カイト・カフェ

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「何もない・すべてが新しい」~被災地をめぐる旅①

 岩手で参加した結婚式の帰り道に
 東日本大震災の被災地を巡ってきた
 復興が進み 震災の爪痕はほとんど見られない
 ただ不自然に何もない土地が広がっていたり
 巨大造成地のような新しい町並みが広がっているだけだった・・・が

というお話。f:id:kite-cafe:20190930065138j:plain(陸中海岸)

【それでも行ってみる】

 結婚式の帰りに東日本大震災の被災地を見てきたいと言ったら妻が、
「そんなよそ様が悲しい想いをしたところを見に行かなくてもいいのに」
といった言い方をしました。少し驚きました。
 物見遊山の気持ちは少しもなかったのですが、では何のために行くのかと考えると答えが浮かびません。

 震災のあった2011年の4月、当時はまだ現職だったこともあってすぐには行けないものの、夏休みには息子に声をかけて一緒に被災地ボランティアに行こうと思っていたのです。ところが大型連休前に畑仕事をして、肥料を撒きマルチがけをし、種を播いたり苗を植えたりしていたらあっという間に体がボロボロになってしまったのです。呆れるほど衰えている。これでは被災地に行っても役にも立ちません。

 数百キロの道のりを越えてようやくたどり着き、一日働いても泊まって休むところも十分ででない、そんな状況では迷惑すらかけかねません。
 以来、普通の日本人がそうであるようにずっと被災地にはこだわりつつも、ついに今日まで訪れることはなかったのです。

 今さら行ってどうするのか――。
 それは道理ですが、だとしたら原爆の広島にも長崎にも行けず、最近の大阪にも熊本にもいけないことになってしまいます。

 そんなふうに二の足を踏んでいると、93歳の母が、
「そんなこと言わないで、お金を落としてくるだけだっていいじゃない。私の代わりと思って行って来てよ」
 それで決まりました。
 被災地をめぐることの意味は、行ってみれば分かるのかもしれません。

【何もない】

 岩手県の内陸から三陸海岸に出ようとするとどのルートを取っても3時間程度はかかります。
 最初の目的地を宮古にするか釜石にするか――さまざまに考えましたが、できれば1日目に石巻より南まで進みたい、そうしないと自宅へ戻れない、そう考えてまず陸前高田を目指すことにしました。陸前高田には「旧道の駅高田松原タピック45」「陸前高田ユースホステル」「気仙中学校」といった多くの震災遺構があり、有名な「奇跡の一本松」もあるからです。

 ところが高速と一般道を乗り継いでおよそ3時間、110kmほど走ってようやくついた陸前高田では、その日はまさに新しい「道の駅高田松原」と新設の「東日本大震災津波伝承館」のオープン式典が開かれようとしているところでした。周辺の駐車場はすべて一般車両侵入禁止、「奇跡の一本松」も「陸前高田ユースホステル」も付近に駐車しないと見に行けません。

 しかたなく渋滞の後ろについてその場をやり過ごすと「気仙中学校」の見えるところまで車を走らせ、学校の写真を遠くから1枚だけ撮って町を抜けました。中学校の周辺もかさ上げ工事のために近づけなかったのです。

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 そんなふうに工事のために近づけない震災遺構というのはいくつもあって、南三陸町では有名な「防災対策庁舎跡」や「高野会館」がかさ上げした土地の中に沈んで、容易に近づけなくなっています。
 将来的には震災遺構として整備されるのでしょうが、周辺はただの土の塊で、なぜこんな何もないところに防災対対策庁舎がつくられたのか不思議な気がするくらいです。
 もちろん何もないところに建てたのではなく、すべてが流され周辺に何もなくなっただけなのです。

 今回の被災地巡りで出会った風景の一つは「何もないところに建つ重要施設跡」でした。何もないこと自体が津波の破壊力を示しているのです。

【すべてが新しい】

 被災地のひとつの特徴が「何もない」なら、もうひとつは「すべてが新しい」です。
 陸前高田と南三陸の間にある気仙沼は人口6万人を誇る、三陸海岸ではもっとも大きな町のひとつですが、津波に重ねて大規模火災が起こり、町は破壊しつくされました。そのためいま行ってみると町の中心部は「すべてが新しい」。まるで大きな鉄道会社が首都圏の端につくりあげた一大造成地のようで、「震災の爪痕」は微塵も感じられません。

 新しい民家に新しい店、新しい街路樹。
 街の中心部に立ってその若々しい風景を眺め、それから丘の上のやや古い建物を眺めて、そこから津波に流された町であることを想像するしかないのです。丘に向かう道のどこかに津波の喫水線があったはずです。

 しかし一方、気仙沼三陸で最も早く震災遺構を整備した町でもありました。
 市街地から大きく外れた岩井岬の「気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館」です。

                          (この稿、続く)