「12月になりました」〜「新年の誓い」を今から考える

 12月になりました。

 運動系の部活は一年で最も余裕のある時期かと思いますが(ウィンター・スポーツは別)、何かとせわしない月でもあります。

 なんといっても懇談会はあるし通知票は書かなくてはならないし、会計係の先生は2学期の報告を作らなくてはならないし、忘年会の準備はしなくちゃいけないし・・・(アレ?)。

【結局最後は進路指導】

 特に中学校3年の担任の先生方にとってはここが正念場、受験生を生かすも殺すもここが勝負どころです。

 都会のように人数が多くて信頼できる数値がバンバン出てくるところならいいのですが、田舎だと偏差値を出してもイマイチ信用されず、日ごろの担任との人間関係があらわになりやすい場面です。

 こちらが「だいぶ難しいね」と言って、「だって塾の先生は大丈夫って言ったんだモン」返されたとき、そこからハッケヨイ!となります。

 人間関係が悪いと、生徒の中には本気で「担任は私を落としたがっている」と考えるような子がいて、やたら厄介になります。「担任は落としたがっているから、無理な高校も勧める」とも、「担任は落としたがっているから、受かるところも『難しい』と言って諦めさせる」ともどちらとも取れるからです。前者は試験を落とさせること、後者はランクを落とさせること、どっちに転んでも面倒くさい話です。

 そんなとき、私はこんな話をしました。

「キミは私に嫌われてると思うかい? 嫌っちゃいないけど、でも、仮に嫌っているとしたらどうだろう?

 キミが万が一、全部の高校に落ちちゃって来年また受けなおすってことになったらどうなる? キミには二か月ごとに学校に来てもらって本校の実力テストを受けてもらわなくちゃいけない、そのデータをもとに調査書を作らなくちゃいけない、高校側に連絡したり一部の受験手続もしなくちゃいけない――それって誰がやると思う? 私だよ?

 もし私がキミのことを大嫌いだと思っているとしたら、来年、そんなキミのために面倒な受験指導をするのはきっといやに違いない。

だからキミには受かってもらわなくちゃならない。二度と顔を見なくて済むように全力で応援したい、そういうことになるでしょ。

 だけどそれとは逆に、二度と顔を見たくないからランクを二つも三つも下げて、眠っていても受かるようなところしか勧めないってことも考えられるよね。でも、それってバレないか? 

 キミのことだから進学した後もしつこく調べるよね、『ほんとうに担任は適切な指導をしたのか』って。それで納得しなかったらキミは必ず私のところへ戻ってくる、絶対に文句を言いに来る、どっちみちロクなことはない。だから私は、キミにぜひとも第一志望に近い学校に受かってもらいたい。

 だからキミが私に嫌われていると思っているなら、むしろ安心してもいいくらいだ。調査書だってきっとよく書いてあるはずだ」

「でも、そうなると先生に好かれていたらどうなるわけ?」

バカだね、好かれていたらやっぱり良く書くに決まっているじゃないか

 いずれにしろ、入試や調査書で子どもに復讐しようとする教員など一人もいません。情報開示請求のできるこの時代、下手なことをしたら命とりですから。

【「新年の誓い」を今から考える】

 12月の頭から考えておかなければならないことのひとつは新年の迎え方です。

 優秀な先生方は、みんなそうされておられました(私はできませんでした)。

 中学生や小学校の高学年だったら「自己評価票」を書かせ、私たちはそれを見て通知票の参考にしたりします。しかしそれよりも大切なのは、2学期、その子が何を成し遂げ、何に自信を持ち、何を誉めてもらいたがっているかを知ることです。

 悪いことはよく目について覚えていられるのですが、よいところはなかなか分かりません。それに人は案外、意外なところで自信を持ち、思わぬところを誉めてもらいたがっているのです。本人の言葉をたよりに、本人も忘れたころに声をかけてやるととても喜びます。書いたことを覚えていても、担任が記憶に留めておいてくれたというだけで嬉しいものです。

 月末が近づいたら静かに今年一年を振り返りさせます。

 教師や親が、滔々と振り返りながら長い長い話をするだけでもいいのかもしれません。子どもは知らず知らずのうちに、同じ時期に起こった自分の出来事を振り返っているはずです。

 それらすべては、3学期が始まる日に、より良い「新年の誓い」を書くためです。

 始業式の日に、いきなり「さあ、新年の誓いを書こう!」などと言って、そこから考えさせるのでは遅いのです。