お釈迦様を乗り越えて

 教師の体罰がいいはずはありませんし、今後学校で許可される時代なんて絶対来ませんからむしろ安心して書くのですが、かつて体罰で救われた子は山ほどいました。もちろん体罰で心や体に傷を負った子もいますが、殴られて目が醒めた子も、正座させられて初めて行動に歯止めが効く子も、グランドを走らされることによって悪い仲間に対する言い訳のできる子もいたのです(オイ、また走らされたんかァ。しゃあない、しばらくおとなしくしてるかァ・・・)。

  お子さんのいる先生方だったら、まだ「幼児」と呼ばれる時代の自分の子どもに何度か「お尻、ペン!」をした記憶がおありかと思います(私はかなりやりました)。それは当たり前で、2歳3歳の子どもに意を尽くして語りかけたって、たいして意味のあることなどできないからです。子どもは諭している親の表情からは学んでいますが、言葉なんてまったく心に馴染んではいないのです。そんな小さな子どもを言葉だけでコントロールしようとするのは、犬に言葉で調教するのと同じです。

 「ホラね、前にも言ったでしょ? 人間だって他人に噛み付いたりすれば警察に引っ張られちゃう。ましてやあなたは人間じゃないんだから、人に噛み付いたりすると殺されちゃうんだよ。だから噛んじゃだめなんだ。わかった?」

 犬にそんなことを語りかけている人はいないはずです。 

・・・といった話を伊能先生と職員室でしてたら、ひろみ先生が「そうですよね。お釈迦様だって孫悟空に金の輪っかをつけなければ、言うこと聞かせられなかったんだし・・・」

 私は、こういう話には舞い上がって飛びつきます。

《そうだよね。お釈迦様でさえ暴力なしではやっていけなかったのに、私たち凡人が言葉だけで子どもを動かしていくんだから、教員ってヤッパリすごいや》
と、とても感心した朝でした。ひろみ先生にも感心、感心・・・。

 

* 頭についた金の「輪っか」・・・調べましたら「緊箍児」(きんこじ、別称「金剛圏」)というのだそうです。