カイト・カフェ

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「適応障害と不安障害の話」~用語をきちんと整理しよう

 新型うつと呼ばれる症状についてお話したことがあります。職場では典型的なうつ症状を見せるのに、一歩職場の外に出るとむしろ陽気なほど元気の良い変種の「うつ」乃至は「うつ病」のことだと説明しました。通常の抗うつ剤は効きません。

 職場で仕事に支障があるとなると、自分の将来は見えてきます。それが職業人としての自分にどんな運命をもたらすか、理解しながらもそうであり続けるのですからやはり病気には違いありません。しかし何しろ仕事もせずに家では遊んでいるのですから、こちらも素直になれません。どうしても普通の『うつ』の人に寄せるような暖かい眼差しの向けにくい人たちです。

 ところが、最近読んだ本の中で、「これは新型の『うつ』というよりは適応障害ではないか」といった表現を見つけました。目からウロコの思いです。それなら分かりますし、心を寄せることもできます。

 1997年に司馬理英子さんの「のび太ジャイアン症候群 いじめっ子、いじめられっ子は同じ心の病が原因だった」を読んだときの衝撃も大きなものでした。私たちが何年ものあいだ指導に苦しんできた特異な子どもたち、その行為行動は親や担任の教育や指導とは何の関わりもなく、その子が本来持っている障害のためだということ。そう考えるとかつての教えた何人かの様子がまざまざと浮かんできます。もう彼らに手の届かない段階になって、初めて指導の方向が見えてきたのです

 必要だったのは私たち素人の叱咤激励・恫喝ではなく、医師の適切な助言と、そこから生み出されるさまざまな工夫だったのだと、そう思うと徒労感と同時にある種の希望も湧いてきたものです。

 さて、私は前任校で「いじめ」のために教室に入れなくなった女の子の指導に、ずいぶん苦しんだことがあります。赴任したときはすでに保健室登校でしたので「いじめ」事件そのものをリアルタイムで見聞したわけではありません。したがって本人や周辺の先生たちから聞き取るのですが、どう聞いても実態が分からないのです。

 仲間はずれは確かにありました。仲のいい友だちと話していると別の子が来てその子を連れて行ってしまうというようイジワルもありました。しかし学校に来られなくなるほどの「いじめ」があったとはどうしても思えないのです。また、仲間はずれにされたら他のグループに入れてもらうといった選択肢もあったはずなのに、そうした痕跡もありません。

 おまけに保健室登校しているあいだ中、かつてのいじめっ子グループが「覗きに来た」「偶然目があったら睨んだ」、逆に「目があったら視線をそらして無視した」「廊下でわざと大声を出して脅した」と「いじめ」の事実を指摘し、その都度保護者が乗り込んできて対応を迫るのでほんとうにたいへんだったのです。

 厚生省は今年の5月に「ひきこもりの評価・支援に関するガイドライン」を出しました。それを読んで驚いたのは、「精神保健福祉センターのひきこもり相談における研究(近藤ほか, 2010)では、当事者との面談ができた事例の大半に精神障害の診断が可能であることが示されました」といった表現があり、「ひきこもりと関係の深い精神障害とその特徴」といった章もあって、基本的に「ひきこもり」を障害の問題としてあつかっている点です。

「ひきこもりと関係の深い〜」の二番目の項目は、不安障害です。前述の女の子の指導の最中、なぜ自分の頭中に「不安障害」という言葉が浮かんでこなかったのか、今となっては不思議です。

 もちろん仮に浮かんだとしても、保護者に向かって「問題は『イジメ』ではなく、お嬢さんの不安障害です」とはとても言えた状況ではありませんでした。しかし私たちの心構えとして、その可能性を頭の隅においておくことは絶対に意味があったはずです。

 現在、引きこもりの親の会で全国最大の組織は「全国引きこもりKHJ親の会」です。KHJとは「強迫性神経障害・被害妄想症外・人格障害」の頭文字です。私はかなり以前からこの会のサイト存在を知っていましたが、引きこもりを障害とみる見方に抵抗があって、きちんとページを読んだことはありませんでした。しかし今回厚生省のガイドラインを読んだのを契機として、もう一度このサイトに向かってみようかと思っています。