カイト・カフェ

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「地上の神」~特別支援学校の子どもたち

 先週の土曜日にK養護学校の体育祭に行ってきました。事情があって以前から関わっている子がいるので様子を見に行ったのです。

 K養護学校には様々な人たちがいます。基本的には小学部・中学部・高等部・◯◯部(重度心身障害)の4部からなっているのですが、それ以外に「◯◯訪問部」とくくられる人たちがいます。正確には◯◯高等部訪問教育という訪問教育の枠内にいる人たちです。

 もうすでに30代、40代になろうという人たちですが、K養護学校に高等部(高等学校相当の教育を行う)がつくられたとき、すでに就学年齢を過ぎた年代の重度心身障害の方からも希望があってつくられた制度です。
 体育祭では応援団として、タンバリンを叩いたり鈴を鳴らしたりしての参加をしておられました。
 生涯病院の中にいて介護を受け続ける人たちです。私も病棟に入ったことがありますが、生産的な仕事から遠ざけられ、ただそこにいるという感じでした(この感じ方は、一度しか行ったことのない者の偏見かもしれません)。
 私は養護学校の経験がないので、重度心身障害の方たちを見るとそのたびに心が潰される気がします。慣れるということがないのです。

 人は、すべての人が五体満足で健康に生まれてくるわけではありません。先天性の心疾患だけでも1%近くもいます。私たちの世界になじみ深い発達障害は6・3%という数字が提示されています。その他知的障害や身体障害を入れるとかなりの数字になります(もっとも、いわゆる五体満足に生まれたところで健康に育つかどうかというと別問題で、非行に走る場合もあれば引きこもりになる場合もあります。親の思い通りにならないという意味なら8割以上の子が何らかの“問題”を抱えることになります)。

 一定の割合で誰かがその障害を背負わなければならないとしたら、私が元気で働いていられるのはその人たちが私の代わりに困難を背負ってくれたからです。
 私の子どもたちが(けっこう困ることもあるのですが)曲がりなりにも普通の生活を送れるのは、別のだれかが重い十字架を背負ってくれたからなのです。その意味からすれば、この人たちは地上の神様なのです。

 目の前に過酷な困難を抱えた人々が何人もいて、それなりに懸命に生きている姿を見ると、私は毎回深く首を垂れる気持になります。

 なんと言っても“神様”なのですから。