カイト・カフェ

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「人生のやり直しのうま味は一度きり」~だったら今のままでいいや

 日本テレビ系ドラマ「ブラッシュアップライフ」を見ながら考えた。
 人生のやり直しは魅力的だが、やり直したところで修正は1度だけ、
 しかもその先に何があるか分からない。
 だったら今のままでいいや、と思う。
 という話。(写真:フォトAC)

【ドラマ「ブラッシュアップライフ」】 

 日本テレビ系の「ブラッシュアップライフ」というドラマが面白くて毎週観ています(日曜日夜10:30~)。*1

 主人公の安藤サクラと幼馴染の木南晴夏夏帆という芸達者の三人が、それぞれ別なことをしながら真剣味のない、どうでもいい会話を延々と続けていく場面が圧巻で、噛み合っているのかいないのかよく分からないまま、しかし何となくうまく運んで落ちるべきところへ落ちる、その流れがすごいのです。たぶん老若を問わず現実の女性の世界にもありふれていて、男性にはなかなか真似のできない会話の在り方です。
 
 設定は30歳前後の3人ですが、保育園のころから鍛えてきたムダ話という感じがいかにも現実っぽく、脚本の確かさを感じさせます。驚いたことに書いたのは男性のバカリズムです。
(女性の皆さん、男の中にはこんなふうに女性の姿を観察して分析するのが大好きな人間もいます。警戒しましょう)
 
 基本的な物語はバカリズム得意の生まれ変わり譚で、主人公の安藤サクラは不注意から交通事故で死んでしまうのですが、死後の事務手続き(担当者はバカリズム)で来世がグアテマラ南東部のオオアリクイだと知らされ、ハタと立ち止まります。このまま休息なしに始まる来世がオオアリクイの人生(獣生?)、いくらなんでもそれはないと直談判するのですが、会話の中で意外なことを知らされます。それは来世のオオアリクイはどうやっても変えられないものの、今世を最初からやり直して徳を積めば、あるいは”死んでも来世は人間に“ということになるかもしれないという事実です。
 そこで安藤サクラは迷わず今世のやり直しを選択し、保育園のころから丁寧に“徳”を積み上げ、“死んでも来世は人間に”を目指すことにしたのです。それが第一話の前半でした(現在は第七話)。

 やり直しの話なので同じ場面が何度も出てきます。そのために第二話以降は少々食傷気味で、正直に言うと第一話ほどの面白みはないのですが、見続けているうちにハタと考え込んでしまうことがありました。ドラマが停滞気味なように、人生のやり直しにも“ウマ味は一か所にしかない”ということに気づいたからです。

【人生のやり直しのうま味は一度きり】

 「人生をやり直せるなら、どこからどんなふうにやり直したいのか――」
 誰しもが一回は訊かれたことのある問いです。そしてある程度年齢の行った者は「もう一度同じ人生を歩みたい」と答えるのがカッコウいいし、正しいやりかただということになっています。

 それはそうでしょう。今とまったく違った生活を語ったら配偶者や子どもたちに失礼ですし、あまりに違う人生は夢物語に過ぎません。
 あの時もっと頑張って東大に入っていれば、と言える人間はごくわずかです。40年も50年も生きてくると己の頭の程度は徹底的に思い知らされます。どんなに頑張っても東大には入れない、しかしどんなにいい加減にやってもこれ以下には踏み外さない、そういった人生の幅が見えてきますから、どう生きてきても今の人生と大差ない――、だったら今のままでいいと、そんなふうに落ち着くのです。
 
 ただ、人生のどこかに大きく悔いを残していて、「あそこだけはやり直したい」という部分があると厄介なことになります。
 例えば高校の時の進路選択で自分は理科系だと思ってそちらに進んだら入ってすぐについていけなくなり、結局、事務系の仕事に就いた。だったら最初から文科系に進んでおけばもっといい大学に進学し、もっといい会社に就職できたかも知れない、そんなふうに考えてやり直したとしましょう。
 しかしひとことで“大学”と言っても理科系と文科系はまったく違います。朝から晩まで実験やら研究やらをやらされている理科系と違って文科系ではかなりゆったりとした生活が送れます。男女比もそうとうに違いますから恋愛環境というか、そもそもキャンパスから見える風景が異なります。もちろん日常的につきあう人間たちも異なってきます。
 すると生き直しても、2周目の人生では1周目の経験がまったく役に立たないということが起こり始めるのです。
 
 1周目の30歳の夏に仕事上で起こした大失敗は、2周目では別の職に就いているので置きようがありませんが、その代わり別の大失敗が控えている可能性もあります。しかも2周目とは言えすっかり違ってしまった人生では何が起こるか予見できませんから、防ぎようがないのです。
 結局、2周目である有利さを決定的に生かすとしたら、機会は1回しかないことになります。しかも変更した2周目の人生の先には、大きな不幸が口を開けて待っている可能性だってあります。
「だったら大したことはなくても1周目と同じ人生でいい」と、ここでも結論は同じになってしまいます。

【やっぱり生き直しなんていらない】

 人生のやり直しの夢を語れるのは、せいぜいが20代の独身の間だけです。
 ただし25歳の若者が5年遡って二十歳の選択をやり直すとか、そもそも0歳からすべてやり直すとかいったことをしても、それがよかったかどうかは分かりません。どうせ25歳以降は未経験の世界ですから、最終的にどうなるかは比較しようがない。もちろんやり直す前とやり直した後では、25歳での収入が違うとか配偶者が違うとか、さまざまな相違を生み出すことができますが、どちらが幸せにつながるかはやはり不明のままなのです。
 それは私が自分の手持ちの人生で得たもののすべてを投げ捨て、二度と手に入らないことを覚悟の上で、1980年代のバブル期に借金をしながら不動産を買いまくって90年代に入るとすべてを売りつくし、その資金を今度はマイクロソフトGAFAに投資して大金持ちになるといった大胆な行動に出たとして、それで幸せになれるかどうか分からないのと同じです。
 生き直しても結局同じなら、そんな面倒くさいことは必要ありません。