カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「誰も楽をすることだけを考えてはいない」~ないところに人の悪意を探すな

 誰も楽をすることを考えていない、誰も金儲けのためだけに生きてはいない。
 それがこの国のやり方だ。
 人々の利害はしばしばぶつかり合い、ときに悪意が見えるような気もするが、
 そうではない、人々は美しい

という話。 

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(写真:フォトAC)
 
 

【うっかりしゃべったことが、曲解され広められる】

 親は自分の子が一番かわいいし学校の教師は自分の担任する子が一番かわいい、そして医師は自分の担当する患者が最も大切。それは当たり前のことです。ことにそれが瀕死の状態にあるとなれば、何を置いても助けてもらいたいと思うのは当然の人情でしょう。

 昨日紹介したコロナ専門の訪問診療医の言う、
「かえって高齢で非常に予後が限られた方であれば、『最後かもしれないけど受け入れるよ』という現象が見られる」
というボヤキは、そうした思いから口をついて出た言葉だと思われます。
 ですからこれをもって医師はコロナ受け入れ病院に不満を持っているとか、助かる見込みのない高齢者を差し置いて自分の患者を入院させろと言っているとか、そんなふうに考えるのは間違っています。今日までの1年半、コロナ受け入れ病院がどれほどの苦労を重ねてきたか、同じ医療者として知らないはずはないからです。

 しかしそんな繊細な言葉を、メディアはいとも簡単に、
「手の施しようのない高齢の患者を引き受けることで、病院は難しい治療から手を引くことができ、病床も増やすことができる。こうして若い重症者は十分な治療を受けられないまま、『助かるはずの命』が失われていく――」
と解説したりします。
 
 

【報道とは人の悪を炙り出すものだ、たとえ悪がなくても】

 報道に携わる人の中には、公的なもの、大きな組織に対しては、常に悪意を炙り出し公表するのが仕事と心得ている人たちがいます。
 彼らにとって政治家は私利私欲のために働き、権力を振りかざす人でなくてはいけません。官僚は常に汚職の機会を伺い、もはや難しくなった天下りの道を在任中ずっと探っているような人たちです。
 教師は暴力を好む小児性愛者、しかも力をもって子どもを抑えたがる学級の暴君であり、大病院の医師は楽に儲けようとする鼻持ちならない人たちでしかありません。そうした枠の中で考えれば、高齢者が優先的に入院できるらしいという情報も、手の施しようのない老人たちを受け入れることで楽をする、楽ができるから病床が増やせる、病床が増やせるから補助金が増える、そう考えての措置に違いない、といった結論になってしまいます。
 
 

【そうではない、人々は美しい】

 私はそのようには考えません。
 ごくわずかの犯罪的な人々を除いて、この国に生まれこの国で育った人たち、この国を愛しこの国に生きることを決めた人たちは、ほとんどが自己の生き方や仕事に誠実であり、常により正しく、より良く生きたいと精進していると思っているのです。

 大工さんは寸分狂いのない仕事をしようし、壁の裏の隠れる部分ですらいい加減なことはしません。電車の運転士は30秒の遅れも早い到着も自分に許さない――。商売人は暴利をむさぼることなく適切な価格で良い商品を売ろうとし、農家はいつでも安全で新鮮な作物の出荷するよう心がけている、それがこの国の人々あり方だと思っているのです。
 したがって、
「かえって高齢で非常に予後が限られた方であれば、『最後かもしれないけど受け入れるよ』という現象が見られる」
ということが事実なら、そこには悪意とは正反対の、美しい何ものかがあると考えざるを得ません。
 それはすでに「最後かもしれないけど受け入れるよ」という言い方の中にある、極めて高い道徳的な感情です。

(この稿、続く)