カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「時よとまれ、君は美しい」~美しいことにこそ価値がある

 1968年に開かれたミュンヘン・オリンピックのテーマで、原典はゲーテの『ファウスト』です。
 当時は、世界のトップ・アスリートが凌ぎを削るスポーツの場になんと情緒的な、と思いましたが、今はなんとなく分かります。

 しつこく繰り返しますが、道徳のひとつの側面は「美しく生きる」ということです。
 ウソをつくのがいけないのは、一面、それが「他人に迷惑をかけない」という道徳の別の側面に違反するからではありますが、もう一方でそれが「みっともない(=美しくない)」、自分の利益のために何でもする姿が「はしたない(下品でいやしい)」からでもあります。

 あるものが美しいかどうかということは情緒的・感覚的なものであって、言葉で説明することはなかなかできません。なぜなら「説明」は極めて理屈っぽく、情緒や感覚を伝えるのに困難だからです。
 何が美しいか・・・きちんと立っていること、きちんと座っていること、はきはきとものをいうこと、やさしい微笑をたたえていること、マナーにしたがって食事をすること、ウソをつかないこと。掃除を一生懸命やること、授業に真剣に立ち向かうこと・・・そういうことの美しさは、体験的に学んでいくしかないのです。

 さて、組体操や表現運動の美しさは、ひとつには統一美です。個々ばらばらなものが個性を殺し、集団としての生み出す全体の美です。ですから組体操を組むひとりひとりは、常に全体の美、というものを考えていなければなりません。低学年の児童たちは「かわいいね」ですみますが、高学年はそれだけではダメです。外から見てどれだけ美しいか、それが勝負どころでです。技のキレで驚かせるだけでなく、全体の美しさで観衆を沸かせるように常に心がけなくてはなりません。

 今日は雨。外の練習ができず傍から見ている私たちはハラハラしています。しかし例年を考えるとそれも担当の先生方にとっては想定内らくし、毎年、きちんと仕上げてきてくれますから、大丈夫でしょう。