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「アメリカ的人間関係論への違和感」~アメリカ流人間関係理論の勉強をしてきた

 事情があって「コーチングとファシリテーション」という講習を受けてきました。
 コーチングというのは「対話によって相手の自己実現や目標達成を図る技術であるとされる。相手の話をよく聴き(傾聴)、感じたことを伝えて承認し、質問することで、自発的な行動を促すとするコミュニケーション技法である」と説明され、ファシリテーションは「会議、ミーティング等の場で、発言や参加を促したり、話の流れを整理したり、参加者の認識の一致を確認したりする行為で介入し、合意形成や相互理解をサポートすることにより、組織や参加者の活性化、協働を促進させるリーダーの持つ能力の1つ」と説明されます(Wikipedia)。

 私を含めて参加者が素人ばかりなので、基本な概念を説明することで終始しましたが、途中、演習としていくつかの例題が扱われました。例えばコーチングについては、「トラブルが発生したとき、保護者との間に築くWin=Winの関係」といった具合です。
 示唆される方向は「こちらが謝り、保護者が納得するlose=winからの脱皮」ということですが、この場合の「win=win」はどういう状況かというと、「相手の要求に屈するのではなく、第三の道を示しそこで合意する」ということらしいのです。しかしどうでしょう。

 昨日は映画「謝罪の王様」の台詞から、「この国じゃなあ、車にぶつけてから謝ったんじゃ遅いんだ! ぶつかる前に謝れ!」を引用しましたが、これは全面降伏して要求のすべてに応えよという意味ではありません。交渉のスタートラインをそこに引け、ということです。相撲で言えば仕切り線をどこに引くかという問題です。
 日本ではそれをかなり下がった位置に置きます。ユーラシアのある国では自分に全面的な非のある場合も「バカヤロー」から始めるといいますが、それは仕切り線がとんでもなく近いというだけで、そこから主張し合い、せめぎ合い、譲り合って解決策を探る点はまったく同じです。
 保護者の抗議を受けたとき、謝罪してこちらが大きく下がってみせるのは、「相手がかなり前のめりに仕切っているのでいったん距離を置いてそこから始めよう」としているだけのことです。そうしないと落ち着いた話が始まらないのです。
 おりしも日本マクドナルドカサノバ社長の謝罪会見が一気に日本的になったと評判ですが、「負けるが勝ち」という言葉があるように、この国では最初から勝ちに行くと絶対に勝てないのです。

 40歳前後のころ、教員としての自信もつき、血気も盛んでなんとか子どもを一刻でも早く成長させたいと燃えていた時期、私はしばしば保護者を打ち負かすことに全精力を傾けていました。私の方が正しいし、少なくとも現状を変えないと何も始まらないと考えたからです。しかどうしてもそれがうまく行かない。最初はうまく行ってもあとが続かない――。
 要するに「一度辱められた人間は相手の言うことなどまともに聞かない」ということなのです。完勝してはいけないのです。こちらの7勝3敗、もしくは6勝4敗くらいに納めてそれを続けるしかないのです。

 そもそもwin=winだのlose=winだのと人間関係や交渉事を勝ち負けでしか考えられないこと自体が日本的ではありません。「全体に負けたくない、すべての“戦闘”を最低でも引き分けで納め、“戦争”にも完勝したい」という、いかにもアメリカ的な発想の上に成り立っています。
 小さなころから「他人に勝ちなさい。負けてはいけません」と教えられて育つ国と、「人に迷惑をかけてはいけません。思いやりなさい」と教えられて育つ国との違いとも言えます。