「子どもが学校に行かないと言い出した時に、親としてなすべきこと」①〜学校を休まないことの価値

 生来の病弱で乳幼児のころから入退院を繰り返し、3歳の時には肺炎で医者に匙を投げられたといいますから相当なものです。
 小学校の1・2年生は病弱養護学級に在籍しました。たった14人しかいないクラスです。
 3年生になって養護学級がなくなり、その後普通学級で4年間を過ごすのですが、それでも欠席は非常に多かったように記憶しています。内職をする母の横で、しょっちゅう布団にもぐりこんでいたのです。ゲームもコンピュータもマンガもなく、子ども向けのテレビ番組もほとんどない時代ですから、ほんとうに退屈でした。

 しかし何とか命に関わる大病もせず、迎えた卒業式のステージに私は意外なものを見つけます。6年間皆勤児童の名前の掲示です。
 それまで卒業式は毎年見てきたはずなのに、知った名前がないとまるで無頓着だったのかもしれません。しかしその日掲示された、私の良く知る4人の女の子の名前は燦然と輝いていたように感じました。私からもっとも遠いもの、手の届かないものだったからです。
 そして私は決心しました。小学校を卒業したら、せめて中学校3年間は皆勤しようということです。当時の私にとっては、壮大な決心です。

 ただし実際に挑戦してみると、それはそれは大変なもくろみでした。なにしろ生来の虚弱児ですからすぐに風邪をひく、熱を上げる、咳が止まらない。一度ひくとやたら長引く・・・。とても皆勤賞どころではありません。そこでやったのが、激しく繰り返す遅刻と早退です。
 とにかく1時間でも行けば出席したことになるのですから、なんとか爪痕だけは残してくる。その一念で卒業まで頑張り、なんとか一日も休まずに卒業することができました。
 残念なことに皆勤を表彰するような習慣はなくなっていましたが私は満足でした。決心したことを最後までやり遂げるような子でもありませんでしたから、初めての小さな偉業に、心ひそかに誇りを感じてもいたのです。

 1学期間一日も欠席せずに誉められた子は2学期に休むのが難しくなる、一年間無欠席で過ごして価値を感じた子は次の年も休めなくなる。自分の経験から学んだことはそういうことでした。中学校の3年間、健康問題とは別に、学校に行くことがしんどいこともありましたがしかし休めない。そして休まず通っているうちに何とか問題を乗り越えることができる――そういうことも学びました。

 後に不登校(登校拒否)が問題になった時、教員として「とにかく子どもを学校に繋いでおきたい、学校に来てさえいれば何となる、学校に来ることを止めてしまうとやがて展望が開けなくなる」そう思いつめて注ぎ込んだ情熱は、そうした経験を背景としています。
 そして当然のこと、自分の子育てにおいても、この「休ませない」は一つの大きな柱となったのです。