カイト・カフェ

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「学級という烏合」②〜目標が置ききれない

 学級というのは同い年で同じ地域に住んでいるという二つの共通項以外に何の類似性もない、烏合の衆だというお話をしました。 “学ぼう”とか“学習しよう”とかいった共通の目的を持っているわけでもないバラバラな集団をどう切り盛りしていくか、それが学級経営で教師の腕の見せ所なのだとも。
 これについて現場にいたころの私はほんとうに無自覚でした。無自覚な時期がとても長かったのです。特に一年間の前半の方では比較的まとめやすいクラスが、後半になって何となく停滞してくる、どんよりしてくる、その感じに気づきながら本格的に考えてみようとしていなかったのです。

 それについて気づいたのは不登校の指導の最中です。
 不登校については何の決め手もありません。結果が良くても何が良かったのか、今ひとつわからない場合が多いのです。しかし、とにかく学校に来てほしい、来ていれば何かのきっかけで埒が開く、しかし引きこもったら簡単には打開策が見つからない――それが当時の私の立場でしたから、さまざまな方法を講じて学校に引き寄せるようにしたのです。
 普段の授業には出られなくても行事には参加できる例が多いことはよく知られていましたから、やれ旅行行事だ部活の大会だ、発表会だ文化祭だのとその都度持ち上げモチベーションを高め、学校に繋ごうとし続けたのです。
 ところが半年間はそれでもっても、あと半年がうまく行きません。特に中学校の場合、秋になって部活の新人戦が終わり文化祭が終了すると、残りの半年に楽しい行事はほとんどないのです。中学校はもともと楽しむところではないので受験の近づくうしろ半年はそんなふうになっているのです。

 年度の後半になって学級の活動が停滞するのもおそらく同じです。一学期の最初から、生徒総会を乗り切ろうとか部活の大会を支え合おう、体育祭で1位になろうとか合唱祭で金賞を目指そうとか、そんな言い方をしてもそれは10月までの話で、なかなか後まで引っ張っていけないのです。
 一年間の前半分では、特に意識しなくても、行事を丁寧に追って行けば常に学級を目的集団にできる、しかし後ろ半分はそうはいかない――私が無自覚だったのはその点です。だったら最初から、通年で目指せる目標を持ち、そのために学級づくりをしていけばよかったのですが、そのことの重大さに気づいたのは中学校の学級担任から外れるほんの直前でした。ほんとうにもったいないことをしました。

 では学級として何を目標にし、どんなふうに子どもを育てて行けばいいのか――。
 実はこれには最初から答えがあったのです。そのクラスをどんなクラスにしたいのか、児童生徒は何を目標に日々を生きるのか、そういうことは学級がスタートしたときから決まっています――というか決めています。つまり学級目標です。
 長いあいだ毎年「学級目標」を決めながら、ついぞ通年、それを通して子どもに迫ったりものごとを考えたりということがありませんでした。きちんとやっておけば良かったと強く後悔することのひとつです。