「奇跡の人」〜ひとの生き方と死に方 2

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 (ロバート・ベイトマン「ベトザタの池」)

 

【義姉が亡くなりました】

 8月の中旬に差し掛かるころ、妻の二番目の姉、私にとっては義姉に当たる人が亡くなりました。

 

 さすがに60代も半ばを過ぎて容色も衰えましたが、それでも死化粧をして棺に納められた姿は50代前半にしか見えません。

 若いころは大変な美人で、実の娘と歩いているとよく姉妹に間違われたりしていました。そしてしばしば世の美人たちがそうであるように、勝ち気でがらっぱちで、まるで男にしか思えない雰囲気もありました。

 印象で言えば「ドクターX」の外科医・大門未知子です。もちろんそこまでの美人というわけではありませんが。

 

 その美しい義姉を死に導いたのはがんの中でも最悪のひとつ、「胆管がん」でした。発見された時はすでに肺への転移があり、それだけでステージ�Wという判定です。手術もできない。

 それが亡くなる1年10カ月前のできことです。

 

 身内の深刻な病気ですからむやみに口外すべきものではないし、匿名で運営しているブログ上でもそれは同じだろうと自粛していたつもりですが、改めて調べてみるとなんと5回も取り上げています。それだけ強い想いもあったのでしょう。

 そうした“想い”も含めて、記事に従って死に至る経緯を辿りたいと思います。

 

 

【死に至る道】 

 最初のブログ記事は昨年2月22日の『「死を恐るるなかれ」�A〜運命の日』です。

 ここで私は義姉を紹介し、「胆管がん」という病気についても書きました。患者やがんの性質について知ってもらう目的もありましたが、それよりも書きたかったのは闘病の始まりが案外悪いものではなかったことです。

 長い不摂生のあとではがんになるのは仕方ないとして、義姉は意外と幸運の持ち主かもしれない、そんなふうに思ったのです。

 

 義姉のがんは人間ドックで再検査となったことで発見されますが、その再検査の前日、義姉の母親(私にとっては義母)が亡くなります。そのころのすでに危険な状態が長く続いており、いつ亡くなっても不思議ではない状況でした。ですから義母の死は、一日遅れて義姉の再検査の日に重なるということもあれば、一日早くて葬儀が重なるという可能性もあったわけです。そうなれば検査はキャンセルせざるを得ず、葬儀後のあれやこれやに奔走させられているうちにぐんと遅れてしまったかもしれません。

 義母の死が再検査前日だったおかげで病院にも行けましたし通夜には間に合いました。ある意味で絶妙なタイミングだったわけです。

 

 第一回目のブログ記事では、私はまるで義母が自ら死の時を定め、

「明日を通夜にするから予定通り病院に行ってきなさい。通夜だったら午前中は空いているでしょ」と指示するかのような死でした。

と書いています。

 

 2回目のブログ記事は1回目の続きで(2017/2/27「死を恐るるなかれ」�C〜一期一会抗がん剤治療を始めたものの副作用はほとんどなく、病気を感じさせる症状もまるでない義姉の元気な様子を記しています。

 ただし今読み返して気づいたのは、

「(腫瘍マーカーの)数値が上がっているのよ」

と少し嘆いたという記述です。それなのに当時の私は「薬がまったく効いていないのかもしれしれない」といったとらえ方はしなかったのです。

 そういった見落としは私のひとつの傾向ですが、これについては改めて記します。

 

 3回目の記述はその8か月後、ステージⅣの判定を受けてちょうど1年目くらいの頃です(2017/10/31「ガンという病の分水嶺」〜誰が生き残るのか分からない)。

 

 宣告以来続けてきた抗がん剤治療も6月には効かなくなってしまい、7月・8月と都会の大病院の治験(治療の臨床試験)に応募しても、治療の始まる前に問題が発見され、次々中止になってしまいます。

 NK療法、重粒子線治療といった最新の治療も適応外で漢方薬で体内を整えるくらいしかやることがなくなったその時期、実は私の中にはある種の確信が芽生えていました。

 それは「義姉は奇跡の人ではないか」というものです。

 

 

【奇跡の人】

 抗がん剤をやめてから顔色もよくなり、化粧の乗りがいいと本人も喜んでいました。食欲も旺盛、体重も増加傾向で「太って困る」と嘆かなければならないほどです。黄疸といった深刻な症状はなく、発熱や倦怠感、からだのかゆみといったものもありません。

 

 ステージⅣの胆管がんの5年生存率(一応治ったと考えられる人たちの割合)は2009年の全国調査でわずか1.5%です。最初の1年間で83.6%が亡くなってしまう最悪の状況です。それを義姉はまったく症状のないまま1年目を終えようとしているのです。

 

 私は20年前に自分自身ががんを患って以来、この病気に関して注意深く情報を集めてきたつもりですが、がんには奇跡みたいな話がいくらでもあるのです。

 

 がんにかかると放っておいても、さまざまな治療法が集まってきます。

 ある人はプロポリスがいいと言い別の人はアガリスク茸が効くといい、ビタミンCだのゲルマニウムだの、あるいは丸山ワクチンを勧める人もいればラジウム温泉を推奨する人もいる。怪しげな加持祈祷や除霊の話、霊媒師や魔法使いのような人の話まできます。

 

 これは医学的根拠に乏しい民間療法がいかに多く世間にはびこっているかということではありますが、同時に、これらの療法で治ったと信じている人がいくらでもいるということでもあります。

 

 本当にその治療法で治ったかどうかは分かりません。

 しかも民間療法に頼る人たちは二つも三つも同時に受けていたりしますから、そのうちのどれが良かったのか、組み合わせが良かったのか、それすらも分からないのです。さらに言えばその人たちは何もしなくても治ったかもしれないのです。

 しかしいずれにしてもステージⅣといった深刻な状況を乗り越えて長生きをしている人がいる、あるいは完全寛解と思われる人がいる、それも結構な数でいる――そうした事実が私を勇気づけます。

 

 私はその人たちのことを密かに「奇跡の人」と呼び、20年前に悪性度の高い肺がん(大細胞がん)を乗り越えた私自身も、そして今、胆管がんという最悪に近いがんで症状も出ないまま一年をすごした義姉も、その「奇跡の人」ではないかと思い始めていたのです。

 

 私は3回目のブログ記事をこんなふうに締めくくっています。

 1年以内に80%以上が亡くなってしまう胆管ガンで、義姉が今も元気だということは、もしかしたらもう危機を脱しかけているのかもしれない、生き残る可能性はグンと上っているのかもしれない。

――もちろん余計な期待を与えないという意味で本人には言えないことですが。

 

 実際にその翌月、肺の転移巣は次第に縮小し始めたのです。                        (この稿、続く)

 

*タイトル画「ベトザタの池」について

 エルサレムには羊の門の傍らに「ベトザタ」と呼ばれる池があり、そこには五つの回廊があった。この回廊には、病気の人、目の見えない人、足の不自由な人、体の麻痺した人などが大勢横たわっていた。彼らは水が動くのを待っていた。それは主の使いがときどき池に降りて来て水が動くことがあり、水が動いたとき真っ先に水に入る者はどんな病気にかかっていてもいやされたからである。(ヨハネによる福音書5章2〜4節)