「無名のジョブズ」

「なぜ日本にスティーブ・ジョブズが育たないのか」という命題があります。つい最近もテレビでそんな話をしていました。しかし、いかがなものでしょう。ジョブズはそんなに必要なものなのでしょうか。

 話を始める前にジョブズを定義しておきます。このテーマで語るとき、「ジョブズ」には共通の概念があるからです。それはおそらく次のようなものです。

  �@ 非常に独創的な製品を開発または企画し、

  �A 周囲の反対や圧力にも屈せず、

  �B 独占的な利益を確保して企業や国家に膨大な利益をもたらし、

  �C 時代を大きく転換させる人材

 そんなところでしょう。

 そしてそんな概念から日本社会や教育を考察し、やれ「平均的な力を求める日本の教育」だとか「横並びを好む企業風土」だとかいった話になるのですが、日本の社会や教育をいくら考察しても実際はダメです。なぜならスティーブ・ジョブズビル・ゲイツアメリカ社会以外には生まれていないからです。イギリスにもフランスにもドイツにもいません。つまり考察すべきはアメリカ社会なのです。

 しかしその上で、正直言って私は「なぜアメリカはジョブズゲイツを輩出できるのか」というテーマに真剣につきあう気にはなれないのです。なぜなら子どもが小さなころから「成功しなさい」「勝ちなさい」と言われる続ける国をいくら考察しても、「我慢しなさい」「人に迷惑をかけてはいけません」と教えられて育つ日本が近づけると思えないからです。また近づいてもいけないと思うのです。

 そもそもなぜジョブズゲイツを生み出す必要があるのか私には分かりません。たしかに日本はウィンドウズもアイフォンも生み出すことはできませんでした。しかしこの国にはトリニトロン・テレビがあり、VHSビデオがあり、ウォークマンがありました。トヨタプリウスはすぐに後を追ったホンダですら互角の勝負をするために15年もかかった先進的なハイブリットです。今やガラケーと揶揄される多機能携帯も、アイフォンと紙一重のところにいたはずです。

 現在、静かに進行している燃料電池自動車や各種ロボット技術、バイオ技術や医療技術はやがて世界を席巻するはずです。その開発者に名前がないことが、どうして不満なのでしょう。この国に「無名のジョブズ」はいくらでもいます。

 私は技術を独占して企業に利益をもたらし、そのついでに国家を潤し慈善事業に資金をつぎ込むアメリカ型スーパー・タレントよりも、私(わたくし)の独占から技術や価値を守り、全体のために使おうとする生き方のほうが好きです。言い方を換えればスティーブ・ジョブズビル・ゲイツよりも山中伸弥の方が好きだということです。なぜそれで満足できないのか。

 国民性は有機的なものですから外国から「あれ」を輸入して「これ」を入れないということはできません。「あれ」と「これ」は手をつないでやってきます。一方でジョブズを生み出しながら、他方で震災に際してきちんと並ぶ国民性を残すことはできないのです。

 日本をアメリカにしてはいけません。