しばらく以前、タレントの壇蜜さんが、
「嫌なことがあったときは、“これも人の子”と思うことにしています」
といった話をしておられました。
「どんな嫌な奴にも親はいるのだ。その人に免じて少し許してやろう」
そんな意味かと思います。いい話だと思いました。
昨日まで娘のシーナが孫を連れて帰省していました。昨年の6月に生まれたハーヴです。
出産時にトラブルがあって、その経緯については前に書きましたが、それ以後、大きな問題もないまま1歳4か月の今日を迎えています。
kite-cafe.hatenablog.com とは言っても全く順調だったわけではなく、早い子だったら3〜4か月でできる寝返りが10か月になってもできず(結局、その五日後にできた)、ハイハイもちゃんとできるようになったのは1歳1か月。同じ月齢の中には高速ハイハイからさらに進んでほとんど走れるようになった子もいるわけで、その中で寝るか座るかしかできないハーヴとともに過ごしたシーナの心中は察するに余りあります。
それが単なる遅れではなく、出産時のトラブルと関りがあるのかもしれないと考えると不安は高まります。しかし逆に“とにかく元気で生きてさえいてくれればいい”と思ったあの日があるから焦ったり落ち込んだりすることもむしろ少なかったのかもしれない――シーナはそんなふうにも言います。
その慌てず騒がず、ハーヴがハーブらしく育てばいいと温かく見守っている姿は、わが子ながら立派だと感じています。
最初の一週間を
昨日は保育器に手を入れて赤ちゃんに触らせてもらった。
今朝は時間外に哺乳の様子を見せてもらった。
午後、保育器に手を入れて哺乳させてもらった。
明日は調子が良ければ保育器から出して哺乳できるかもしない。
と、普通の出産だったら当たり前のことをいちいち喜んですごした時間は、今となればシーナが覚悟を決めるうえで、必要なものだったのかもしれません。
今もめげそうになる時、ハーヴは常に「ボクは、ボクだよ」と語りかけてくるそうです。その言葉に励まされて、シーナも落ち着いて努力を重ねてきました。
1歳4か月を経て、この帰省中、ハーヴはようやく歩くような様子を見せています。来月にはもうハイハイもやめてしまうでしょう。それはそれで寂しいことです。
そのゆったりとした静かな成長を、私たちも静かに見守っていきたいと思います。
ところで、シーナの出産とハーヴの成長の日々は、私の生き方・考え方にも少なからぬ影響を与えました。
当時私はこんなふうに書いています。
シーナの妊娠と出産から、私は多くのことを学びました。(中略)それとともに妊娠・出産というものをあまりにも甘く見ていた自分を深く反省しました。シーナの母親が苦労しなかったことや肉体的に出産適齢期の娘が子を産むということで、私は全く油断していました。けれどそれは現代でも完全ではない、喜びと背中合わせで危険に満ちた重大な出来事なのです。簡単に「子どもを産もう」など言ってはならないことです
そしてそれ以来、出産や乳幼児の子育てに関して、かなり積極的に、あちこち手を伸ばして調べるようになったのです。
(この稿、続く)