カイト・カフェ

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「恋愛のエネルギーは枯れて、ハードルはなお高い」~若者の結婚観が変わる③

 恋愛をして相手を見極めた上で結婚すべきという考え方は、
 戦後のごく短い期間のブームだったのかもしれない。
 もはやエネルギーは枯れ、
 高く数多い恋愛結婚のハードルを越えられなくなっているのだろう。
 しかし可能性は、だからこそある。

という話。

f:id:kite-cafe:20200116071107j:plain(「ウエディング」PhotoACより)

フロイト先生の教え】

 高校時代は心理学研究会に入って、御多分に漏れずフロイトなんかに夢中になっていました。

 しかしフロイト先生の困ったところは何でもかんでも性欲に結びつけてしまうところです。当時、私はクラス内に思いつめた女の子がいたのですが、それを性欲で解かれるのは非常に不愉快でした。

 今でもこの件に関しては“何でもかんでも性欲はないだろう”と思いますが、女性と会って心臓がドキドキしても“恋”より“心筋梗塞”を疑う年齢になると、一部分、理解できない面もなくはありません。やはり「性欲」のエネルギーがないと、”燃えるような恋”にはなりそうにないのです。

【恋愛のエネルギーは枯れた】

 私の理解だと、恋愛は「好意」と「依存心」と「性欲」に支えられた何ものかで、大人になって「依存心」を失うと、火がついても大火にはなりません。さらに「性欲」が減衰すると火もつかない。

 「性欲」の減衰は、なにも年齢からくるものばかりではありません。
 人間のそれはたぶん動物的な反応というよりは好奇心に煽られた部分が圧倒的で、私たちの世代だと、情報遮断のために抑えられた好奇心がとんでもなく膨らんで妄想を生み出していたように思うのです。

 学校に性教育なんてありませんでしたし、本屋でその種の本を買う勇気もない。勇気を振り絞ったところで一般書店に売っている書籍には限界がある。仲間の中には年齢を偽って18歳未満禁止の映画を見に行ったなどという猛者もいましたが、私にはそんな根性はない。

 売春防止法(1957年)以前に青春時代を送った私の父親世代だと、兄弟の自慢話を聞きながら様々に勉強していた男の子も、その男の子の教示を受けたほかの男子もたくさんいたようですが、私たちの世代は決定的に情報から遮断されすべてが暗中模索。それが必要以上に好奇心を、ひいては性欲を昂じさせていたところはあります。

 しかし現代、その好奇心の部分がインターネットであっという間に充足させられてしまうと、残った“動物的な反応としての性欲”は、言ってみれば排泄問題です。それ以上、何もない。

 私たちの世代には“モテたくてギターを始めたヤツ”がいて“モテたいがために無理して免許を取り車を買うヤツ”がいて、“モテたいばかり不似合いな高級ホテルのディナーを予約するヤツ”がいました。一から十までがモテるためでした。
 バカみたいですね。

 “近頃の男の子は覇気がなくなった”とか“草食系男子”だとか揶揄しますが、バカみたいにのたうち回っていた自分たちの青春時代を考えると、恋愛のエネルギーの枯れた今の男の子の方がよほどスマートで格好よく思えます。

【恋愛結婚のハードルはあいかわらず高く、数も多い】

 若者を取り巻く環境はすっかり変わりましたが、恋愛結婚のハードルが高く、障害の数多いことは今も昔と変わりません。
 とりあえず身近に一定数の異性がいないと話が始まらない。

 中学校までだと男女ほぼ同数が教室に入れられていますが、高校に進学したとたんに偏りが生まれます。工業高校と商業高校では男女比にだいぶ差があり、普通科でも同数ということはほとんどありません。男子高や女子高は恋愛環境としては最悪です。

 社会人となってもばらつきは解消せず、職場に適齢の異性がほとんどいない場合も少なくありません。花婿500に嫁ひとりでは最初から戦意喪失でしょう。
 日本の場合、大人になってからの恋愛の場はほぼ職場に限られますから、そこに対象者がいないと相手探しも始まらないのです。
 これが第一のハードルで一番高い。

 そのハードルを越えても、職場の異性の中に気持ちの動く人がいないとそれまで。
 さらに気にいった人を発見できたとしても、相手がこちらを振り向いてくれなければ恋愛は始まりません。
 声をかけるとか食事に誘うとか、気に入りそうなプレゼントを用意するとか、小さなハードルはいくつもありますが、好きな相手から愛されるというのが次の大きなハードルになります。
 これもなかなか越えがたい。

 結婚に至るには、資金的余裕があるのかと社会人としてキャリアにどう影響するかとかいった具体的なハードルもありますが、それは“愛の力”で何とかしましょう。
 そのうえでプロ―ポーズをして承諾を受けて、さあこれですべてよしかと思ったら親が立ちはだかる――そんなこともありえます。
 いずれにしろ恋愛を経て結婚に至るハードル走は、分析してみるとかなり大変、そうとうなエネルギーがないと走り続けることはできません。

少子化問題の救世主】

 若者の興味関心のトップの座から、恋愛はすでに滑り落ちているのかもしれません。少なくともダントツ一位だった私たちの時代とは違います。

 楽しいこと面白いことは山ほどあり、バブルの時代とは異なり、平成の大不況を越えた今日の娯楽は廉価なものが主流です。ネットゲームを含むインターネット関連のほとんどは、無料感覚で遊べます。しかも退屈しない。

 セクハラ・マリハラ撲滅運動のおかげで親でさえ“結婚”を口にしなくなり、独身であることの社会的ストレスも減りました。
 女性の7人にひとり、男性の5人に一人は生涯未婚ですから独身者は巷に溢れ、恥ずかしく思うこともない。そのことは同時に、いつまでも一緒に遊んでくれる友だちがいるということでもあります。

 これでは少子化も止めようがない――と、しかしここに救世主のような概念が登場します。
 それが昨日お話した「交際ゼロ日婚」です。

(この稿、続く)