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「ネット時代に入って、恋愛が腑に落ち、憑き物も落ちた」~若者の進みすぎた性生活と、あまりにも遅れた若者の話③  

 21世紀の若者たちにとって、
 恋愛もひとつの娯楽コンテンツに過ぎない。
 選ぶ人もいれば、選ばない人もいる。
 よく世界が見えているので、突き動かされることもない。
 という話。
(写真:フォトAC)

【21世紀の若者たち】

 21世紀の若者たちの恋愛や結婚について語ろうとするとき、私には強い印象を残したひとつの出来事がありました。それは十数年前、私が山の小さな学校に勤めていたころのことです。

 当時の勤務校には独身の女性教師が何人もいました。私は彼女たちに結婚を勧めたかったのですが、娘の「何も手札もないまま結婚を持ち出せばセクハラなる」とのアドバイスもあって、手をこまねいていたのです。
 結婚をさせたかったことにはちょっとした下心があって、平成の凄まじく難しい採用試験を抜けてきた超がつくほど優秀な先生たちが、どんな子育てをするのか、その様子を見てみたかったのです。彼女たちがどんな母親になって何を信念とし、どんな子育てをするのか――きっとそこにはすばらしい工夫があって、個性豊かな面白い子が育つに違いない、とそんなふうに思っていました。優秀なエリートには情がないみたいな言い方をする人がいますが、そんなことはありません。仮に多少劣る人がいたとしても、彼らはすぐに“表現”を学んでしまいますから愛を伝えるのがとてもうまいのです。
 
 ところが学校社会に独身の男性は驚くほど少なく、そこで地方公務員の弟に相談するとふたつ返事で、
「おう! オレも気になっていたところだ。こちらには独身男が腐るほどいるから5~6人見繕って、束にして送ってやる」
と、そういうことになったのです。
 ところがそれから二カ月ほどして、弟はとんでもない回答をもって戻ってきたのです。

【誰も結婚する気がない】

 誰も結婚する気がない――それが弟のもたらした答えでした。
「いや、いいです」「今は結婚する気はありません」「まだまだその気になれません」
 中には、
「課長(当時の弟のこと)が首根っこを掴んで連れて行って、『どうしてもこの女と結婚しろ』というなら従ってもいいですけど、自分からはなかなか・・・」
と、妙な断り方をする職員もあったといいます。これには兄弟で呆れて以後「部下を結婚させる作戦」は二度と発動させることはありませんでした。

 ただし学ぶことはとても多かった――。
 最後の「『どうしてもこの女と結婚しろ』というなら・・・」はとても象徴的な発言で、要するに信念に燃えた非婚ではないということ、結婚してもいいのだけれどそこまでの道のりを考えるとものすごく面倒くさい。逆に言えば結婚や恋愛に、面倒くささを乗り越えさせるだけの魅力を感じていない、そこまでやって追求すべきものとは思っていないということです。

【ネット時代に入って娯楽における恋愛の地位が下がる】

 2000年代に青春期を迎えた若者の最大の特徴はIT強者であることです。
 インターネット元年と言われたのはWindows95の発売された1995年ですが、早くも5年後、大型掲示板「2ちゃんねる」で煽られた17歳の少年がバスジャックを敢行して人を殺すという事件が起こります。これによって私たちは、単なる親ぼくの場ではないBBS(ネット掲示板)の存在を知ることになりました。一日中この世界で生きているかなりの数の人たちがいたのです。
 20世紀の私たちが家に帰ってからできることと言えば、テレビを見てラジオを聞き、本を読んだり電話で長話をしたり、あるいはテレビゲームと、その程度のことでした。ところがインターネットによって娯楽の幅が大きく広がり、個々、楽しいことや面白いことが異なってきます。そして恋愛や結婚も、そうした多様な娯楽コンテンツのひとつに成り下がっていくのです。

 恋愛も結婚生活も確かに面白そうだ。しかしルールが複雑で不確定な要素が多すぎる。それよりネット上のゲームややり取りは、ルールが分かりやすく、努力次第で上達も早い。そして何より匿名で参加できる上にうまく行かなかったり退屈だったりすれば、ログオフしたりシャットダウンすればあとくされなく次に移ることができる。そこが人間関係にはない優れた部分でした。安心・安全がいちおう保障されていたのです。

【解消される動物性】

 恋愛や結婚の地位が下がったことにはもうひとつの理由があります。性欲の問題です。
 私のような昔の人間は若いころ、どうにも制御の利かない自ら性欲に苦しんだものです。しかしネット時代の男の子たちは違います。ちょっとその世界を駆け回るだけで、視覚的・聴覚的に満足感を与えるサイトはいくらでも発見できますし、眺めているだけでさまざまな学びがあります。そして醒めてしまうのです。
「いや性欲とはそれで済むものではないだろう」という見方もありますが、どうでしょう? 
 もしかしたら私たちの若いころの「性欲」の半分くらいは動物性のものではなく、単なる好奇心、知識欲、探究心だったのかもしれません。なにしろ調べて理解するには書籍か体験しかなく、両方とも簡単に手に入るものではなかったからです。

 腑に落ちたら憑き物も落ちたというのはしばしばあることです。ネット時代の子どもたちは、すぐに調べてすぐ腑に落ち、そしてしばしばすぐに興味を失ってしまうのです。
 (この稿、明日最終)