カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「必要なものしか手に入らない世界」~老人が社会から取り残されるもうひとつの理由

ネット社会は便利なもので、必要なものの大部分は簡単に手に入る。
しかしとりあえず不要な知識が、偶然目に入ったり、
勝手に入り込んでくることはほとんどない。
いま必要なものだけ囲まれた世界に、未来はないにもかかわらず。
という話。(写真:フォトAC)

【マイナポイントが分からない】 

 マイナンバーカードをまだつくっていません。大した理由のあることではありません。
 つい最近まではつくるメリットがなかったからで、ポイント付与の話があってからはちょっとしたためらいがあってウダウダしているのです。マイナポイントが分からないのです。
 「最大20000円分のマイナポイントがもらえます」
というのは分かります。しかしそのマイナポイントはどこに入れたらいいのか、あるいはどこに入るのか、そこが分からない。ネットで調べればいいようなものですが、調べるのにどれくらい時間がかかるのか、たどり着くのか――そんなことを考えているうちに時間が過ぎてしまいました。
 もっとも締め切りのある話、切羽詰まれば私とて本格的に着手することでしょう、そんなふうに思っていました。

 ところが先日、ぐうぜん弟に会った際に、
マイナンバーカード持ってる?」
と訊ねると、
「ああ、つくったよ」
「あのさ、あのポイントって何さ?」
「ああ、あれは何でもいいんだよ。オレは全部Tポイントカードにしたよ」

 その間10秒足らず。ほぼ思っていた通りですんなり解決しました。
 ネットもいいですが、「ものごとの一番手取り早い解決方法は知っている人に聞く」は、人間社会の鉄則です。個人として力を持つことも大切ですが、力を持っている人をたくさん知っていて、すぐに訊けるような人間関係を持っていることは、さらに大切です。

【情報過多の時代の情報不足】

 コロナ禍も2年半を過ぎて、私もそうとうに倦んでいます。
 日常的に話す相手は妻と介護中の母だけ。LINEを通じてのやり取りするのも娘と息子に限られていてそれも頻繁ではありません。テレビもラジオもありますから人の声に不自由することもありませんし、コンピュータの前に何時間でも座っていられる人間ですから文章を読んでいるだけで時間はいくらでも潰せます。しかし何かすっきりしない。

 暇を持て余しているわけではありません。特に夏の今は畑仕事も忙しく、キュウリやナスはせっせと収穫しなければすぐにオバケ状態になりますし、葉物野菜も繰り返し間引きしないと成長に差し支えます。そして何より雑草取りは日常仕事です。また9月に入ったこれからは、秋野菜の種付けと苗の管理が忙しい時期です。遊んでいる暇はありません。
 それなのに倦んだ感じになるのはなぜか――最近気がついたのは、私がある種の情報不足に苦しんでいるということでした。

 これだけ情報過多と言われる時代に何の情報不足かと思われるかもしれませんが、いま手に入る情報の大部分は私が欲しがっている情報で、不要な情報はほとんど入って来ないのです。ネットが私をフィルターバブルで包んでいますから、おそらく余計な情報を目にする機会は極端に減っています。テレビやラジオ・新聞などにフィルターはかかりませんが、その代わり番組とか紙面とかいった枠があり、私が望まない限り新たな情報に触れることはないのです。気まぐれに料理番組にチャンネルを合わせても、私ひとりのために丁寧に話してくれることはありません。


【社会は向こうから絡んでくる】

 人間の直接触れ合う社会は違います。
 会社勤めでもしていれば否応なく他人のしぐさが目に入り、他人も私を見ながら遠慮なく介入してきたりします。

 例えば誰かが操作するエクセルの画面をぼんやり見ていたら、まったく知らない機能を使っていることがわかる、そういうことがあります。すると私がやることはひとつです。
「アレ? 今、何やった? なんでそうなるの?」
 もちろん忙しければダメですが普通は丁寧に教えてくれるはずです。しかも私の能力に合わせての個人講座です。
 即座に、丁寧に、私に合わせてとなると、ネットではとてもできない仕業です。そもそも家にいる限り、その「便利な機能」を目にすること自体がなかったのですから。 

 あるいは同僚が妙な機器を持っていれば、
「あれ? それ何? どう使うの?」
と聞けばいいだけですし、逆に同僚が私の所業を見て、
「何してるんですかTさん。いまどきそんなことをしている人はいませんよ」
と半分笑いながら、何か新しいことを教えてくれる場合もあります。
 そうやって私の下に訪れる知識は、私が望むことすら思いつかなかった、けれど必要な知識だったりするのです。

【老人・不登校・リモートワーク】

 勤め人を辞めて自宅に籠り、新型コロナ禍の泡に包まれて2年以上暮らすうちに、私は周囲から自然に入ってくる知識、勝手に入り込んでくる智恵、そうしたものの多くを失ってしまいました。望む情報より望んでもいなかった情報の方が役に立つ場合はいくらでもあるのに、それがないのです。
 老人が社会から取り残される原因のひとつがそこにあります。広範な人々とのムダ話から得られるはずのものが得られない――。
 
 その意味では不登校も心配ですし、過度のリモートワークも似たようなものかもしれません。