることで使えるようになります。
 全面英語表記ですが、下の方にある検索窓に日本語で質問文を入れれば、画面の上の方に日本語で返してくれます。内容によって返事が数秒~数十秒遅れることがありますが、少し辛抱して待つことにしましょう。それで問題ありません。

 ただし私の場合、初めてPCのGoogleChromeから検索を行った際に返信が途中で止まってしまい、その後「アプリケーション エラー: クライアント側の例外が発生しました (詳細については、ブラウザー コンソールを参照してください) 」というメッセージが出てChatGPTが利用できなくなってしまいました。
 これはChromeが利用するGoogleの翻訳機能がChatGPT上でも有効になっている場合に発生するトラブルのようで、ChatGPTのページを開いたままアドレスバーの右側にある翻訳マーク(ポインタをあてると「このページを翻訳」とポップアップが出るマーク)をクリックして、そこで出た窓からさらに縦に三並びの点(翻訳オプション)を押して表示を変え、「このサイトは翻訳しない」を選ぶといいようです。
 
 さて、実際に調べてみた方々、いかがでしょう? 苛立つようなことは起こりませんでしたか?

「特別な2月が終わる」~今月の暦に関するウンチクと四方山話

 長く一緒に暮らしたペットの死んだ特別な2月が終わる。
 しかし考えてみれば2月はここだけ30日に満たない特別な月だ。
 なぜそうなのか、閏年とは何か、
 2月29日生まれの人の齢の取り方ってどうなのか、考えてみた。
 という話。(写真:SuperT)

【特別な2月が終わる】

 今日で2月が終わります。2023年の2月は家のウサギが死んだことで私にとっては特別な月になりました。単にペットが死んだというだけではありません。若い人には分からないと思いますが高齢者にとってペットが死ぬということは生き物と過ごす日々が二度と戻らないということ、人生の可能性のひとつが完全に閉ざされるということです。

 この先、熱帯魚とか小鳥とかいった寿命の短いものは別ですが、数年以上は生きる哺乳類を飼うのはやはり不誠実でしょう。私はしません。こうして私の人生の一部が閉じるのです。

 ただし見方を変えれば2月は何かを終わらせるには都合の良い月とも言えます。何といっても3月になると春の空気がはっきりと感じられるようになり、一部の植物は芽を吹き、生き物も動き出します。2月の末をもって冬は終わり、明日から春と言われても納得のできるところです。

 もしかしたら古代ローマ暦はそうした人間の感覚に忠実であろうとしたのかもしれません。1年の始まりが3月で、最終月が2月ということになっていました。
「3月が初めで2月が最終月」と言ってもなかなか気持ちになじんできませんので、私は“March“が最初の月でFebruaryが最終月といった説明の仕方をしています。「弥生に始まって如月に終わる」という言い方の方がしっくりと馴染むという人はそれでもいいでしょう。
 Februaryが最後なのでこの月で1年の暦の帳尻を合わせます。他の月が30日か31日なのに2月だけが28日だったり29日だったりするのはそのためです。

 March(弥生)が1年の始まりですから英語では7番目の月には「7」を表す接頭詞“Sept”が、8番目の月には「8」を表す”Oct”がつきます。Septemberが7月ではなく「9月」、Octoberが8月ではなく「10月」であるのはそのためです。
 ついでに、日本での2月の異名「如月(きさらぎ)」は「絹更月」「衣更月」ともつづり、要するにまだまだ重ね着の必要な時期という意味らしいです。

 以上、この話は私の「十八番(おはこ)」で毎年1~2回はここに書いています。

閏年の話】

 今年の2月は今日で終わりですが来年は閏年ですので29日まであることになっています。閏年と夏のオリンピックとアメリカ大統領選挙はいつも一緒と決まっています。第二東京オリンピックも本来は閏年に行われる予定でした。
 ただし閏年は必ず4年に1度と決まっているわけではなく、400年に97回と決まっています。そうしないといつか季節感との間にずれが生じてしまうからです。ではどうやって97回を決めるのかというと、つぎのような計算によるのです。

  1.  西暦年が4で割り切れる年は(原則として)閏年
  2. ただし西暦年が100で割り切れる年は(原則として)平年。
  3. ただし西暦年が400で割り切れる年は必ず閏年

 つまり23年前の西暦2000年は、「1の理由で閏年になるはずだったが、2の理由で平年、かと思ったら3の理由でやっぱり閏年」という特別な年だったことになります。
 もちろん閏年かどうかに関わらず、オリンピックとアメリカ大統領選挙は行われます。

閏年2月29日生まれ】

 よく話題になるのが「閏年の2月29日生まれの人は4年にいっぺんしか齢を取らないのか」という問題です。
 これについては法律で「誕生日の前日の24時に年齢を重ねる」と決まっているので、閏年2月29日生まれのひとは2月28日の24時に歳を重ねる、つまり閏年には2月29日0時に誕生日になり、平年は3月1日0時に誕生日が訪れるということになって他の人と同じように毎年、年齢を重ねていくことになります。

 この日が誕生日の有名人にはジャーナリストの兼高かおる、小説家の赤川次郎、タレントの飯島直子、ミュージシャン(いきものがかり)の吉岡などがいるそうです。吉岡さんの場合は28歳の年に「まだ7歳だ!」と自慢していたのを覚えています(もしかしたら24歳の時に「6歳だ!」だったかもしれません)。

 そう言えば昨年、吉岡さんがミュージシャンとして産育休に入ったら「チコゃんに叱られる」でカラスのキョエちゃんがいなくなったと評判になりました――と、これを書きながら、今ようやく吉岡さんの名前が聖恵(きよえ)だったことを思い出しました。
 
 さらについでにどうでもいい話ですが、20年ほど前に勤めていた学校で、私の隣のクラスは「いきものがかり」が副担任の先生の給食を準備していました。そう言って当の副担任が憤慨していましたが、担任の分も準備していましたから悪意はなかったのでしょう。翌年、私も真似しました。
 

「たったこれっぽっちのことがなかなかできなくて・・・」~マイナンバーカードの申請は明日までです

 マイナンバーカードの申請は明日まで。
 もう時間がないからとすっかり諦めた人たち――そんなことはない。
 写真を撮るための自分の顔と「カード交付申請書(それもなければせめてID)」
 この二つがあればスマホを使って5分でできる。親や他人の分だって――。
 という話。(写真:SuperT)

マイナンバーカードの申請は明日までです】

 マイナンバーカードの申請が残すところ今日明日二日間となりました。正確に言うとこれから生まれてくる子だっていますから申請に締め切りはないのですが、マイナポイントキャンペーンで「最大2万円分のポイント」をもらおうと思ったら、明日までに申請をしなくてはいけません(ポイントがいらないなら申請しなくてもよい)。そういうことです。

 これまでずっとマイナンバーに深い疑念を持ち、政府に個人情報を奪い取られることに強い抵抗感があり、長いものには巻かれない、同調圧力には屈しない、マイナンバーカードは絶対につくらんぞと固く決心していた人たちも、ここはもういちど腹のくくり直しです。たった2万円のために権力に膝を屈するのか、はたまたすでに国民の7割を越えたというカード保持者に対して独立不羈の生き方を示し続けるかの瀬戸際なのです。

 さて、私自身は昨年9月に申請して10月中にはマイナポイントを手にしていたのですが、今月末が締め切りと聞いて子どものシーナとアキュラに確認したら、なんとシーナのところいで二人の子ども分の申請が終わっていないとのこと(なぜ子どもの分だけ残したのだろう?)。慌てて申請するよう勧めました。
 シーナですらそのザマですから息子のアキュラがやっているはずがないと思ったら、あに計らんやこちらは「終わってます」の返事。
「思ったよりずっとしっかりしてるんだ、感心、感心」と書き送ったら
「(サーヤちゃん《新婚の妻》に言われてやったなんて口が裂けても教えられない)」と言ってきました。そんなものでしょう。
 ヤレヤレこれでひと段落と思っていたら昨日の午後、妻が世話になっている80代夫婦の奥様から電話があって、
マイナンバーの申請が分からない、時間が取れなくて申請に行けない」
とのこと。後期高齢者も最上位、ここに気を配らなかったのは迂闊でした。

【絶対にやめておけという人はいなくなった】

 さっそく妻を派遣して「マイナンバーカード交付申請書」か「マイナンバー通知カード」の切り離し前のものがないか調べさせます。そこに書かれている申請者IDと呼ばれる23ケタの数字が必要だからです。それと同時にお二人の顔写真を撮影してきます。

マイナンバー交付申請書」というのはこれまで何回か郵送されてきた書類で、気のない人が繰り返し捨ててきたものです。なにしろコロナ禍以前は「マイナンバーカードには何のメリットもない」「個人情報を政府に絶対に渡してはならない」「カードをつくるのは政治的に無知な人だけだ」といった雰囲気がマスメディアの主流でしたから、つくる必要を感じなかったのです。

 それが決定的にひっくり返ったのは、新型コロナにおける給付金手続きの煩雑さからです。
 なにしろ特別定額給付金を始めとするコロナ対策事業費が28兆2961億円だというのに、それを給付するための事務費がなんと6756億円(全体の2・3%)も及んだのです。もったいない話です。
 一律一人10万円の特別定額給付金などは、個人個人に申請書を書いてもらってそれをいちいち精査してからようやく給付ということでとにかく遅い、面倒くさい、もったいない。例によって、
「そんなバカなことをやってる国は世界中で日本だけだ」
という話が沸き上がって、ようやく政府も動きやすくなったのです。さすがにここまでくるとマスメディアも敢えて反対しなくなりました。

【さあ、急いで申請しましょう(最短で最も簡単な申請方法)】

 カードの申請にはいくつものやり方がありますが、もっとも簡単なのは申請書の右下にあるQRコードをスマホで読み取り、そこから手続きを始めていくことです。
 ここでの重要な点はスマホAndroidでもiPhoneでもよく、さらに誰の持ち物でもよいということです。私がやろうとしていたのも知り合いの夫婦のマイナンバーカードを、私のスマホや私のメールアドレスを使って申請しようというもので、同様のやり方はスマホを持たない高齢者の申請を息子や孫がそれぞれの自分のスマホで行うというやり方に置き換えられます。
 
 では実際にやってみましょう。
 まず、

  1. 申請書のQRコードをカメラで読み取り、表示された接続先URLをタップします。
  2. 申請ページに接続すると、「利用規約の確認」のページが出ます。「利用者確認」をチェックして「確認」をタップし、「メールアドレスの登録」ページに移ります。
  3.  ここでは申請者ID(23ケタ)を入力しなくてはならないのですが、QRコードから入ると既にここには数字が入っているのです。これがQRコードを使う一番のよさです。
  4.  続いて「メール連絡用の氏名」と「メールアドレス」を入力します。「氏名」は何でも構いませんが、続けて複数の登録をする場合は、混乱を避けるために別のものにします。私の場合は代行しているご主人の名前と奥様の名前でそれぞれ登録しました。アドレスは使用中のスマホのもの。確認のために2回入力します。このあと画像認証(アルファベットと数字の組み合わせが崩れた形で表示される、それを読んで記入する)があります。
  5. 「確認」を押すと今、登録したアドレスにメールが届きます。そのメールに記載されたURLをタップし、別のメールで届いた暗証番号を入力すると申請が続けられます。
  6.  顔写真登録のページが始まるので「アップロード」をタップして写真を撮影するなりファイルから探すなりして「確認」を押します。「適正な写真」が何かを確認したい場合は、アップロードする前の画面の「こちら」をタップして説明を読みます。
  7. 「顔写真確認」のページに移るので「確認事項」をチェックして「登録」を押します。
  8. 続いて「生年月日」など申請情報の登録を行います。必要事項の記入が終わったら「確認」をタップ。内容をよく確認して「登録」をタップします。
  9. すると「4」で登録したアドレスに「申請受付完了」のメールが届きます。これで終了です。

 え? それでどうやってカードが届くのかって? ポイントはどうなるのかって?
――大丈夫。それは後で考えればいいことです。とにかく今日明日中に申請さえ完了しておけば、あとのことは一カ月先でも十分間に合います、と言うか一カ月か一カ月半後に郵送されてくる「マイナンバーカードができました」という通知がないと、次の作業に取り掛かれません。

 通知書と写真さえ手元にあれば手続きは5分もかかりません。急いでやりましょう。

*ただしここで大問題!
 昨日の朝、孫たちの登録をしたときはシーナがすんなりと10分足らず(5分×2人)で済んだ作業、昨日午後4時に私が妻の知り合いの分をやろうとしたらネットが混雑して「1分待ち」が延々・・・。午後7時の段階で「6分待ち」。そしてそろそろ寝ようかと思う現在10時で「19分待ち」。そもそも最初のページに入れない――これが意外と大きな問題になるかもしれません。
*今朝(27日)4時30分。すんなりと入って、登録完了の通知をもらいました。「手続きは5分もかかりません」と書きましたが、一人目はバタバタして9分、二人目が3分で計12分かかりました。

*申請者IDは「マイナンバーカード交付申請書」か「マイナンバー通知カード」の切り離し部分に書いてあります。
QRコードのからのアクセスができない場合は下のサイトから。

www.kojinbango-card.go.jp*写真があるなら、郵送および窓口手続きもあります(明日の投函、明日の来庁分まで可)。申請書は上のサイトからもダウンロードできます。

「私の気が小さいということなのかな?」~人間ドックの結果を受けて

 世の中の人たちは意外と自分の健康に無頓着だと最近、知った。
 それに比べて私は気が小さかったようだ。
 人間ドックでは結局おおきな問題はみつからなかったが、
 こんなふうに健康の階段を下りていくのは、やはり楽ではない。
 という話。(写真:フォトAC)

【世の中の人たちは、そこまで自分の健康に無頓着なの?】

 ウサギのミースケが死に向かっている時期、近所の女性が亡くなり、それが私と同い年だったので少しショックだったというお話はしました*1
 ご主人は35年前の乳がんの再発だろうとおしゃっていましたが、ちょっと驚いたのは、今回の事態が起こるまで、ほとんど検診らしい検診は受けていなかったということです。もちろん35年前の手術のあとは予後検査が行われていたでしょうが、年季明けののちはドックにも行っていなかったみたいで、不調が本格的になって病院に行ったところ手遅れだったと、そんなお話でした。
 通夜に伺ったあと、一緒に行った近所の人たちに訊くと、私よりやや年上のその人たちも人間ドックには行っていないようです。市の集団検診も受けていない。何らかの検査を受けているという人もいましたが、それは通院治療中だから検査を続けているというだけで、さまざまな項目に渡って調べているというわけではないようです。

 私自身は50歳になって以降は毎年欠かさずドックに通っています。80代半ばで健康オタクの義兄も忘れずに行っています。その連れ合いである義姉、妻の実姉は65歳のドックをキャンセルしてしまい、翌年受けたら手遅れの胆管癌で1年半後に亡くなっています。4年前のできごとです。もちろんキャンセルせずに受けていたら確実に発見され、助かったという話にはならないかもしれませんが、悔いは残さずに済んだのかもしれません。

 世の中には検診なんか受けないという人も大勢いますし、義姉のように簡単にキャンセルしてしまう人もいます。それなのに私は実に小まめに対応している――。
 日ごろは「死ぬのは怖くない、経験があるから」などとうそぶいているくせに、なんとも気の小さなことだと、何か情けなくなりました。

【私の健康の、二つの問題の行方】

 さて1月の末に受けた今年のドック*2、問題点は山ほどなのですが、いそいで対処すべきは2点。
 1点目は胃の出口に昔からあった「タコイボびらん」と呼ばれるもので、今回特に大きくなっているところから医師が「念のため」と言って組織を採取した件です。これについては2週間後、「陰性」の連絡がありました。
 実はその前にネットで調べたら、
「経験豊かな医師が内視鏡で見れば、それががんかどうかなんて一発で分かる。目で見てがんでなければ、がんではない。
 それなのに『念のための組織検査』というのは誰のための『念のため』か。自分の判断ミスや訴訟リスクの恐れから『念のため』であるなら、患者のためには100%安全とは言えない組織採取など、すべきではないのだ」
といった記事に出会い、タカをくくっていたのです。ですから陰性は織り込み済みですが、それでも調べてもらえばやはり安心です。追加検査費用6000円で買った安心とも言えます。

 2点目は持って行った便に二日連続で便潜血があったことです。これについてはドック最後の内科医による問診の際に予約を入れて、翌週、大腸の専門家に診てもらうとにしました。1年半前に大腸ポリープの手術をしてくれた医師です*3

 当日、診察室に入るなり医師はコンピュータのモニタを見ながら、
「出ちゃいましたか。もう少しもつと思ったんですけどねぇ」
と呟きます。そして、
「どうせ診たところで1ミリ~2ミリだと思うんですけどね」
 この「どうせ1ミリ~2ミリ」には、“検査したところで手術という話にはならず、1~2年様子を見て再検査にしましょうという話になるに違いない(面倒ですね)”と言った含みがあります。
「どうします? 5月くらいに検査します?」
 これが初めてだったら、「がんかもしれないものを3カ月も放置なんて!」と震えるところですが、慣れたものです。“がんのスイッチは容易に入らないし、入ってしまえば後戻りはない”のですから、慌てることもないのです。

 検査で異常だと言っているのに何もしないのも気持ち悪いですから、5月に内視鏡検査をする予約を入れて帰ってきました。

【どうでもいいけど、面倒なことは嫌だな】

 かつては健康を確認して「まだまだ無理が利くぞ!」と雄叫びを上げる気持ちで帰ってきた人間ドックですが、ここ十数年は背を踏むような感じです。今年もとりあえず決定的な問題もありませんでしたが、いつこの状況が終わるのか――。

 子どもの成長が停滞と飛躍を繰り返す不ぞろいの昇り階段であるように、老人の退潮はくだり階段を下りるようなものです。いつ大きく落ちるか分からない――。死ぬのは怖くありませんが、この歳で面倒なことに巻き込まれるのは嫌ですね。

「人生のやり直しのうま味は一度きり」~だったら今のままでいいや

 日本テレビ系ドラマ「ブラッシュアップライフ」を見ながら考えた。
 人生のやり直しは魅力的だが、やり直したところで修正は1度だけ、
 しかもその先に何があるか分からない。
 だったら今のままでいいや、と思う。
 という話。(写真:フォトAC)

【ドラマ「ブラッシュアップライフ」】 

 日本テレビ系の「ブラッシュアップライフ」というドラマが面白くて毎週観ています(日曜日夜10:30~)。*1

 主人公の安藤サクラと幼馴染の木南晴夏夏帆という芸達者の三人が、それぞれ別なことをしながら真剣味のない、どうでもいい会話を延々と続けていく場面が圧巻で、噛み合っているのかいないのかよく分からないまま、しかし何となくうまく運んで落ちるべきところへ落ちる、その流れがすごいのです。たぶん老若を問わず現実の女性の世界にもありふれていて、男性にはなかなか真似のできない会話の在り方です。
 
 設定は30歳前後の3人ですが、保育園のころから鍛えてきたムダ話という感じがいかにも現実っぽく、脚本の確かさを感じさせます。驚いたことに書いたのは男性のバカリズムです。
(女性の皆さん、男の中にはこんなふうに女性の姿を観察して分析するのが大好きな人間もいます。警戒しましょう)
 
 基本的な物語はバカリズム得意の生まれ変わり譚で、主人公の安藤サクラは不注意から交通事故で死んでしまうのですが、死後の事務手続き(担当者はバカリズム)で来世がグアテマラ南東部のオオアリクイだと知らされ、ハタと立ち止まります。このまま休息なしに始まる来世がオオアリクイの人生(獣生?)、いくらなんでもそれはないと直談判するのですが、会話の中で意外なことを知らされます。それは来世のオオアリクイはどうやっても変えられないものの、今世を最初からやり直して徳を積めば、あるいは”死んでも来世は人間に“ということになるかもしれないという事実です。
 そこで安藤サクラは迷わず今世のやり直しを選択し、保育園のころから丁寧に“徳”を積み上げ、“死んでも来世は人間に”を目指すことにしたのです。それが第一話の前半でした(現在は第七話)。

 やり直しの話なので同じ場面が何度も出てきます。そのために第二話以降は少々食傷気味で、正直に言うと第一話ほどの面白みはないのですが、見続けているうちにハタと考え込んでしまうことがありました。ドラマが停滞気味なように、人生のやり直しにも“ウマ味は一か所にしかない”ということに気づいたからです。

【人生のやり直しのうま味は一度きり】

 「人生をやり直せるなら、どこからどんなふうにやり直したいのか――」
 誰しもが一回は訊かれたことのある問いです。そしてある程度年齢の行った者は「もう一度同じ人生を歩みたい」と答えるのがカッコウいいし、正しいやりかただということになっています。

 それはそうでしょう。今とまったく違った生活を語ったら配偶者や子どもたちに失礼ですし、あまりに違う人生は夢物語に過ぎません。
 あの時もっと頑張って東大に入っていれば、と言える人間はごくわずかです。40年も50年も生きてくると己の頭の程度は徹底的に思い知らされます。どんなに頑張っても東大には入れない、しかしどんなにいい加減にやってもこれ以下には踏み外さない、そういった人生の幅が見えてきますから、どう生きてきても今の人生と大差ない――、だったら今のままでいいと、そんなふうに落ち着くのです。
 
 ただ、人生のどこかに大きく悔いを残していて、「あそこだけはやり直したい」という部分があると厄介なことになります。
 例えば高校の時の進路選択で自分は理科系だと思ってそちらに進んだら入ってすぐについていけなくなり、結局、事務系の仕事に就いた。だったら最初から文科系に進んでおけばもっといい大学に進学し、もっといい会社に就職できたかも知れない、そんなふうに考えてやり直したとしましょう。
 しかしひとことで“大学”と言っても理科系と文科系はまったく違います。朝から晩まで実験やら研究やらをやらされている理科系と違って文科系ではかなりゆったりとした生活が送れます。男女比もそうとうに違いますから恋愛環境というか、そもそもキャンパスから見える風景が異なります。もちろん日常的につきあう人間たちも異なってきます。
 すると生き直しても、2周目の人生では1周目の経験がまったく役に立たないということが起こり始めるのです。
 
 1周目の30歳の夏に仕事上で起こした大失敗は、2周目では別の職に就いているので置きようがありませんが、その代わり別の大失敗が控えている可能性もあります。しかも2周目とは言えすっかり違ってしまった人生では何が起こるか予見できませんから、防ぎようがないのです。
 結局、2周目である有利さを決定的に生かすとしたら、機会は1回しかないことになります。しかも変更した2周目の人生の先には、大きな不幸が口を開けて待っている可能性だってあります。
「だったら大したことはなくても1周目と同じ人生でいい」と、ここでも結論は同じになってしまいます。

【やっぱり生き直しなんていらない】

 人生のやり直しの夢を語れるのは、せいぜいが20代の独身の間だけです。
 ただし25歳の若者が5年遡って二十歳の選択をやり直すとか、そもそも0歳からすべてやり直すとかいったことをしても、それがよかったかどうかは分かりません。どうせ25歳以降は未経験の世界ですから、最終的にどうなるかは比較しようがない。もちろんやり直す前とやり直した後では、25歳での収入が違うとか配偶者が違うとか、さまざまな相違を生み出すことができますが、どちらが幸せにつながるかはやはり不明のままなのです。
 それは私が自分の手持ちの人生で得たもののすべてを投げ捨て、二度と手に入らないことを覚悟の上で、1980年代のバブル期に借金をしながら不動産を買いまくって90年代に入るとすべてを売りつくし、その資金を今度はマイクロソフトGAFAに投資して大金持ちになるといった大胆な行動に出たとして、それで幸せになれるかどうか分からないのと同じです。
 生き直しても結局同じなら、そんな面倒くさいことは必要ありません。