カイト・カフェ

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「デカルト先生とクリスティーナ」〜学校の失ったもの①

 スウェーデンの女王クリスティーナについて一度まとまった読書をしようと思っていたのですが、いまだに果たせていません。
 f:id:kite-cafe:20191224192911j:plain この人、哲学者のルネ・デカルトを殺したことで有名な人です。殺したと言っても殺人とか処刑とかいった生臭い話ではありません。

 クリスティーナは30年戦争の最中の1626年、スウェーデン王グスタフ2世の娘として生まれた人です。父王は妃との仲が悪く、子は一人と決めていたために最初から後継ぎとして男の子のように育てられました。そのため生涯男装を好み、結婚もしませんでした。政治的手腕も高く、信望も厚かったようです。

 父が早くに戦場で死んだために5歳で即位し、18歳の時には親政をはじめています。19歳で30年戦争を終わらせるという大事業を達成しますが、20歳の時に退位を言いだし、実際に25歳で王位を捨ててしまいます。大変な勉強家で学術を好み、数ヶ国語に長け、音楽・美術からあらゆる学問に精通していたと言われています。

 そのクリスティーナが惚れ込んだのがルネ・デカルトです。女王の招聘に際して高齢(58歳)を理由に3度に渡って断ったものの、最後は軍艦を差し向けられ、ほとんど拉致されたような形でデカルトスウェーデンに向かいます。女王はまだ24歳で政務に忙しかった時期です。

 その多忙な女王は同時に異常なほど熱心な生徒で、「大好きなルネ」の話が聞きたいばかりに午前5時からの講義を設定します。ほかに時間がなかったからです。

 しかしルネは暇に任せて学問をしてきたような人で、午前11時前に起きたことなどないような人です。結局5か月後、肺炎を患いルネ・デカルトは亡くなります。女王が殺したというのはそういう意味です。

 私がクリスティーナに興味を持つのはその奔放なキャラクターのためですが、一方でその対極にある「暇に任せて学問をした」デカルトにも興味があります。
 学問というのは、基本的に十二分な時間が確保されていなければできないと考えるからです。

 例えば本を一冊読むにしても、次にページを開けるのがいつになるか分からないような状況では大部の著作にはあたることができません。何らかの研究にいそしもうと思っても、教員として職務の合間を縫っての活動では、どこまで進めるかまったく見当がつかないのです。

 まだこの仕事についたばかりの頃、先輩の先生からこんなことを言われたことがあります。
「昔の先生は偉かったものだよ。とにかく良く勉強した。○○先生なんかひと夏チョウを追い続け、それで論文を書いて結局、大学の先生になってしまった」

 私はまだ若かったので黙っていましたが、内心相当にイライラしていました。なぜならその年の夏休みのほとんどを、私は部活の顧問として費やしてしまったからです。とてもではありませんが、野山を一ヶ月に渡って駆け回るなどとは行かなかったのです。

 ちょうどそのころ、資料室の係をやっていた関係で昔の学校日誌を読む機会がありました。のちに結婚することになる若い教員が二人で日直をやっていたり(日直のついでに愛でも囁いたのかな?)、校内で行われた宴会の記録が残っていたりとけっこう面白かったのですが、昭和30年前後の学校では放課後の使い方に苦労している様子が見えるのもこれまた面白い体験でした。

 嫌がる生徒を無理やり残して野球をしたり、放課後に焼肉会を開いたりと、どうにものんびりとした風景が垣間見えるのです。
 学問的雰囲気というのは、そういうところから始まるものなのかもしれません。

(この稿、続く)