カイト・カフェ

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「書き漏らしたこと」~北海道、しつけ置き去り行方不明事件に際して⑤

 躾と言っても様々な場面とレベルがあります。
 2歳児に着替えの習慣づけをするのと小学生に学習習慣をつけるのとでは、やり方もこちらの心構えも違ってきます。膝を突き合わせるようにしてしっかり指導しなければならない場合もあれば、「お尻ペン!」で済ませていい場合も少なくはありません。

 私は特に娘のシーナについて、ずいぶんたくさんの「お尻ペン!」をしてきたような気がします。さっさと次の行動に移らないとき片付けをしなさいと言ってもやらないときなど、しょっちゅう叩いていました。
 頭なんか叩いてはいけません。小さな子はバランスが悪いので簡単に吹っ飛んでしまい思わぬケガをさせることがあるからです。もしかしたら脳にも悪影響があるかもしれません。その点お尻なら、あんなものは筋肉の塊で骨までかなりの距離がありますから心配がないのです。
 さらに、だからと言っていきなり「お尻ペン!」ではかわいそうなので、私はその前にいつもカウントを取るようにしていました。
「(夜の歯磨きの)仕上げ磨きをしてあげるからこっちへおいで」
 そう言っても子どもはなにかに夢中になっているとすぐには動けません。
「あとでやる・・・」
 こういう時の“あとで”は全く信用できません。そこで、
「“あとで”はない。すぐに来なさい」
「あとで行く」
のキャッチボールを2〜3回して(それで来るときもありますので)、それから宣言します。
「10数えるうちに来なければ“お尻ペン!”だぞ。10、9、8・・・」

 たいていはそれで諦めて私のところに来ましたがほんとうに夢中になっていると「6、5、4」まで数えても来ないことがあって私の方がドキドキしたりしました。実際、「4、3、2」くらいまで進んでシーナが突然叫び声を上げ、泣きながら走ってくるといったことも何回もありました。ただしほんとうに間に合わず“お尻ペン!”になることは稀でした。
 そんなふうに幼稚園の年中組くらいまではやっていましたがそれ以後は叩いたことはありません。その必要がなくなったからです。シーナはよく言うことを聞く子になっていました。
 息子のアキュラの方は事情があってそうした躾はしませんでした。そのせいかけっこう難しいことも少なくありませんでした。

 私は元教師ですから「体罰も必要」などとは決して言いません。ただ“私はそうした”というお話をしたまでです。体罰なんてしてはなりませぬ。
 私が子育てをしていたのはもう20年以上も前のことですから、今はもう「お尻ペン!」も虐待なのかもしれません。
 世の中には『怒らないでも子どもは育つ』みたいな本もたくさん出ています。そうしたものも読んでおく必要があるでしょう。
(と、アリバイ作りをしておいて)
 しかし仮に今、もう一度私に子育てを任されるとしたら、やはり同じことをします。たぶんします。
 以上!

 今回の北海道の事件は国の内外で注目され、特に国内では大きな戸惑いを含んだまま全国ニュースとしては収束に向かっています。
 ただ多くの疑問も残りました。その最大のものはいうまでもなく、
「山中への置き去りが悪いことは分かった。しかしそうだとしたら言ってもわからない子をどうしたらいいのだ?」ということでしょう。今も謎のままです。

 それ以外にも例えば、

  • この少年は一度目の置き去りではきちんと父の車の方に走ったのに、二度目はなぜ逆の方向に向かったのか。
  • パニックに陥って方向を見失ったとして、なぜ上り坂を登り続けたのか、林道を高い方に向かうことに不安はなかったのか。
  • しばらく歩いて家族に会わなければ引き返すという選択もあったはずなのに、なぜまっすぐに進んでしまったのか、どうしようか迷うことはなかったのか。
  • 数時間歩いて自衛隊の営舎にたどり着き、暗くなったので中で休んだ、そこまでは理解できる。賢明な判断と言えるかもしれない。しかしその後、6日間に渡ってその場に留まったのはなぜか。
  • 「必ず迎えに来てくれると信じて待った」は公式のアナウンスでいかにも誘導されたような匂いがしないわけでもないが、そんな賢明な子がなぜ、最初に置き去りにされた場所から動いたのか。
  • そもそも賢明な子は発端となった事件――人や車がいるかもしれない土手に向かって石を投げた――などしない。注意されれば「はい」と言ってやめる。

 疑問は山ほどです。
 病室で父親が「つらい思いをさせてごめんな」と謝ると、「お父さんは優しいから許すよ」と答えたとか。これも何か違う気がします。
「恐怖に訴える躾は恐怖しか残さない」と“専門家”たちは言いますが、あれが一週間に渡って恐怖にさらされ続けた子どもの姿だとすると、恐怖が子どもに与える影響というものがいっそう分からなくなります。

 マスコミ上は「驚くべきサバイバル能力」「驚異の少年」と持ち上げます。確かに驚くべき身体能力、判断能力と言えなくもないかもしれません。しかしそうなるとこの子がスーパーボーイだからこそ行方不明になってしまった可能性も考えなければなりません。
 普通の子なら迷っても2〜3時間も探せば見つかる範囲にいる、しかしこの子はスーパーボーイだったから動いた――そういうことなら、今回の事例も別の見方が出てくるかもしれません。

 ところで父親は反省し、社会に対しても子どもに対しても謝って許されましたが、土手に向かって石を投げ、父親の言うこともきかなかったこの子の罪はどうなったのでしょう?

(この稿、終了)