身も蓋もない三つの物語

 マット・デイモンという役者は、父は株式仲買人、母親は大学教授、兄は彫刻家という家柄で本人はハーバード大学に進み在学中から映画に出演していた、そんな人です。そのころから友達と書き始めていた脚本『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』は10年後に映画化され、アカデミー賞脚本賞を取ると共に、自身も主演男優賞にノミネートされたりしています。もっとも両親は彼が2歳の時に離婚していますから完全にすべてを持っているというわけではありませんが、才能と容姿と運と、どれもこれも人並み以上に与えられた(その意味ではとても嫌な)男です。

 そのマット・デイモンが先日テレビでインタビューを受けていて、「夫婦円満の秘訣は?」とか聞かれて一言、

「良い妻を持つことです」

(確かに、しかしそれを言ったら身も蓋もない。)

「自分の子を確実に東大に入れる方法」というのがあります。しかしそれには三つの条件がそろうことが必要です。

 まず第一は学習習慣があること。成績を上げる原動力は“意欲”ではなくて“習慣”です。

 第二に、優秀な学習塾・予備校に入れるか一流の通信教育を受けること。東大ともなるとどうしても専門組織の経験と知恵が必要です。

 そして三番目に(これが最も重要なのですが)、飛び抜けて頭の良い子どもを産んでおくこと。「確実に東大に」となると三番目の条件は絶対に欠かせません。

(身も蓋もない・・・)

 私が子どものころは「一流の高校から一流の大学へ、そして一流の企業へ」といった言い方がありました。今では馬鹿にされる言葉ですが、当時だって堂々と言えるものではありませんでした。

 しかしうすうすと、そういうものかもしれないなと思わせるものがありました。何しろ親と同じレベルの生活をしたいと思ったら親と同じ学歴ではいけない時代が来ていたのです。友人の一人はのちに“一流”と言える企業に入りましたが、1万円の自己負担で一週間もハワイに行ったり飲み会は個人的なものまですべて交際費で落としていたりと、やはり羨ましい生活を送っていました(今はもちろん違います)。

 ところが今や学歴が絶対ということはなくなりました。今はこういう言い方になります。

「どこの大学を卒業したかで人生の決まる時代は終わり、どこの家に生まれたかで人生が決まる、そういう時代が来た」

 これも身も蓋もない話ですが、1の例や2の例にはない深刻さがあります。

 一方で家庭の在り方に大きな差が出てきました。端的にいえば子どものために金も時間もエネルギーもすべてを投げ込める家もあれば虐待の家もあります。そのどちらに近い家に生まれるかで、その子の人生はまったく違ったものになるでしょう。

 他方、学校はその違いを消すことをやめてしまっています。かつての学校は何でもかんでも型にはめ、個々の違いを消そうとしました。「一流の高校から一流の大学へ、そして一流の企業へ」のような単一の価値観があってその枠でしか子どもの成長を考えなかったのです。それが個性尊重の時代になって、その子の持っている属性(もちろんその中には家庭環境も入ります)は丸ごと尊重されて大人になってしまいます。

 個性や自由は、尊重されると必ず幸せになるというものではありません。