カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「能動的で主体的なもう一つの文明」~家事の時短・省エネは難しくないけれど―― 

 家事の時短・省エネという面で 日本は20年遅れてしまったらしい
 しかしだからと言って この国がダメな国だとは限らない
 何が正しいのか しっかり考え直そう
というお話。

f:id:kite-cafe:20190621052959j:plain(ジョージ・ベローズ「ニューヨーク」)

【ココロがラクになる家事のコツ】

 ある住宅メーカーから送られてきた冊子に、「ココロがラクになる家事のコツ~世界を見渡して気づく できること・しなくていいこと」という特集があり、一種の比較文化論みたいな感じの対談が載せられていたので、思わず手に取りました。海外生活の経験のある主婦たちの対談集です。
 
 私は元社会科教師ですが、地理はもちろん歴史を教えていても、本当に難しいのは各国の庶民がどのような生活をし、どのようなものの考え方をするのかといった基本的な部分について知ることです。
 簡単な言い方をすれば、砂漠の遊牧民やシベリアの民族はどのようなトイレ事情をもっているのかといったことです。
 砂漠なんてどこでやってもよさそうなものですが、やはり女性はそういう訳にはいかないでしょう。あんな広い場所では男性だって不安です。すると「やはり周囲を囲うだけにしても、なんらかのトイレめいたものは必要なのではないか」と思えてきたりします。

 逆にシベリアの民は、厳寒期にどうやって用を足すのか――顔や手はある程度寒さに耐えられるようになっていても、年じゅうズボンとパンツに守られているお尻なんてマイナス60度寒気にさらされたら一瞬で重大な凍傷になってしまいそうです。もちろん今ならそれなりの暖房機付きトイレということになりますが、100年前はどうだったのか? その瞬間だけのために火を焚き続けるのは不経済だし、そうかといって用を足したくなってから火をつけに行くようでは間に合いません。余計な心配と言えばそれまでですが・・・。

 中国人は家の中で靴を履いたまま生活しているのか、脱ぐのか。寝室はどうなっているのか。韓国・北朝鮮満州近辺の人々の生活習慣の決定的な違いは何か。
 スイスのように公用語が4つもある国のテレビ番組はどうなっているのか、役所の書類はどうなっているのか、そもそも職員はそれぞれ何か国語を喋れるのか――そういう疑問はいくらでも湧いてきますし、意外と調べにくいものでもあります。

「ココロがラクになる家事のコツ~世界を見渡して気づく~」のような特集は、そうした疑問に応えるもので、私にとってはとてもありがたいものなのです。
 さらに主題が「家事」となると、最近専業主夫としての誇りや喜びに目覚めた私としては、ぜひとも参考にしたい。しかし――。

 

【日本は家事の時短・省エネ国から20年は遅れている】

 特集の対談部分を読み始めると、あまりの意外性に「目からウロコ」どころか「目」そのものが落ちてしまいそうです。

「欧米の住宅では、間接照明が主流で部屋の中は薄暗いのが普通。汚れが目立たないので、私もイギリスでは、あまり神経質に掃除をしていなかったですね」(イギリス)

「ゴミの分別は日本の方が負担が大きいですよね。アメリカは燃えるゴミも燃えないゴミも全部一緒。」(アメリカ)

「料理をしない人は本当に多かったですよ。キッチンを使わないからピカピカだし、レンジフードは飾りだというジョークがあるくらい(笑)。子どものお弁当も、サンドイッチにポテトチップスとソーダとかが普通で、あまり手をかけない」(アメリカ)

「うちの子は現地の保育園に通っていたのですが、最初、パンの耳を切って、ツナとハムと卵と……というサンドイッチを作って持たせたら、『え-、こんなの作れるの!』と周りのママに驚かれました (笑)。他の子たちは何も塗らないパンにハム1枚をはさんだだけのものとりんご1個、とかで。それでも子どもって育つんだなって(笑)」(イギリス)

「滞在中は週に1回程度、クリーニングレディと呼ばれる方に来てもらって、掃除や洗濯をお願いしている家庭は多かったと思います。私も苦手なアイロンがけだけは、クリーニングレディに依頼していました」(イギリス)

シンガポールも自分の時間を大切にする文化です。現地の人たちはメイドさんに子どもを預けて、夜に夫婦でデートに出掛けたりということをごく普通にしています」(シンガポール

「中国ではお手伝いさんのことをアーイさんと呼ぶのですが、家事全般、アーイさんにお願いするのは割と普通のこと。(中略)現地ではみんながやっていることなので、気にせずに頼めるんです」(中国)

「イギリスでは、家事に時間をかけるよりも、ゆっくり本を読むとか、散歩をするとか、自分の時間を豊かに過ごすことの方が重要視されているように思います」(イギリス)

 冊子は続けてドイツ人の母親と日本人の父親の間で育てられた門倉多仁亜さんという方の話に移り、「タニア流:無理しない家事」というタイトルで日独文化論を展開します。

 ドイツ人は毎週、毎日のプランを立て、規則正しく生活することを大切にします。月曜日は洗濯、火曜日はアイロン、水曜日は掃除機……と曜日ごとにやる家事を決めている人が多いですね。

 またドイツ人はよく「きれい好き」とか「整理整頓が得意」といわれますが、これは家に物が少ないことも関係していると思います。

 ドイツの夕食は、「カルテスエッセン」といって、パンにハムやチーズなど火を使わない簡単な食事が定番。ある日本人女性が新婚当初、小皿料理を何品も作って食卓に並べました。すると「食べ物で遊ぶな」と夫に怒られたのだそうです。特別な日以外の普段の食事はシンプルに、というのが一般的なドイツ人の考え方なのです。

 つまり「ココロをラクにする家事のコツ」(なぜカタカナばかりなのだろう?)というのは、「手を抜け」「場合によってはやめてしまえ」「金を使って人にやってもらおう」ということなのです。
 しかもそれは単なる理念的な話でなく、“先進国”ではすでに常識的として具体的に実践されている。この分野で日本はおそらく20年以上遅れてしまっている、そういう話なのです。

 

【家事の時短・省エネは難しいことではないが――】

 たしかに燃えるゴミも燃えないゴミも全部一緒にしてしまえば分別の手間は省けますし、全部燃やしてしまえば「プラスチックゴミの輸出量世界第2位」といった汚名も一瞬にして消し去ることができます

 子たちは何も塗らないパンにハム1枚をはさんだだけのものとりんご1個で、たぶん、育ちます(アメリカに実例があるから)。

 家事の一部をプロフェッショナルに任せるのはいいかもしれません。しかし思い出してください。イギリスのクリーニングレディはほとんどがイギリス人の大嫌いな(EUを離脱してまでも排除しようとしている)あの「移民」ですし、中国のアーイさんは社会主義国に存在するはずのない「貧しい農村からの出稼ぎ」です。

 いくら週に1回程度、クリーニングレディと呼ばれる方に来てもらって、掃除や洗濯をお願いしている家庭は多かったとか、家事全般、アーイさんにお願いするのは割と普通のこととは言っても、クリーニングレディは自分の家の家事のために別のクリーニングレディを雇うことはないし、アーイさんはアーイさんを雇わないでしょう。

 つまりこうした家事代行業を成り立たせるためには、国内に常に一定の貧しい層を残しておかなければならないということです。

 現在の日本で週一のクリーニングレディを常時雇える家庭は1%もないでしょう。対談者たちが海外ではできた家事委託を日本国内で出来ないのは、それだけ安い賃金で家事全般を引き受けてくれる人がいないからです。

 この点でも大転換して、貧富の二極化をきちんと進めて、一回2000円くらいで月4回の家事を請け負ってくれえるプロフェッショナルな貧民層を生み出さないと、時短・省エネ先進国に追いついていけそうにありません。
 日本を、そうした国にしたいですか?

 

【能動的で主体的なもう一つの文明】

 ところで、ゆっくり本を読むとか、散歩をするとか、自分の時間を豊かに過ごすことは家事よりも価値が高いことでしょうか? 自分の時間を大切にする文化は家事に時間をかける文化よりの立派なのでしょうか?

 最近専業主夫となった自分が実際にやってみて初めて分かるのは、家事も他の労働同様に熟練と創造性と独創性に満ちた、とても面白く素晴らしい仕事だということです。
 近藤麻理恵の「人生がときめく片づけの魔法」ではありませんが、工夫すればいくらでも面白く簡単にすることができます。やるべきことは家事の質を落とさずにより簡便にしていくことで、そのための準備に十分に時間とエネルギーをかけることです。

 確かに、調理をせず、掃除をせず、面倒なことはクリーニングレディ、アーイと呼ばれる移民や地方出身者に任せれば家事ストレスはなくなるかもしれません。しかし毎朝シリアルかジャンクフードで朝食を済ませ、子どもにはハム一枚のサンドイッチを持たせ、間接照明でゴミを見ないようにして何もかも燃やしてしまう――それでも人間は心豊かに生きられるのか、そうやって「自分の時間」生み出すことに、どういう意味があるのか? 私は疑問に思います。
(そもそも外国の皆さまは、その大事な大事な「自分の時間」に何をしているのだろう?)

 文明は、一方で「自分がしてきたことを他人や制度や機械にしてもらうこと」を言います。したがって文明人は一様に依存的でしばしばガキです。
 しかし他方で、日々栄養バランスが良く見栄えも良い食事をつくり、障子の桟にもホコリのないほど室内を整え、クリーニングに出されたのと同じレベルの洗濯物をそろえることは、能動的で主体的で、それ自体が単純な機械文明とは別の、価値ある文明だと思うのですがいかがでしょう。