カイト・カフェ

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「情報番組のコメンテーターが馬鹿に見える」~大雪の朝に①

 一昨日、1月18日月曜日の朝は全国的に大雪に見舞われ、東京都心でも8㎝の積雪があって大混乱だったようです。娘婿のエージュもいつもより1時間も早く出勤したのに、いつもより1時間遅い時刻でも駅構内にすら入れない状況だったと言います(その後いつ電車に乗れたかは知りません)。

 私の住む地方はいわゆる雪国ではありませんが、降れば20㎝30㎝と平気で積もりますからこちらも混乱は必至です。ただしそれは電車が遅延するとか車が大渋滞にはまるとかいったふうで2時間も3時間も待たされるといったことはありません。雪による“大混乱”というのは基本的に都会に限定された問題です。

 その都会の混乱について、昨日の民放のニュースショウでは例によってわけのわからない議論が行われていました。話の骨子はこうです。

  1. 安全運航という観点からは間引き運転をするのは致し方ない。
  2. しかしだったら前日の内に間引き運転をするという情報を流してくれれば、別の通勤方法を考えることができたはずだ。
  3. 当日朝についても、例えば千歳烏山駅に見られたような長蛇の列に対しては、どのくらい時間がかかるかといった情報を流すべきだった。最初から3時間待つとわかっていたら会議を中止するとか、午後からの出社にするとか、対応策はいくらでもとれたはずだ。
  4. そもそも日本人はこういうときに融通が利かなすぎる。お互いに連絡を取り合って出勤時刻を遅らせるとか会議を中止するとか、あるいは1日会社を休みにするとかいった余裕があってもいいではないか。日本人はまじめすぎる。

 一見その通りとも思える発言ですが、ちょっと考えればアホとしか言いようのないものばかりです。

 例えば1。前日から間引き運航の計画を発表していたら人々は別の通勤方法に切り替えるのですか? そういう人もいるでしょうがしかし、鉄道からバスに、あるいはAの路線からBの路線へと通勤手段を切り替えたからといって混雑がなくなるかというわけにはいきません。なぜなら1社が間引き運転するような状況では他社も、間引き運転せざるを得ないからです。結局、A駅からB駅に流れた分、B駅からもA駅に人が流れて状況が変わらない、そういうことになります。
 鉄道からバスに人が流れても、それはふだんから使われているバスです。今度はこちらで混乱が始まってしまいます。
 そもそも前日からの間引き予告といっても、当日朝、意に反して間引きの必要がなくなったらどうでしょう? 天気はいいのに運航本数は少ない、そんな状況で利用者やマスメディアがおとなしく黙っているとも思えません。

2はさらにアホです。
 駅員が優秀でこれまでの経験則から「ただいまの状況ですと、列なかほどの方で2時間、最後尾の方ですと3時間待ちとなります」とか放送した場合、人はどう対処するのでしょう。ディズニーランドなら「とにかく乗りたい」ですから多くの人はそのまま待ちます。しかし通勤の場合それぞれが何らかの対応を取るはずです。
 3時間待つならとそのぶん家で過ごしたほうがいい考える人もいれば、歩けば2時間だから歩いた方がいいと動き出す人もいます。他の路線へ切り替えてそちらの駅に向かう人もいるでしょうし仕事や会議そのものをキャンセルする人出てきます。そんなふうに多くの人々が対応することで、駅員の予言は瞬時にして崩壊してしまうのです。待ち時間が1時間くらいになってしまうかもしれません。
 家で3時間待った人、まだ歩いている人、大事な会議をキャンセルしてしまった人――そういう人たちはこの状況を笑って受け入れてくれるでしょうか? 

 3.日本以外のほとんどの国は、こういう状況は自己判断で乗り切ります。基本的には休みにしてしまう――。しかし彼らは大雪限定で休みにしてしまうわけではありません。民族性とか慣習とか雰囲気とかは、全体的なものであって部分限定というわけにはいきません。
 電車が事故で不通になった、台風が近づいてきて危険な気がする、雨が降った雷が鳴った、奥さんが怒っている、子どもが病気で学校を休んだ・・・それぞれのケースで融通を利かせてしばしば会社を休みます。
“融通”の利く国では、決められた部品が足りなければ別のもので代用すればいいし、賞味期限も2〜3日ならOK、遺物混入だって全部の製品に入っているわけではありませんから99%は大丈夫、だからOK。
 日本もそんな“普通の国”になればいいのでしょうか。私はそうは思いません。そこまで考えると、融通の利かない日本社会というのも、なかなか悪くない気がしてきます。

 しかしそんな当たり前のことがテレビに出てくるような優秀なコメンテーターがなぜわからないのでしょう?
 いえいえ彼らは分かっているのです。真実がわかったうえで、さらに高いレベルで判断して発言しているのです。
「テレビ局や視聴者が求めているのは正しい判断ではない。必要なのは不満の代弁者であり、とにかく文句を言っているパフォーマンスこそ私たちに求められるものだ」
 要するにそういうことです。
 私など及ぶべくもない人たちです。

 ところで、あるニュースキャスターはこんな言い方をしていました。
「年2〜3回しかない大雪のために十分な除雪体制をとるというのも予算的に大変だし、年2〜3回のことだから皆で我慢しましょう」
 これこそきちんとした人の語るべき言葉だと思いました。

(この稿、続く)