「学級という烏合」③〜学級目標のこと

 学校がいくつも持っている教育上の知恵――小学校では並んで教室移動をするとか、授業の始まりに毎回挨拶をするとか(それらを私は学校の教育学と呼んでいますが)――には、無意味なものはありません。無意味に見えるとしたら、それはかつて意味はあったがもはや形骸化してしまったとか、今も意味はあるがうまく説明できる人がいなくなったとか、上や横から押し付けられただけで現場には適合せず、本来期待された意味が生かせなくなっているとかいった場合です。
「学級目標」は微妙な位置にあって、うまく生かしている人もいればそうでない人もいます。現場にいたときの私は後者でした。
 しかし今から考えると、この問題を深く考えるチャンスはいくらでもあったのです。

「当たり前のことを、バカみたいに、きちんとやる」というのはある中学校の学級目標にあったものです。

kite-cafe.hatenablog.comとても気に入りました。

 20年以上むかし、やはり見学で行った小学校で「何でも言い合えるクラス」という学級目標を発見し、これにはたまげました。担任と私では言葉から受けるイメージが違うのでしょう。私にとって「何でも言い合える――」は戦国時代のイメージです。ほんとうに「何でも言い合」ったら大変だろうなと思いましたが、のちにそのクラスがどうなったかは知りません。

 妻はむかし、職員会に出された学級目標一覧の中に「日々気合い」というのを発見してびっくりしたことがあります。あとで聞くと「響き合い」の誤変換だったそうですが、結局そのクラスは「日々気合い」状態になったようです。

 総じて小学校の学級目標は具体的で数も多くなるのが特徴です。
「相手の気持ちを考え、友だちを大切にするクラス/人の話をしっかり聞き、よく勉強するクラス/どんなことにも、ねばり強く、最後まで取り組むクラス」
といった具合です。

 中学校はなぜか四字熟語が好きで、「一致団結」とか「切磋琢磨」「一心同体」など、よく見かけました。しかし「不惜身命」「一意専心」「不撓不屈」となる「オマエ、横綱昇進か?」とチャチャを入れたくもなります。

「行くぞ3組! 魂の炎上! 燃えよ青春!」
――ここから私は何を感じどう動けばいいのか。それは生徒も同じです。学級目標の作成時には気分よく盛り上がったかもしれませんが、半年後、ここから何かを感じ、指針とせよと言ってもムリでしょう。

 学級目標は一年の通じていつも意識できるもの、新しい活動の際その中に含めることのできるもの、そして教師にとっては「常にそれを使って児童生徒に問いかけのできるもの」でなければならないはずです。
 その点でたとえば「相手の気持ちを考え、友だちを大切にするクラス」は良い目標です。「今のキミの行為は、『相手の気持ちを考え、友だちを大切にする』ことになるのかな?」と児童に問うことができるからです。

「切磋琢磨」も「和顔愛語」も悪くありません。生徒に今の状況が切磋であり琢磨であるかを問い詰め、ギスギスした雰囲気のときには「和顔愛語」とつぶやくだけでもいいのです。
 しかし「一致団結」も「一心同体」もムリでしょう。なぜなら「学級というのは同い年で同じ地域に住んでいるという二つの共通項以外に何の類似性もない」集団だからです。