カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「教師が修学旅行で布団を畳ませるほんとうの理由」~旅館の布団は畳まない方がよいとの話で

 ホテルや旅館に泊まった翌朝布団を畳むのは
 従業員にとってむしろ迷惑な話だという
 それは修学旅行で教師が間違ったマナーを教えたためだというが
 なぜそんなことになってしまったのか
というお話。

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【チェックアウトの時、布団は畳まないで!】

 しばらく前のニュースに「『チェックアウトの時、布団は畳まないで!』旅館の清掃係の呼びかけが話題に。その真意とは?」(2019.06.11 Exciteニュース)
というのがありました。
 これは旅館の清掃係を名乗るTwitterユーザーが
旅館の清掃係からのお願い。
チェックアウト時は「布団は畳まないで、そのまんまで部屋を出て」ください。
丁寧に畳んで下さってる方がいらっしゃいますが、
・「布団に挟まった忘れ物チェック」と
・「結局、畳み直し」
…で、二度手間になります。
部屋はそのまま、出発のほどお願いします。

というツイートをしたところ、同じ宿泊業の関係者から、
「善意なのは分かるけど、畳まれるとめっちゃ困る」「これは切にお願いしたいです」「旅館だけでなく、ホテルも同じ」など、賛同するコメントが多数寄せられた。
というのです。

 さらに一般からも、
「なるほど!知らなかった」「目から鱗でした」「話を聞いて納得しました」など、多くの反響を呼んでいる。
とのことで、Exciteニュースが記事にした段階で、5万2000件ものリツイートがあったそうです。

 記事は最後に、
 相手を思って行っていたことが、実は相手にとって迷惑であったということはよくあること。
(中略)
 今後、旅館やホテルを利用した時には、布団は広げたまま、チェックアウトをしてほしい。
と結んでいます。

 ただこれだけならいいのですが、途中で、
しかし、私たちはなぜ旅館で布団を畳むのだろうか? 多く寄せられた意見が、修学旅行の際、先生に布団を畳むように指導されたという経験だ。「自分で使ったものは自分で片付けましょう」と先生に言われ、キレイに畳まれているかチェックされたという。筆者自身も同じような経験が確かにある。
があり、まるで先生たちが間違ったことを教えたからいかんのだ、みたいになっていてこれはカチンと来ます。
 分かっていない。

 この記事は言わば、
「宿泊業の事情に疎い人のために書いた、学校の事情に疎い人の記事」
なのです。

 確かに「来た時よりも美しく」は旅行行事につきもののスローガンですし、「自分の使ったものは自分で片付けましょう」は旅行に限らず、日ごろから口うるさく言っている指導項目です。
 しかしそれがすべてではありません。

【教師が布団を畳ませたがる真の理由】

 教師が宿泊行事で布団を畳ませたがる最大の理由は、まさにツイッターの清掃係さんと同じ、
「布団に挟まった忘れ物チェック」
なのです。

 教師たちは、朝の集合とあいさつの真っ最中に、生徒が、
「先生! サイフがない!」
とか、
「腕時計がなくなりました」
とか、
「部屋に水筒を忘れてきたみたいです」
とか言い出すのは最低だと思っています。
 そこで費やす5分~10分の遅れが後々どんな災厄につながるか分からないからです。もちろん10分で見つかる確証があればいいのですが、そんな確実ななくしものなどあるはずがありません。
 また「先生! サイフがない!」の声を聞いてそこからバッグを開いて確認し、「私もない!」と言い出す子が出てくるとさらに多くの子がバッグを広げ始め、図らずも持ち物確認が一回増え、今度はそのこと自体が時間を遅らせます。
 それで例えば新幹線に乗り遅れでもしたら、引率する160人の席はどう確保すればいいのでしょう?

 だから教師は旅館やホテルを出るとき絶対に忘れ物をさせたくない。仮に「先生! サイフがない!」と言い出す子がいたら、
「部屋は空っぽなんだから絶対バッグの中にある。バスに乗ってから荷物を全部開いて、もう一度探し直せ!」
と言えるようにしておかなくてはなりません。
 万が一ということもありますから、部屋に戻ってざっと目で確認するぐらいのことはしなければなりませんが、“ざっと目で確認”できるためには相当きれいに片付けられていなければならない。
 それがあの「畳み直し、やり直し」の意味なのです。

 だからこの件で学校を徹底的に叩くと、教師はいったんきちんと畳んだ布団をもう一度敷き直すしかなくなります。いわば旅館ホテルに押し付けていた二度手間を学校が背負うだけで、その時間はもったいない。生徒の心にも二度手間を強いる教師への不審感が芽生えます。

 しかしこれは修学旅行に限ったことではないでしょう。大人になっても布団を畳みたがる人の中にもきっと「忘れ物チェック」のためにやっている人が多くいるはずです。
 特に家族で行く温泉旅行のようなゆったりとした旅では、部屋に滞在する時間が長い分、何を出してどこに置いたかなどはどうしても忘れがちです。部屋を出る際に布団を全部上げて、シーツをパタパタと払って畳んでしまえば、たいていのものは出てきます。広くがらんとなった部屋では、そのあとで忘れた物も見つけやすい。

【理由はそれだけではない】

 ただし私個人について言えば「忘れ物チェック」よりももっと重要な理由があります。
 それは美学の問題なので他の人と共有できなくても構わないのですが、旅行行事で布団を敷きっぱなしにするとほとんどの布団が子どもたちによって踏みつけにされる、それが私には我慢ならないのです。

「布団は足で踏んではいけません」というのは小さなころから教えられてきた最低の躾で、衛生面からも理由のあることです。それが平気でできるのは、トイレに行った足で踏みつけられたシーツに、深夜知らないうちに唇をつけてしまっている自分が想像できない人で、やはりおかしい。「だから寝る前の布団は踏んではいけないが、朝の布団は踏んでもいい」と考える人は合理主義者ではありますが道徳の何たるか、人間の何たるかを知らない人です。

 一部屋にぎゅうぎゅう詰めに生徒を入れている修学旅行はもちろん、家族旅行だって布団の敷かれた部屋では歩くける部分が極端に少なくなります。従業員のために布団は敷いたままでいちいち避けて歩けばいいのですが、それはあまりにも面倒。
 学校行事となればなおさらで、朝は急がせていますから「布団を踏むな」という指導も徹底できません。
 だから踏むのはしかたないと考えることもできますが、それでも私は嫌なのです。従業員の方に迷惑をかけても、布団は畳んで踏ませないようにしたい。

【さらに別の理由もある】

 新婚とは言えないものの夫婦としての年月が浅いころ、ふたりで泊まったホテルのツインルームで、翌朝、妻がせっせとベッドを直しています。まるで使用前のベッドメイキングみたいな丁寧さなので笑って、
「そこまできれいにする必要はないじゃないか」
というと、妻は困ったような顔をして、
「だってゆうべ何かあったかって、人に想像されるのってイヤじゃない」
と答えます。

 要は私の寝相が悪すぎて妻の寝相が良すぎることに問題があるのですが、わざわざ妻の方のベッドまで荒らすこともないでしょう。両方ともきちんと整えればいいだけです。

 そのときは“おや、おや、この人にはこんな慎ましいところもあったのか”と感心しましたが、引用した記事の趣旨からするとホテルの従業員の煩わしさを考えないワガママ者ということになるでしょう。

 そろそろイライラしてきました。
 私は本来そういう言い方をする人間ではないのですが、ついつい口走りたくなります。
「布団を畳むか畳まないかなんて、どちらでもいいじゃないか。こっちは金を払ってるんだ、好きにさせろよ!」

 失礼しました。
 だめですか?

 

「時代は変わる」~習得した技術が、無慈悲にムダになる時代

 せっかく手に入れた技能が無駄になることがある
 科学の進歩が特定の個人の努力を無にすることが
 それは仕方のないことだが
 最初から無駄いなるとわかっていることをやらせるのは
 重大ないじめか もしくは犯罪ではないか

というお話。

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【ある放射線技師の述懐】

 昨日の続きめいた話ですが、フジテレビの「ラジエーションハウス~放射線科の診断レポート~」の中でラジエーションハウス(放射線検査室)の技師長・小野寺(遠藤憲一)が昔のレントゲンフィルムを見ながら、
「1枚 現像するのに20分以上かかるからさ、新人のころはよくこの部屋に一日中こもって、現像だけさせられたこともあったよ。俺はここで何十年と、今はもう何の役にも立たない技術 身に付けちまった」
と述懐する場面がありました。

 現在はコンピュータでたちどころに処理できるのでしょう。しかしかつては大判のフィルムに直接焼き付けて、薬品処理によって現像ができるまで待たなくてはなりませんでした。現像し終わったところで撮影の良し悪しが判明しますから、失敗すると撮り直しに大変な時間がかかります。ですから小野寺たちは修行に修行を重ねたわけです。
 写真ができるまでに時間がかかる分簡単に撮り直しができず、失敗が許されなかった。今より っと神経をとがらせて、1枚1枚の写真を撮っていたはずです。
 しかし今はそんな技術は必要ない。ダメならその場ですぐに撮り直しをすればいいだけです。

 このように新しい技術が古い技術を陳腐化してしまうことはよくある話です。ただ、古い機械が新しい機械にとってかわられるだけならいいのですが、小野寺のように苦労して磨いた人間の技が機械によって軽々と超えられてしまうのは、無理ないこととはいえ、一部には釈然としない人も多いでしょう。技能を高めている最中はそれが“繋ぎの技術”だなんて思っていないからです。

 もちろん、だからと言って小野寺の技術が何の役にも立たなかったのではなく、コンピュータの出現までに彼らが救った命は数限りなくあったはずです。ですからそれは是非とも必要な技術だったのですが、これからレントゲンフィルムの技術を会得しようとする人がいたら、それには特別の理由が無くてはなりません。
 基本的に、それは“今では不要な技術”なのです。

 

ガリ版という特殊技能】

 教師の世界にも似たような話があります。有名なところで言えばガリ版刷りです。

kite-cafe.hatenablog.com これはロウをコーティングした紙(原紙と言います)を“ガリ版”と呼ばれる金属のヤスリ板の上に乗せ、“鉄筆”で引っ掻いてロウを削りながら文字を書き、“謄写版”と呼ばれる道具を使って印刷する技術です。

 印刷自体は大したことはないのですが、「ヤスリ板の上で書く文字」というのがヤスリの目に影響を受けて角ばった、独特の風合いになったのです。その文字の美しさが教師の技術――例えば看板屋さんがフリーハンドでいくらでも同じ字体の文字を書き続けられるような、特別な技だったのです。

 私が新人の頃はまだそれをやっていました。ところが習い始めてわずか5年もしないうちに、100年の歴史をもつガリ版技術は廃ってしまうのです。

 代わって出てきたのがステンシル転写。しかしそれを説明するのが面倒なくらいステンシル時代は短く、リソグラフが登場すると校内印刷はとんでもなく簡単なものになってしまいました。ガリ版に頼ることなく、手書きの原稿がそのまま印刷物になったからです。

 さらにコンピュータが導入されると、教師はほぼ手書きの文化を失います。残ったのはせいぜいが黒板にチョークで書くくらいなものです。
 しかし考えてみると手書き文字自体が高度技術で、昔は先生と言えば字がうまいのが当たり前でした。
 それも今はありません。私も字は下手です。

kite-cafe.hatenablog.com 

【コンピュータプログラミングという40年前の最新技術】

 教師になりたての頃、私は片方で慣れないガリ版技術習得のために努力をしながら、他方で夢中になって取り組んでいたのがコンピュータ・プログラミングでした。

 コンピュータは今でこそインターネットだの文書作成だの「何かをさせる道具」ですが、私が触り始めたころは「プログラムを組む道具」でしかありませんでした。世の中にソフトだのアプリケーションだのといったものはほとんど売っておらず、コンピュータは自分でテニスゲームや簡単なシューティング・ゲームをつくって遊ぶ、そういう道具だったのです。

 ただ幸いなことに当時私が勤めていたのは1学年430名というマンモス校で、成績処理が尋常ではなかったのです。そこに私の出番がありました。
 普通は簡単なゲーム作りにしか使えないコンピュータを使って、私はほとんど一年がかりで成績処理のプログラムを完成させ、高校入試に間に合わせることができたのです。

 8回の実力テストの成績を入れ、その都度各教科ごと平均点と順位を出し、合計点も計算して順位づけする。さらにテストが終わるたびにそれまでのテストの合計点と平均点を計算して順位をつけ、志望校ごとにまとめてまた順位づけをする。最後にプリントアウトする――。
 大変な量のプログラムで用紙に打ち出すと厚さ5センチ以上になろうという代物です。半分は遊びでしたが、我ながらよくやったものです。

 ただしそのプログラムを、私は二度と使いませんでした。なぜかというと次に中学3年生の担任になった時、すでに「桐」というとても優秀なデーダーベースが発売されていて私の8ビットパソコンでBASICプログラムが半日かかってやる計算を、瞬時にして行ってしまったからです。さらに数年後、今度はエクセルという安価なソフトが同じ仕事をこなすようになります。

 

【時代は変わる】

 こうして私のプログラミング技術は無用のものとなりました。もちろん遊び半分でやっていたことなので十分楽しめてそれはそれでよかったのですが、こんなことは義務として他人にやらせるわけにはいきません。
 基本的には遊んでお仕舞、何の役にも立たないからです。

 私が小学校のプログラミング教育にしつこく反対するのはそのためです。
プログラミングなんて普通の人間には何の役にも立ちません。プログラミング思考など合理性の固まりで情感のかけらもない。
 それらは必要な人が必要な時期に身につければいいのであって、普通の小学生がやればほとんどの子は「ただ遊んだだけ」で終わってしまいます。
 楽しく面白い世界ですから子どもたちも目を輝かせて取り組むでしょうが、所詮それはお遊びで終わるはずのものです。

 「ラジエーション~」の技師長や私のように、新しい技術によって自分の高めた技能が無意味になるのはしかたない、しかし最初から無駄になるとわかっていながらやらせるのは、詐欺という以上の犯罪です。
 ぜひともやめてもらいたい。そうでなければ現場で骨抜きにするしかない、そういう代物です。



「『腐女子、うっかりゲイに告る』が残したもの」~ネタバレだらけ

 4月スタートのドラマが ここにきて続々と最終回を迎えた
 今回は特に心打たれる物語があり
 私は人生をもう一度考え直した
というお話。f:id:kite-cafe:20190625051034p:plain

【4月スタートのドラマが終わる】

 4月スタートの連続ドラマのいくつかが最終回を迎えました。
 私は特にこの二か月間、さまざまに忙しかったためにテレビもきちんと見られなかったのですが、NHKのドラマ10『ミストレス~女たちの秘密~』と夜ドラ「腐女子、うっかりゲイに告る」、そしてフジテレビの「ラジエーションハウス~放射線科の診断レポート~」の三つだけはしっかり見ようと、VTRまで撮って最後まで見続けることができました。

 「ミストレス~」はイギリスでつくられ、その後アメリカ・ロシア・スロバキア・韓国でリメイクされたという鳴り物入りのドラマで、「ラジエーションハウス」は放射線技師が主人公という医療物としては今までない視点からのドラマ、そして「腐女子~」は主演の藤野涼子さんが女優としてかなり期待している人なのでと、それぞれ違った理由からの選択です。

 終わってみるとどれもなかなか良かったのですが、「ミストレス」は最後があっけなさ過ぎて、「ラジエーションハウス」は細部で脚本に納得できない部分があり、結局、中で一番良かったのは「腐女子、うっかりゲイに告る」だったかな、と感じています。

 【腐女子、うっかりゲイに告る】

 これは浅原ナオトという人の『彼女が好きなものはホモであって僕ではない』を原作とした物語で、ゲイをひた隠しに生きる18歳の高校生安藤純(金子大地)と同級生で腐女子ボーイズラブ《BL》と呼ばれる男性同士の恋愛を扱った小説やマンガを好む女性)の三浦紗枝(藤野涼子)を中心に、ある時はコメディ風に、ある時はシリアスに、高校生の性と恋愛と同性愛者の世界を描いた青春ドラマです。

 タイトルの通り、腐女子の紗枝は純が同性愛者だとは知らずに恋をして、“うっかり”告白してしまいます。本来なら断るべきなのに、純は「自分はいつでも普通になれる、みんなと同じように生きることができると自分に証明したい」という欲望に駆られてこれを受け入れてしまうのです。

 しかし純が同性愛者であることは紗枝の知るところとなり、さらにひょんなことから全校に知れ渡って、純は校内で孤立することになります。

 6月1日の第7回の放送は、終業式の表彰の場を借りて、紗枝が純の苦悩を全校に知らせる場面が中心となりました。そこで紗枝はこんなことを語るのです。

 【壁の向こう側で】

 彼はいつも自分の目の前に透明な壁をつくっています。壁の向こう側から私たちのことを見ている。
 でもそれは自分を守っているんじゃなくて、私たちを守っているのです。

“ぼくがここから出たら、君たちはきっと困ってしまう。(物理の授業で)摩擦をゼロにするように、空気抵抗を無視するように、ぼくをなかったことにしないと、世界を簡単にして解いている問題を解けなくなってしまう。だからぼくはこっち側でおとなしくしているよ”
 そう言ってるんです。

 彼は自分が嫌いで、私たちが好きなんです。
 でも私は、彼のことが本当に好きです。

 “ああ、その通りだ”と私は思います。
 それは私の良く知っている世界でしたが、言葉にされて初めて、しっかりと摑まえることのできたことです。

 人が障害や問題を隠そうとするのは、もちろん幼いころは恥ずかしいということもあるかもしれませんが、ある程度の年齢になると違う。その秘密が暴露されると相手の心が乱れてしまい、どう対応したらよいのか困ってしまう。それが誠実な人間であればあるほど悩みは深くなる、それを避けたいのだ。大切な人たちをそっとしておきたいのだ、だから壁のこちら側にいる。孤独でいる。

 私はそういう生き方があることを知っていましたし、ある時期までは私自身がそうでしたからよくわかるのです。しかし紗枝の言葉を聞いて初めて、その「分かること」は、意識の中にしっかり定着します。

 だからそうした人間のそばには誰かがいてやらなければならない。無理に壁から引き出すことはないが、彼の孤独に寄り添って、いつでも声をかけてやれるようにしなければならない――それが今の私に言えることです。
 私はそういう人間になりたい。

【もう一つの大切なこと】

 第7回の「腐女子~」にはもうひとつ重要なセリフがありました。
 それは言うべきことをすべて語った紗枝が、ステージ上で涙を流しながら立ち尽くしている姿を見て、純が心の中で叫ぶ言葉です。
 世界を簡単にする。
 たったひとつ、大事なことを残す。
 大好きな女の子が泣いているのだ。
 そうして純はステージに向かって走り出します。
 そうです。世の中は複雑で人の心は判断が難しい。しかしそれを簡単に解く方法がある。それは純が言う通り、「最も大事なことを残し、あとを捨てること」です。

 私の残りの人生は、自分自身がそれを生かすほどは長くはありませんが、人に伝えるには十分だと思います。
 世の中には自分で壁をつくって、みんなのためにひとり孤独に沈んでいくような人がいる、だから誰かが彼の傍らにいなくてはならない。
 世界は複雑かもしれないが、それを解くカギはある。それは大切なものを残し、あとは捨てることだ。
 その二つを。

「今日はドレミの誕生日」~ドラミちゃんの話じゃないよ

 今日は音階「ドレミ」の誕生日
 そこでドレミのウンチクと
 その周辺について語ろう

というお話。

f:id:kite-cafe:20190624071934j:plain(ローレンス・アルマ=タデマ 「サッポーとアルカイオス」)

 

【ドレミの誕生日】

 今日、6月23日は「ドレミの誕生日」だそうです。
「今日は何の日?? カレンダー」によると、
 イタリアの僧侶ギドーがドレミの音階を定める(1024)
とあります。
 
 ドレミについては30年近く前に「どういう意味か」と生徒に聞かれ、それなりに一生懸命調べたのですが手がかりさえ見つかりませんでした。
 書店に行っても図書館を訪ねても、音楽のコーナーは極端に狭く、「ドレミの意味は?」みたいな基本的なのに特殊な質問に、答えてくれる書物に出会えなかったのです。音楽の先生に訊いても、
「そんなの・・・意味あるの?」

 しかしネット時代はあっという間です。「ドレミの意味」で検索すると即座にとんでもない量のページがヒットします。
 私がネットで初めて「ドレミの意味」を調べたのはだいぶ前のことですが、昨年4月にNHKの「チコちゃんに叱られる」で扱われてからはかなり数のページが追加されたみたいで、さらに検索しやすくなっています。
 それらによると、

 

【ドレミの成り立ち】

 11世紀にいたるまで、西洋音楽は主として耳で覚え、次から次へと伝承するものであって楽譜に書かれることはなかったようです。長年、不便を感じる人も多かったのですが、誰も解決策を見つけることができませんでした。
 ところが1024年、イタリア人の僧侶グイード(ギドー)・ダレッツィオは200年以上歌い継がれてきた「聖ヨハネ賛歌」の中に、素晴らしい秘密を発見するのです。

 それは曲の各小節の最初の音が、今で言う「ドレミファソラ」に一致して一段ずつ高くなっているという事実です。
 その「聖ヨハネ賛歌」の歌詞は以下の通り(別に読めなくてけっこうです)。

Ut queant laxis 
Resonare fibris
Mira gestorum
Famuli tuorum
Solve polluti
Labii reatum
Sancte Johannes

 そこでグイードはそれぞれの小節の最初の音「Ut」「Re」「Mi」「Fa」「So」「La」で音階を表す方法にたどり着くのです。6音しかありませんが、当時は基本的に6音階の中で曲がまとめられていたので7番目の「シ」は必要なかったのです。実際「聖ヨハネ賛歌」の7行目「Sancte Johannes」は「シ」ではなく「ファ」の位置から始まっています。

 「シ」は16世紀になって音楽の幅が広がってから必要に迫られて作成されました。その際「聖ヨハネ賛歌」の7行目の「Sancte Johannes(サンクト・ヨハネ)」の頭文字「Sj」の異体字「Si」をあてて「シ」と発音させるようにしたと言います。
 またイタリア人には発音しにくい「Ut」に替えて、「主」を表す「Dominus」の最初の音「Do」をあてるようにしたともいいます。

 

【音名ハニホとツェー・デー・エー】

 私たちはまた、階名の「ドレミ」以外に、「ハニホヘトイロ」で表す“音名”についても勉強させられました。「ハ長調」とか「ト短調」とかいうアレです。
 「イロハ」が使われているところから明らかなように日本独自の表現ですが、では諸外国はどうしているのかというとアルファベットで表しているのです。

 高校生のころ、女子にモテたい軽薄な男の子たち(もちろん私を含む)はみんなギターに手を出し、「C(シー)で始めようか?」とか「E(イー)マイナーの曲っていいよね」とか言っていましたが、クラシックの素養があってバイオリンの弾ける子などは「ツェー」だとか「ハー」だとか訳の分からない音名を使って私たちを混乱させていました。しかしこれは彼らの方が正しい。

 日本の「ハニホヘトイロ」にあたる「CDEFGAB」は「ドイツ音名」と呼ばれるようにドイツが発祥の地で、したがってドイツ語で読まれるのが正しく、(たぶん)そちらの方がカッコウ良かった。ドイツ語では「C(ツェー)」「D(デー)」「E(エー)」「F(エフ)」「G(ゲー)」「A(アー)」「H(ハー)」となります。
 そういえば有名なバッハの「G線上のアリア」は「ゲーせんじょうのアリア」と発音するのが正しいようで、NHK・FMなどでそう発音しているのを聞いたことがあります。

 だからこう私たちはこう言うべきでした。
「C(ツェー)で始めようか?」「E(エー)モルの曲っていいよね」
 たぶん知っていてもやらなかったと思いますが。

 

【ドの音はどの音?】

 そうなると次に出てくる疑問は「なんで階名と音名のふたつが必要なの?」ということになりますが、これは「階名は可変」「音名は不変」で説明します。

 例えば、
「C(日本音名では『ハ』)の音を出してください」
と言われれば世界中の音楽家が一斉に「ハ長調のド」にあたる音を鳴らします(不変)。
 しかし「ドの音を出してください」と言われたら、それぞれが好き勝手な「ド」を出してくるかもしれません。

 たった今「ハ長調のド」と言ったように、「ト短調のド」とか「ヘ長調のド」とかは全部音が違うのです(可変)。つまり「ドの音を出してください」と言われると音楽家は「どの音?」と迷うことになるのです。

 もともとが歌詞の最初の音ですので「ドレミファ」階名は口で歌うのに便利、しかし音名の普遍性も捨てがたい――そこで両方が同時に使われるようになった、ということなのかもしれません。

 

【さらに深まる謎】

 ここまでくると次に出てくるのは当然、
「子どものころ『シャープもフラットもつかないのはハ長調イ短調』って教えられてこれが基本だと思うんだけど、どうして基本のハ長調ニ短調の『ドレミ』は『ハ(C)』から始まるの? 『イ(A)』から始まらないのはなぜ?」
という疑問ですが、これについてはさらに話が複雑になるので機会があれば改めて考えたいと思います。

 
 

「能動的で主体的なもう一つの文明」~家事の時短・省エネは難しくないけれど―― 

 家事の時短・省エネという面で 日本は20年遅れてしまったらしい
 しかしだからと言って この国がダメな国だとは限らない
 何が正しいのか しっかり考え直そう
というお話。

f:id:kite-cafe:20190621052959j:plain(ジョージ・ベローズ「ニューヨーク」)

【ココロがラクになる家事のコツ】

 ある住宅メーカーから送られてきた冊子に、「ココロがラクになる家事のコツ~世界を見渡して気づく できること・しなくていいこと」という特集があり、一種の比較文化論みたいな感じの対談が載せられていたので、思わず手に取りました。海外生活の経験のある主婦たちの対談集です。
 
 私は元社会科教師ですが、地理はもちろん歴史を教えていても、本当に難しいのは各国の庶民がどのような生活をし、どのようなものの考え方をするのかといった基本的な部分について知ることです。
 簡単な言い方をすれば、砂漠の遊牧民やシベリアの民族はどのようなトイレ事情をもっているのかといったことです。
 砂漠なんてどこでやってもよさそうなものですが、やはり女性はそういう訳にはいかないでしょう。あんな広い場所では男性だって不安です。すると「やはり周囲を囲うだけにしても、なんらかのトイレめいたものは必要なのではないか」と思えてきたりします。

 逆にシベリアの民は、厳寒期にどうやって用を足すのか――顔や手はある程度寒さに耐えられるようになっていても、年じゅうズボンとパンツに守られているお尻なんてマイナス60度寒気にさらされたら一瞬で重大な凍傷になってしまいそうです。もちろん今ならそれなりの暖房機付きトイレということになりますが、100年前はどうだったのか? その瞬間だけのために火を焚き続けるのは不経済だし、そうかといって用を足したくなってから火をつけに行くようでは間に合いません。余計な心配と言えばそれまでですが・・・。

 中国人は家の中で靴を履いたまま生活しているのか、脱ぐのか。寝室はどうなっているのか。韓国・北朝鮮満州近辺の人々の生活習慣の決定的な違いは何か。
 スイスのように公用語が4つもある国のテレビ番組はどうなっているのか、役所の書類はどうなっているのか、そもそも職員はそれぞれ何か国語を喋れるのか――そういう疑問はいくらでも湧いてきますし、意外と調べにくいものでもあります。

「ココロがラクになる家事のコツ~世界を見渡して気づく~」のような特集は、そうした疑問に応えるもので、私にとってはとてもありがたいものなのです。
 さらに主題が「家事」となると、最近専業主夫としての誇りや喜びに目覚めた私としては、ぜひとも参考にしたい。しかし――。

 

【日本は家事の時短・省エネ国から20年は遅れている】

 特集の対談部分を読み始めると、あまりの意外性に「目からウロコ」どころか「目」そのものが落ちてしまいそうです。

「欧米の住宅では、間接照明が主流で部屋の中は薄暗いのが普通。汚れが目立たないので、私もイギリスでは、あまり神経質に掃除をしていなかったですね」(イギリス)

「ゴミの分別は日本の方が負担が大きいですよね。アメリカは燃えるゴミも燃えないゴミも全部一緒。」(アメリカ)

「料理をしない人は本当に多かったですよ。キッチンを使わないからピカピカだし、レンジフードは飾りだというジョークがあるくらい(笑)。子どものお弁当も、サンドイッチにポテトチップスとソーダとかが普通で、あまり手をかけない」(アメリカ)

「うちの子は現地の保育園に通っていたのですが、最初、パンの耳を切って、ツナとハムと卵と……というサンドイッチを作って持たせたら、『え-、こんなの作れるの!』と周りのママに驚かれました (笑)。他の子たちは何も塗らないパンにハム1枚をはさんだだけのものとりんご1個、とかで。それでも子どもって育つんだなって(笑)」(イギリス)

「滞在中は週に1回程度、クリーニングレディと呼ばれる方に来てもらって、掃除や洗濯をお願いしている家庭は多かったと思います。私も苦手なアイロンがけだけは、クリーニングレディに依頼していました」(イギリス)

シンガポールも自分の時間を大切にする文化です。現地の人たちはメイドさんに子どもを預けて、夜に夫婦でデートに出掛けたりということをごく普通にしています」(シンガポール

「中国ではお手伝いさんのことをアーイさんと呼ぶのですが、家事全般、アーイさんにお願いするのは割と普通のこと。(中略)現地ではみんながやっていることなので、気にせずに頼めるんです」(中国)

「イギリスでは、家事に時間をかけるよりも、ゆっくり本を読むとか、散歩をするとか、自分の時間を豊かに過ごすことの方が重要視されているように思います」(イギリス)

 冊子は続けてドイツ人の母親と日本人の父親の間で育てられた門倉多仁亜さんという方の話に移り、「タニア流:無理しない家事」というタイトルで日独文化論を展開します。

 ドイツ人は毎週、毎日のプランを立て、規則正しく生活することを大切にします。月曜日は洗濯、火曜日はアイロン、水曜日は掃除機……と曜日ごとにやる家事を決めている人が多いですね。

 またドイツ人はよく「きれい好き」とか「整理整頓が得意」といわれますが、これは家に物が少ないことも関係していると思います。

 ドイツの夕食は、「カルテスエッセン」といって、パンにハムやチーズなど火を使わない簡単な食事が定番。ある日本人女性が新婚当初、小皿料理を何品も作って食卓に並べました。すると「食べ物で遊ぶな」と夫に怒られたのだそうです。特別な日以外の普段の食事はシンプルに、というのが一般的なドイツ人の考え方なのです。

 つまり「ココロをラクにする家事のコツ」(なぜカタカナばかりなのだろう?)というのは、「手を抜け」「場合によってはやめてしまえ」「金を使って人にやってもらおう」ということなのです。
 しかもそれは単なる理念的な話でなく、“先進国”ではすでに常識的として具体的に実践されている。この分野で日本はおそらく20年以上遅れてしまっている、そういう話なのです。

 

【家事の時短・省エネは難しいことではないが――】

 たしかに燃えるゴミも燃えないゴミも全部一緒にしてしまえば分別の手間は省けますし、全部燃やしてしまえば「プラスチックゴミの輸出量世界第2位」といった汚名も一瞬にして消し去ることができます

 子たちは何も塗らないパンにハム1枚をはさんだだけのものとりんご1個で、たぶん、育ちます(アメリカに実例があるから)。

 家事の一部をプロフェッショナルに任せるのはいいかもしれません。しかし思い出してください。イギリスのクリーニングレディはほとんどがイギリス人の大嫌いな(EUを離脱してまでも排除しようとしている)あの「移民」ですし、中国のアーイさんは社会主義国に存在するはずのない「貧しい農村からの出稼ぎ」です。

 いくら週に1回程度、クリーニングレディと呼ばれる方に来てもらって、掃除や洗濯をお願いしている家庭は多かったとか、家事全般、アーイさんにお願いするのは割と普通のこととは言っても、クリーニングレディは自分の家の家事のために別のクリーニングレディを雇うことはないし、アーイさんはアーイさんを雇わないでしょう。

 つまりこうした家事代行業を成り立たせるためには、国内に常に一定の貧しい層を残しておかなければならないということです。

 現在の日本で週一のクリーニングレディを常時雇える家庭は1%もないでしょう。対談者たちが海外ではできた家事委託を日本国内で出来ないのは、それだけ安い賃金で家事全般を引き受けてくれる人がいないからです。

 この点でも大転換して、貧富の二極化をきちんと進めて、一回2000円くらいで月4回の家事を請け負ってくれえるプロフェッショナルな貧民層を生み出さないと、時短・省エネ先進国に追いついていけそうにありません。
 日本を、そうした国にしたいですか?

 

【能動的で主体的なもう一つの文明】

 ところで、ゆっくり本を読むとか、散歩をするとか、自分の時間を豊かに過ごすことは家事よりも価値が高いことでしょうか? 自分の時間を大切にする文化は家事に時間をかける文化よりの立派なのでしょうか?

 最近専業主夫となった自分が実際にやってみて初めて分かるのは、家事も他の労働同様に熟練と創造性と独創性に満ちた、とても面白く素晴らしい仕事だということです。
 近藤麻理恵の「人生がときめく片づけの魔法」ではありませんが、工夫すればいくらでも面白く簡単にすることができます。やるべきことは家事の質を落とさずにより簡便にしていくことで、そのための準備に十分に時間とエネルギーをかけることです。

 確かに、調理をせず、掃除をせず、面倒なことはクリーニングレディ、アーイと呼ばれる移民や地方出身者に任せれば家事ストレスはなくなるかもしれません。しかし毎朝シリアルかジャンクフードで朝食を済ませ、子どもにはハム一枚のサンドイッチを持たせ、間接照明でゴミを見ないようにして何もかも燃やしてしまう――それでも人間は心豊かに生きられるのか、そうやって「自分の時間」生み出すことに、どういう意味があるのか? 私は疑問に思います。
(そもそも外国の皆さまは、その大事な大事な「自分の時間」に何をしているのだろう?)

 文明は、一方で「自分がしてきたことを他人や制度や機械にしてもらうこと」を言います。したがって文明人は一様に依存的でしばしばガキです。
 しかし他方で、日々栄養バランスが良く見栄えも良い食事をつくり、障子の桟にもホコリのないほど室内を整え、クリーニングに出されたのと同じレベルの洗濯物をそろえることは、能動的で主体的で、それ自体が単純な機械文明とは別の、価値ある文明だと思うのですがいかがでしょう。

 



「ついでに思う三つのこと」シーナ、レインボーママ(二児の母)になる(拾遺)

 シーナの二度目の出産の折に感じた三つのこと
 今の車でありがたかった
 出産は案外金がかかる
 女の子を持つということの特別な意味等
 どうでもいいこと 三連発
というお話。

f:id:kite-cafe:20190619051738j:plain(写真はイメージ。本人ではありません)

 

【ドライブ支援のありがたさ】

 昨日書いたミルク運びの一週間。毎日片道40分の東京の道を二往復ずつしたのですが、思いのほか大変ではありませんでした。

 もちろんかつて短期間ではありましたが東京で運転手の仕事をしていたことがあって、この地域のドライバーがいかに親切で優しいかを知っていたということもありますが、片側三車線、右左折のレーンが複雑に入り組む都会の道を渡り歩くのに、現代は素晴らしい支援者がいるからです。
 自動運転装置とカーナビゲーションです。

 自動運転といっても私が運転したシーナの車についているのは、先行車との距離を一定に保ってくれるクルーズコントロールと高速道路で車線を維持してくれるハンドル支援。高速道路は使いませんでしたので、実際に使用したのはクルーズコントロールですが、これが実に勝手がいい。
 時速50kmなら「50km」と指定するだけで速度を維持してくれて、前に車が入れば自動的に速度を落とし、その車が抜けたり先行車がスピードを上げれば設定速度まで戻してくれる、そういう優れものなのです。

 うっかりスピードを出し過ぎたり、注意力を欠いて先行車に近づきすぎたりといったことは一切ありません。スピードメータに注意したり、横入りの車に気を使ったりということがまったくないのです。
 気をつけなくてはならないのは信号くらいなものです。

 もうひとつ。
 慣れない道でのカーナビの威力はもちろん知っていますが、シーナの車のナビには右左折する交差点の入り口で「ブン、ブン」と軽快な音を立ててくれる機能がついています。
 スピードが出過ぎているとダメなのですが、ある程度ゆっくりだと「ブン、ブン」と言われてからハンドルをきればいいので、“ナビを見ていたのに次の交差点と間違えて通り過ぎてしまった”といったことは起こりません。とても便利です。
 私はこの「ブン、ブン」がたいそう気に入って、タイミングが分かるようになると一緒に「ブン、ブン」と言って楽しんだものです。

 この二つの装置のお陰で、慣れない道もさほど疲れずに運転できます。そうなると遠い昔、助手席に地図を広げて高いビルや看板をと対照させながら、そして同時に周囲の車に気を遣いながら運転していた若い自分の神業に感心したりします。
 もちろん今はそんな技術はありませんし、神業に頼らなくていい素晴らしい時代の到来を肌身で感じているのです。

 

【赤ん坊は金がかからない――訳じゃないということ】

 少子化の問題に関してテレビを見ていると、“識者”の中には「若い夫婦の経済的負担を和らげない限り、少子化傾向に歯止めがかからない」といった意見を言う人がいたりします。
 そんなとき、私はたいてい心の中で、
「赤ん坊なんて、ちっとも金なんかかからないだろう」
と毒づいています。

 先日見たテレビドラマで、若い夫婦の男性の方が、
「子どもをひとり育てるのに一千万もかかるって言うじゃないか。そんな金、ウチのどこにあるんだ」
と、子どもを持ちたい妻の願いを跳ねのける場面がありました。しかし仮に一千万円かかるにしても(そんなにかからねぇだろう!)、そのうちの半分以上は子どもが大学に行くようになってからです。特に赤ん坊の間なんて、寝て、オッパイ飲んで、オムツを汚しているだけです。金なんてほとんどかからない。
「一か月のオムツ代なんて、オマエが飲み会を一回減らすだけで簡単に出てしまうぞ」

 ところが、今回の出産に関してシーナが病院に払わなけれなならなかった出産費用は65万円にもなったのです(赤ん坊の入院費用は別ですが全額保険適用なので0円)。健康保険から下りる「出産育児一時金」が一律42万円なので、その差23万円がシーナの持ち出しとなります。

 これは「東京」「大学病院」「夜間救急搬送」「(午後5時半だったための)時間外出産」などのさまざまな条件が重なったためですが、なんといっても最初の「東京」が大きい。
 ちなみに第一子のハーヴの場合は、「田舎」の「総合病院」で「時間内出産」だったために、出産費用は40万円弱。一時金は出産費用が42万円より少ない場合、差額が本人に渡されるため、ハーブのときは黒字になったのです。つまり産んだら儲かった――。
 “産んだら儲かる”のと“23万円の支出”とでは、天と地ほども違います。若い夫婦の中には払えない人も出てくるかもしれません。

 これは私の無知でした。
 田舎では市町村から祝い金として10万円~20万円と贈られるところもあります。少子化を本気で考えるなら、日本中どこで産んでも家計を逼迫させない根本的な仕組みがないと無理かもしれません。
 田舎ではなく、都会の出生率が爆発的に上がって、溢れた子どもたちの親が良き環境を求めて地方に下る、そして地方を潤す。そんなふうにはならないものかと、改めて考える機会になりました。

 

【女の子を持つということ】

 終わり良ければすべてよし。
 二度の分娩は二回とも大変でしたが、シーナは「私にしては安産」とか言って、いずれはもう一人産みそうな気配さえ見せています。

 産んでくれるのはもちろんいいのですが、親の私たちも気が気ではありません。
「それでも1度目より2度目の方が多少なりとも楽だったのだから、3度目はもっと楽なのかもしれない」
 そう思うよりほかにありません。
 そこでふと考えたのは、これがシーナでなく、アキュラの嫁だったらそこまで気を揉んだのかということです。

 おそらくそうではないでしょう。
 出産の最悪のかたちは赤ん坊と母親の死です。赤ん坊が危険だということになればシーナは当然「自分はいいから、赤ん坊を助けて」と言うに違いありません。しかしその父親である私は「母親(シーナ)の方を助けろ」と言うでしょう。そして口にしてはいけないことまでしゃべるかもしれません。
「赤ん坊なんてまた産めばいいじゃないか!」
 親とはそういうものです。

 しかし息子の嫁は自分が育てた人間ではありません。シーナに対する思いと同じようにその子を見ることはできないかもしれない――。ひじょうに冷たい言い方になりますが、客観的にはそういうこともあり得ます。
 ただしそれにもかかわらず、他方で私はその子も大切にするだろうという想いもあるのです。

 日本の家制度は古くて封建的で一刻も早く克服しなければならないように言う人がいますが、一面でよくできた制度だとい言いたくなる面もあります。

 自分の娘は可愛いしその娘が産んだ孫はやはり可愛い。しかしその子は家制度の下では“他家の子”なのです。違う名字をもって大人になり、私たちの面倒なんか見てくれません。
 他方、息子の配偶者はよそ様が産んだ見知らぬ女ですが、その人は私の姓を継ぐ子の母親となります。

 古い常識にとらわれて息子が「家を継ぐのは自分なのだから、当然、親の面倒はオレが見る」ということになると、私自身の最後の世話はその女性にも頼まなくてはならないかもしれないのです。
 情の上ではシーナに勝る女性はいないはずなのに、結局アキュラの配偶者も同じように大事にすることになる――家制度はそんなふうに守られてきたのだなと、改めて思ったものです。

                  (この稿、終了)

「初めてのことと慣れたこと、そして経産婦あるある」~シーナ、レインボーママ(二児の母)になる3

 予定がすべて狂った第二子の出産
 さらに 前回は里帰り出産で 母子同時退院
 それが都会での出産となり 母子別退院となると
 さまざまに違った面が出てくる
というお話

f:id:kite-cafe:20190619215523j:plain(写真はイメージ。本人ではありません)

 

【初めてのことと慣れたこと、そして経産婦あるある】

 産まれた赤ん坊は体重わずか2300gあまり。そのまま保育器に入ることになります。
 第一子のハーヴも保育器への直行でしたが、新生児仮死で産まれたハーヴと早産ながら35週と十分な時間のたっている2300g越えの第二子とでは、心配の度合いが違います。
 元気に「オギャー」と叫んで生まれた子ですので、シーナの張り切り方も違います。

 またハーブの生まれた病院はできるだけ早く母子同室にする方針だったので病棟のあちこちから泣き声が聞こえて、それが横に子どものいないシーナをどれほど傷つけた分からないのですが、今度の病院は新生児を母親の横に一切置かない方針のようで、病室からは子どもの声は全く聞こえないのです。

 皆と同じだという状況はずいぶんシーナの支えになりましたし、横に赤ん坊のいないことで体力的にもずいぶんと休まったようです。

 1日4回、1階につき30分の面会というのはハーヴのときと同じで、慣れたものだと余裕さえ見せています。
 そんな余裕からか、12時間半もかかった出産も「私にしては安産」と、シーナは肯定的にとらえます。いつどんな場合も、前向きに気持ちを切り替えられるのはこの子の最も優れた点です。

 ただし慣れていたからこそ戸惑うことも少なくなかったようです。
 例えば沐浴の際、以前は顔を石鹸で洗わず、ガーゼを使ってお湯だけで拭くように言われたのが、今は積極的にベビーソープを使うように言われるとか、細々とした点で違いがあり、そのたびに、
「これも経産婦あるあるなのですが――」
と看護師さんから説明を受けたようです。第一子と二子と違いに戸惑うことは、経産婦にはよくある話だという意味のようです。

【里帰り出産でないとこうなる】

 私はと言えば産まれたその晩に赤ん坊に会いに行き、新生児科の特別病棟のガラス越しに赤ん坊を見て、翌日は、以前書いた通り息子のアキュラの引っ越し。夕方、そのアキュラとともに病院にってまた同じ部屋で赤ん坊を眺め、さらに翌日――これは書きませんでしたが――引っ越しの際に新たに発見された不手際のために、三度目のアキュラのアパートへ。そしてその日の夕方、妻が一人でかっ飛ばしてきた軽自動車を運転して田舎に戻りました。

 翌日は妻に勤務があり、私に畑の世話があり、婿のエージュは運動会の振替で家にいたからです。

 ただし1日半家にいただけで私は再び東京に戻ります。孫のハーヴを見る人がいないからです。
 出産を終えたシーナは病人ではないので一週間で退院してきますが、赤ん坊の方は早産の基準の上限である妊娠36週6日までは病院から出してもらえません(下限は妊娠22週0日)。
 つまりシーナの退院までの1週間(実際にはすでに消化した3日間を除く4日間)は、ハーヴの面倒を見るために、そして退院してからはさらに大変な仕事のために、私は東京に残らなければならなかったのです。大切な仕事とは「ミルク運び」のことです。

【ミルク運びの日々】

 シーナが入院中は1日4回、1回につき30分の面会のたびに乳をやっていればよかったのですが、母乳の生産者が退院してしまうと、母乳そのものを配達しなくてはならなくなります。

 具体的に言えば午前10時にシーナを病院に届けそこで授乳。午後3時に私が迎えに行く直前に再び授乳。残った時間の乳についてはシーナが家で搾乳したものを凍らせて病院に預け、時間を測って保育士さんが哺乳瓶から与えるのです。

 この搾乳というのもなかなか大変で、昼夜を問わず3時間おきに行っては冷凍保存し、搾乳器はそのたびに熱湯消毒しなくてはなりません。母子一緒に退院して来くれば必要のない作業ですので負担感も多少大きくなります。
 ただしこうした作業のために私たちがウンザリしてしまったかというと、そうではないのです。

【出産はいつも奇跡の連続だ】

 ひとつにはハーヴのときと違って見通しがあるということ。

 初めて直に乳を与えるときは新生児は乳首をうまく咥えられない。咥えても簡単に乳が出て来ない。人間の乳首は哺乳瓶のようには楽に乳を通してくれないのです。

 ハーヴのときはそれがつらくて、シーナは様々に工夫し、何とかしっかり咥えさせよう飲ませようと何度も挑戦したみたいです。ところが第二子の場合はうまく行かなくても気楽に構え、
「大丈夫よ。今にうまくなるから」などと声を掛けたりしているらしいのです。

 沐浴のときの泣き声も、ハーブのそれは悲鳴に聞こえ、第二子のそれは歓声に聞こえているのかもしれません。

 新生児のための七面倒くさい作業がイヤでないのは、人生においてそうした経験がそう何度もあるものではないからです。自分の子どもについて言えばせいぜい2~3回。孫の世話を全部しても今どき10人以上ということはないでしょう。それに孫の場合は、厄介な部分を全部子に任せられます。

 そしてなにより、奇跡の場に立ち会えたということが私の喜びを大きくします。
 先日も引用したテレビドラマ「コウノドリ」の台詞から引用すると、

 たくさんの試練を乗り越えて赤ちゃんはこの世にやって来る。出産はいつも奇跡の連続だ。

 それを喜ばずに、何を喜びとできるのでしょう。
 私は喜々としてその仕事を遂行しました。
                        (この稿、続く)