「男が女を置き去りにする国と『でき婚』という道徳を持つ国」~アメリカ議会中間選挙の不可解な争点

アメリカ議会の中間選挙が近づいているが、
争点のひとつは人工妊娠中絶の是非だそうだ。
しかし女性が置き去りにされる国で、中絶がなくなったらたいへんだろう。
それに引き換え我が国は――。
という話。
(写真:フォトAC)

アメリ中間選挙が近づく】

 アメリ中間選挙(11月8日)まで一カ月を切っています。
 いつもは大統領の野党に有利に動くと言われている中間選挙。しかし今回は単純に共和党有理とはならないようです。最も大きな争点のひとつが人工妊娠中絶の是非で、両者絶対にあとに引かない覚悟で拮抗しているからです。
 
 ことの発端は6月末、連邦最高裁が、妊娠中絶を「憲法上の権利」と認めた49年前の判例を覆したことでした。これによって全米50州のうち少なくとも21の州で中絶が禁止または厳しく制限される可能性があるとみられているのです。
 「胎児の生命尊重」を掲げる中絶反対派は共和党を支持する保守的なキリスト教徒に多く、最高裁の判断を大いに歓迎しています。それに対して中絶容認派はリベラルな民主党支持層に多く、「女性が出産か中絶かを選択する権利を奪われる」と激しく反発しているのです。
 
 私は人工妊娠中絶を良いことだとは思いませんし、しなくてもよい社会が来るなら禁止してもかまわないと思うのですが、現実はそうではありません。とくにアメリカにおいては、禁止するよりも容認するメリットの方が大きいように思うからです。

【男が女を置き去りにする国】

 アメリカという国は、女性の妊娠に対して男が責任を取らない国です。
 全米にシングルマザーが1000万人もいて、そのうち約半分が非婚(あとは離別・死別)です。500万人もの男たちが、みんな逃げてしまったのです。

 それは最近の傾向というわけでもありません。
 2008年にアンジェリーナ・ジョリーが主演した「チェンジリング」という映画の中で、シングルマザーである主人公が子どもから、
「パパはどうしたの?」
と訊かれる場面がありました。母親はこう答えます。
「あなたが私のお腹にいるときに、パパのところに大きな荷物が届いたの。その”責任“という荷物が重すぎて、パパは逃げ出したのよ」
 正確ではないと思いますがそんな内容でした。映画は1920年代の実話を元としたものですから、100年前の男たちも恋人の妊娠を知ると逃げていたわけです。

 いやいや男が逃げる歴史はもっと古くて、西部開拓時代にまで遡れるかもしれません。
 英語に「ショットガン・マリッジ」という言葉があって、これは妊娠した女性の父親が銃を手にして、「娘と結婚して責任を取るか、それとも死か」と迫るところからきたものだと言われています。いわゆる「でき婚」のことです。

 100年前も200年前もそして現在も、アメリカの男たちはまず逃げ出すことを考えます――そんな国で人工妊娠中絶が禁止されれば、子どもを産んで育てる全責任を、女性一人が背負わされかねません。女性一人が負うべき軽い責任ではないでしょう?
 中間選挙で中絶が大きな争点となるのはよく分かります。だから民主党、がんばれ。

【「でき婚」という道徳】

 翻って日本のシングルマザーの数はおよそ120万人。しかも非婚の割合は10%弱しかいません。逃げた男、責任を取らなかった男が、12万人程度しかいないのです(もちろん「逃げた」「責任を取らなかった」で一括りにできない場合もありそうですが、数は極めて少ないでしょう)。

 日本の場合、交際中のカップルに子どもができたら「結婚するのは当たり前」が今も暗黙の了解です。この不文律に逆らう者は極悪非道と考えられています。逃げたことが悪いというより、そもそも真面目なつき合いでなかったことが咎められるわけです。
 しかし実際の極悪非道はそう多いわけではなく、「でき婚」の多くは妊娠を機に踏ん切りをつけようとか、きちんとした形で親の前に出ようと言ったもので、責任を取るうんぬんの話ではないのです。

 ひと昔というか、ふた昔三昔前、新婦のお腹が大きかったり子連れだったりすると親戚の表情が曇ったものですが、今ではそういうこともありません。真面目に交際して妊娠を機に籍を入れる、それでいいとほとんどの人が考えて受け入れる、そうした倫理が生きている限り、この国は大丈夫です。