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「教育用語の基礎知識」④〜向き合う・寄り添うA

「きちんとお子さんと向き合ってください」「お子さんにしっかり寄り添って・・・」
 このふたつはやはり異なるでしょう。
「向き合って」だとどうしても親子は対面しますが、「寄り添って」だと並んで同じ方向を見ることになります。「向きあって」でできることは、話し合うとか殴り合うとか、あるいは相撲を取る、レスリングをするといったことです(ハグもあるかな?)。「寄り添って」はベンチに並んで座るか、一緒に歩くかといった感じになるでしょう。
 その上でどうしたらいいのでしょう?

 デーモンという人は「親の育児と子どもに見られた傾向」(1990)という論文において、子どもに対する親の在り方を三つの類型に分けて、それぞれの親の元に育った子どもたちの傾向をまとめました。
 それによると第一分類「権威主義的保護者」――子どもに対する要求が高く、子どもの意見や感情を尊重しない親。そうした親の元では「自信やバイタリティがに欠け恥ずかしがり屋、失敗や欲求不満に対する耐性や自己統制が低い。女児の場合は親に依存しやすく、男児の場合は通常強い敵意を持った子どもに育ちやすい」とされています。
 第二分類「厳格的保護者」――子どもに対する要求が高く、同時に子どもの意見や感情を尊重する親。そうした親の元では「能動的で自立的、友だちとは友好的で親とは協力的な子。知的・社会的な成功者であり、人生に喜びを感じ、達成への動機づけの強い子どもが育ちやすい」。
 第三分類「寛容的な保護者」――子どもに対する要求が低く、子どもの意見や感情を尊重する保護者。そうした親の元では「自信がなくバイタリティに欠け、失敗や欲求不満に対する耐性・自己統制の低い子」が育つといった結果が得られたそうです。

 あまりにも予想通りのハマり過ぎた結論なので眉唾なのですが、ここで注目したいのは第一分類と第三分類に属する親子はこの範疇にいる限り、日常的な対立・抗争から回避できるということです。
 第一分類についていえば少なくとも保護者の権威や実効的な権力が弱まるまで、第二分類は子どもの欲求が極限まで肥大化(とんでもなく高価なものを購入しろとか有名大学への裏口入学のコネを探して来いとかいった)しないかぎり、平穏な日々が続きます。何しろ一方が他方の言いなりになっているのですから問題の起きようがないのです。
 ところが第二分類は大変です。

 子どもの要求は成長とともに日々高まります。何年たっても絵本とお人形があればいいというわけにはいきません。親の要求はさらに貪欲で、新生児のころは健康で生きていてさえくれればいいと思っていたはずなのに、いい子になれもっといい子になれと際限ありません。子どもが目標に到達するとさらに上を目指させようとします。そうした互いの欲求を“要求”として相手の前に提示し、調整を図るわけですから日々闘争といった感じになりかねません。
 内容的にも「今度の夏休みは山に行くか海に行くか」といったどっちに転んでもかまわない――つまり自由な話し合いに任せることのできるものから、「死にたい」「死んではいかん」といった0対100で勝ちを目指さなければならないものまで多種多様です。話し合いというよりは説得・折伏といった感じになることもあれば、侃々諤々の大議論になることもあるでしょう。子どもの言い分を微笑んで聞いていればいい場合だってあります。しかしそのいずれにも共通するのは、
「一つのテーマに対して互いの要求を示しあい、調整し合う」
ということです。それが「子どもに向き合う」ということに具体的意味なのです。
 そしてそうした親子の相互関係を通して、子どもは「主張し合ってせめぎ合い、引き合って、お互いさま」(富田富士也)といった人間関係の妙を学びます。

 しかし「寄り添う」はまったく異なった概念です。

(この稿、続く)