カイト・カフェ

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「歌で交歓する親子たち」〜懐メロが、新しすぎて歌えない

f:id:kite-cafe:20181130180455j:plain(ヘラルト・ファン・ホントホルスト 「音楽会」)

 9月の上旬だったと思うのですが、公益社団法人「全国有料老人ホーム協会」というところが公募している「シルバー川柳」の入選作が発表されました。
 その中に、
「懐メロが、新しすぎて歌えない」
というのがあり、あまりに実感に合うのでホトホト感心しました。

 そこでふと、私にとっての「新しすぎて歌えない懐メロ」の範囲がどのあたりなのかなと考え始めたのですが、これが案外厄介でした。

 とりあえず世間でいう「懐メロ」と私の「懐メロ」は同じではない、また私にとっての「懐メロ」は私にも歌えないものがほとんどだが、私が懐かしいと思うメロディーは歌詞カードさえあれば大部分が歌える、しかし懐メロではない、そういうことなのですって、どういうことなのか分かりませんよね。

 それはそれぞれによって「懐メロ」の定義が違うからなのかもしれません。

 

【私にとっての三種類の「懐メロ」】

 まず私が子どものころから「これが『懐メロだ』」と教えられてきたような「懐メロ」、つまり私の親世代が懐かしく聞いたり口ずさんだりする戦中戦後の音楽です。
 田畑義雄やフランク永井から橋幸夫を筆頭とする御三家あたりまで。女性歌手だと美空ひばりから三人娘あたりまでです。
 一部は私も「懐メロ」(リアルタイムでない昔の曲)として歌えますが、大部分は歌えないし楽しめない、懐かしくもない、そういう曲です。

 二番目の「懐メロ」は私がリアルタイムでともに歩んできた曲たち。
 グループサウンズからフォーク、ニューミュージックといったあたりになります。懐かしく聞き、懐かしく歌いますからその意味では「懐かしのメロディ」なのですが、絶対に「懐メロ」とは言われたくない、そんなに古くない、いま聞いても新鮮だと言いたい、そういう曲たちです。

 三番目の「懐メロ」は、それこそあまたあるテレビ局やらイベント企画やら、レコード業界やらが今さかんに提示している現代の「懐メロ」です。
 私の知る範囲で言えば、中森明菜だとかZARDだとか、工藤静香だとか、あるいは初期の安室奈美恵だとか宇多田ヒカルだとかいった世代になります。

 なぜそんなふうに限定的に言えるのかというと、要するに「懐メロ」というのはリアルに音楽漬けになっている今の世代にとって最も身近な大人(普通は親世代)が、懐かしく聞いたり歌ったりする曲のことだからです。

 平成30年の今で言えば、たぶん平元年〜10年(1989〜1998)を中心とするその前後。歌手をさらに重ねて言えば「プリンセス・プリンセス」「wink」から「GLAY」「KinKi Kids」あたりまでその前後、と言えばウンウンと頷いてくれる人は多いはずです。
 そしてまさにそのあたりが、私たちには「新しすぎて歌えない『懐メロ』」なのです。
(実際記事を書くにあたって歌手も曲も分からないので「年代流行」というサイトを頼りに記憶を辿っている始末です)

 

【移り変わる「懐メロ」】

 もちろんレコード会社からは「懐メロ昭和歌謡30年代ベストテン」みたいなCDがいくらでも出ていますから、懐メロを「現役音楽世代の親たちが聞いていた曲」と限定しうるものではありません。しかし私が素直に懐メロと思うような曲、つまり私の親世代が楽しんでいた曲を「懐メロ」といっても、ピンとくる人は少ないでしょう(誰が懐かしいの?)。

 私が“「懐メロ」と呼ばれたくない”と抵抗する私たち世代の音楽も、すでに「懐メロ」の概念を外れてしまっています。抵抗する必要もないほどに。

 そう考えると現在の「懐メロ」(平成元〜10年くらいの曲)もやがてその座を追われ、いま盛んに歌われている曲が20〜30年後、おなじ「懐メロ」の位置に座ることが分かります。そのころには今一番「懐メロ」を楽しんでいる世代が、「新しすぎて歌えない」になります。

 そんなふうに思いを巡らしているうち、私はとても素晴らしいことに気づきました。それは「懐メロ」という言葉が存在し続けるのは、子どもたちが親世代の音楽を良く知っているからだということです。

 

【歌で交歓する親子たち】

 私の記憶によれば、親世代の篩音楽にやたら詳しくていくらでも歌える子と、現在進行形の歌を片っ端歌えるような親の双方が同時に出現してきたのは、1990年代になってからのことです。

 最初気づいたのはPTAの後の飲み会などで、保護者の歌う曲が異常に現代的になってきたことです。いま流行っているような歌が平気で歌われる、それも一人や二人ではありません。
 最初何が起こっているのか分かららなかったのですが、やがて気づきます。そのころから親子でカラオケに行く家庭が爆発的に増えていたのです。

 そこでは当然、子が親の歌を聞き、親が子の歌を聞くことになります。その時の子の歌う歌が「いま流行りの歌」で、親の歌う歌が「懐メロ」です。そして一緒に歌い、親子で互いの歌を覚えていくわけです。
 そう考えると「懐メロ=親世代の音楽」という狭い定義が生きている間は、多くの家庭で音楽の交歓が行われている可能性があることになります。

「懐メロが、新しすぎて歌えない」
 大いに結構です。
「懐メロ」が更新されず、ほんとうに古い曲だけになってしまったら、それは親子が一緒に歌わなくなった証拠ですから、今の状況が続くのはかなりいいことなのです。