カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「東日本大震災の基本的なことと、学校のやったこと」~13年目の3・11に際して①

 13年目ということは今の中学1年生までが生れる前のこと、
 2~3年生でも覚えているはずがない。
 だから私が現役教師なら、今朝は基本的なことをメモにして、
 精いっぱい語り掛け、そして自分が何をすべきかも考えるだろう。
という話。(写真:フォトAC)

【震災に関わる基本的数字】

 13年目の3・11です。
 地震の起きた正確な日時は、2011年(平成23年)3月11日14時46分。震源地は宮城県牡鹿半島の東南東沖130 km。深さ24km。地震の規模を表すマグニチュードは9.0。
 最大震度は7が宮城県栗原市震度6強が宮城・福島・茨城・栃木の4県36市町村と仙台市内の1区で観測されました。
 
 その後押し寄せた津波は最大波高10m以上、最大遡上高40.1mと言われ、東北地方から関東地方までの広い範囲に甚大な被害をもたらしました。
 死者は12都道県で1万5900人余り。行方不明者は6県で2523人。負傷者は6200人余りだったといいます。
 地震だけならまだしも、津波がとんでもない数の人々をさらってしまい、さらに追い打ちをかけて福島第一原発事故が多くの人々から土地と家と人間関係を奪ってしまったのです。
 まさに未曾有の大災害でした。

【学校は粛々と学んだ通りのことをした】

 私は毎年3月11日の15時くらいになると心がざわめきます。
 2011年のその日、被災地では大きな地震がいちおう収まった午後2時50分ごろから、机の下に隠れたり屋外でしゃがみ込んでいた人たちがようやく動き始めます。
 
 石巻市立門脇小学校では女性校長の指示の下、子どもたちが裏山(海岸段丘)の上にある日和山公園に移動を始めます。校長の判断ではありません。避難手順がそうなっていたのです。
 非常事態とはいえ、避難自体は訓練で慣れていますから粛々と行われます。そこへ学校をアテにした地元住民が訪れてくるのですが、すかさず残った職員が公園に登るよう声をかけます。小雪交じりの寒風の中を、ウンザリしながら仕方なく歩き始めた人もいるかもしれません。しかし、だから助かりました。
 
 広い平野の海沿いに立つ仙台市立荒浜小学校では地震直後、すでに下校を終えていた1年生を呼び戻すため、職員が走ります。そうこうしている間に地域移住民が続々と学校を訪れ、校長は全員を3階以上に案内します。その直後、津波は小学校に押し寄せ、2階までを完全に水没させました。しかし子どもたちはもちろん、避難して来た地域住民も全員が3階以上にいましたから、命を拾うことができました。なぜそんなに手早く動けたか――言うまでもなく、学校と地域の避難手順がそうなっていて、訓練もしていたからです。
 
 宮城県気仙沼市にある気仙沼向洋高校(現在の伝承館)は少し様子が違っていました。海辺の平らな土地に立つ高校でしたが、教師の指示で少しでも高い場所を求めて、生徒と教員は内陸へと走ったのです。途中で地域の人々(その多くは地震の後片付けをしていた)にも声をかけますが、誰も動こうとはしません。これが門脇小学校や荒浜小学校との大きな違いで、小学校は地域にしっかりと根を張り、地域とともに動いているのに対して、高校は日ごろから地域との人間関係が薄く、一方が動けば他も引きずられるというふうにはなっていなかったのです。同じ場所で被災したのに、生徒と教職員は助かり、多くの地元民が亡くなるという不均衡はこうして起きました。

【あの大川小学校もその場で可能な最大限のことをした】

 門脇小学校と同じ石巻市内の、東側の山をいくつか越えた先にある大川小学校でも、児童教職員は地元民とともにありました。避難訓練の手順に従って校庭に集められた子どもたちは、そこで保護者の迎えを待つことになります。雪が舞い始めましたが、余震が怖くて校舎に戻れず、体育館も入れる状態になかったからです。

 マニュアル通りの避難という点では門脇小学校や荒浜小学校と同じでしたが、ひとつだけ大きな違いがありました。大川小学校の避難手順には「津波避難」という概念がなかったのです。直線距離で2~3kmほど先にある海は山に遮られて見ることができず、海抜が1mほどしかないということも意識しにくい場所でした。そして職員にも地元住民にも、津波に対する危機感がほとんどなかったのです。
 
 三陸は有史以来、何度も大津波に遭っていますが、はっきり記録に残る9回の大津波(869年、1611年、1616年、1676年、1696年、1835年、1856年、1896年、1933年)はいずれも大川地区に到達していません。大川小学校のすぐ北側を東進して太平洋にそそぐ北上川は、東日本大震災で巨大な津波を受け入れ、膨大な量の海水を小学校の上流まで運んでしまった大河ですが、1933年の大津波の翌年、ようやくその場所に移された付け替えの川で、それまでの北上川石巻市内を真っ直ぐ南下していたのです。
 つまり2011年の大津波は、北上川が大川地区を通るようになって初めてのもので、津波の記憶は地域の伝承としてもなかったのです。地域の人が知らないことは、教師たちも知りません。
 それがおそらくあの日、地震の瞬間、大川地区にいた児童・教職員を含むほとんどの人が避難せずに津波に飲まれてしまった原因だと思われます。
 ただし、裁判はそのような判断はしませんでした。
(この稿、続く)

「親ができないなら、学校がやるしかないじゃないか」~誰かが穴を埋めなければ子どもは助からない

 孫1号のハーヴが、父親と一緒にマラソン大会に出た。
 DCDで運動の苦手な子に、少しでも自信をつけたいという。
 そんな対応をしてもらえる孫1号は幸せだ。
 しかしそうでない子はやはり、学校がみるしかないじゃないか。
という話。(写真:シーナ・SuperT)

【孫1号のハーヴ、マラソン大会に出る】

 正月に会って以来、孫たちを見ていないので寂しくなって、娘のLINEに“何でもいいから動画を送ってくれ”とメッセージしたら、まとまりのない10本あまりが送られてきました。そのうちの3本ほどは先月立川市で行われた「ベジタブル・マラソン」とかいう大会に、孫1号のハーヴと父親のエージュが出場したときのものでした。
 
 ハーヴについては生まれたときからずっと折りに触れて書いてきましたが、仮死状態で生まれたこと、寝返りを始めとする運動発達に遅れがあったこと、その割に知的関心は強く、計算や漢字、地名などに対する興味は人一倍強かったこと。やや子どもらしさに欠け、その分とても育てやすかったこと、などを記録してきました。いま考えると怪しいことばかりでした。
 そしてこの一年あまりは、DCD(発達性協調運動障害)を持つ子として、ハーヴの言動を意識することが多くなってきました。一番最近の記録は、昨年の9月19日以降のものです。(*1

【おさらい、DCD】

 DCDは簡単に言ってしまうと、次のように説明できます。
「サッカーで敵のゴール前に迫ったところ絶好のパスが来て、それを思い切り蹴ったら見事にゴールネットを揺らした」
 この時に使った技能は、
1. 「敵の守備に穴を発見する」
2.「ゴール前まで走り込む」
3. 「仲間にパスを要求する」
4. 「自分のところに飛んでくるボールを見る」
5. 「ゴールキーパーを見る」
6. 「蹴り抜く角度と強さを計算する」
7. 「つま先でボールをける」
8. 「万が一のためにさらにゴールへ詰め寄る」
といったものです(正確ではないかもしれませんが)。

 DCDの子はそのひとつひとつの能力には遜色はないのです。走ることも見ることも蹴ることできる、ただ「見ながら走って蹴る」ということが苦手なのです。三つを同時に行う調整能力に問題がある、だから日本語では「協調運動障害」、英語では「Coordination Disorder」。コーディネーションの障害なのです。
 ハーヴの場合、1年生になってもペットボトルの蓋が開けられませんでした。「強く握って」「回す」という二つの作業を同時に行うコーディネートが苦手なのです。
「発達性(Developmental)」を頭につけるのは、これが「発達障害」の一部であることを明らかにするためだと思われます。

【問題の所在】

 「だったら、サッカー選手にしなけりゃいいじゃん」という乱暴な言い方は、あながち間違いとも言えません。Jリーグを目指すと言ったら反対する、マジシャンになりたいと言い出したら大反対する、それ済む面もないわけではありません。苦手なことはしないで済むように生きればいいのです。(*2

 ただ、子どものうちは全方位での活動が要求されます。ハサミが上手く使えなくても図工や家庭科の時間には持たされます。縄跳びや跳び箱がうまくできなくても、やる前から忌避してはいけません。もしかしたらリコーダーの演奏でも人に後れを取って切ない思いをするかもしれませんが、やらないわけにもいかないでしょう。
 それらがうまくできないことも大変ですが、できないことによって失われる自己効力感、有能感、自己肯定感――そちらの方が、よほど恐ろしいのです。
 
 ですから上手く行かないと予測されるときは「予め下駄をはかせておく(前もって練習しておく)」とか、「できることで補えるようにしておく(サッカーは下手だけど、水泳は得意)」とか、何等かの対応をしておかなくてはなりません。

【ハーヴは幸せ者】

 LINEに送られてきたマラソン動画に、妻が、
「ハーヴ君、最後まで一人で走り切れたね。スゴイですね」
とメッセージを送ったところ、娘のシーナからは、
「運動に苦手意識が強いハーヴなんだけど、
 長距離は自分は得意かもしれない、
 と自信を持ち始めたので
 最近いろいろマラソン大会参加しています」
と返信がありました。

 長距離走はあまり巧緻性を必要としない競技です。能力がなくても努力と我慢だけである程度の成績を収めることができます。私も子どものころは得意でした(他はまるでダメだった)。
 そんな長距離走に、
「自信を持ち始めたので、最近いろいろマラソン大会参加しています」
と積極的に参加を申し込み、一緒に走ってくれる親――そうした親を持っているだけで、すでにハーヴは幸せ者です。親ガチャの勝ち組です。そしてそんな親の片方(母親の方)を育てたのが自分だというのも、私の密かな誇りです。

【学校が親の肩代わりをするのも仕方ない】

――と、そんなふうに自慢しながら文章を閉じようとして、やはり何かが違っている感じがします。私は自慢したくてハーヴのマラソン大会の話をし始めたのではないのです。

 ハーヴが父親のエージュと一生懸命走り、母親のシーナと弟のイーツが大声で応援する、その微笑ましくも美しい姿を動画で見ながら、まず思ってそのあともずっと頭の中にあったのは、シーナたちのことではなく、
「世の中にはこういう支援が受けられない子がいる」
ということでした。
 問題や障害に気づいてもらえない子たちがいる、気づいても対応してもらえない子がいる、いちいち間違った対応しかしてもらえない子たちもいる、ということです。

 教員の働き方改革についてさまざまに言われる中で、
「それは学校の仕事ではない」
「それは家庭がすべきことだ」
といった言葉にしばしば出会います。家庭教育が一番なのは当然です。しかしそうやって家庭に返せば、親は実際にやってくれるのでしょうか。やれる能力はあるのでしょうか?

 学校には、小学校英語だのプログラミング学習だの(以下、思いつきの6項目を全部省略*3)といった平成以降に増えた埒もない仕事が山ほどあります。働き方改革はそうしたものを大胆に削減し、人間を増やして行うべきで、教育力のない家庭の肩代わりをする仕事は、やはり減らしてはいけないように思うのです。

*1:「誕生日が過ぎても使える『誕生日プレゼント引換券』の話」~DCD(発達性協調運動障害)、子どもの姿が見えてくるとき① - カイト・カフェ以降

*2:ただし大人になると縄跳びや跳び箱をする機会こそ少なくなりますが、ひげ剃りや化粧、料理や家事、自動車運転、タイピングや細かい手作業など、年代特有の課題が生じることもあります。

*3:国学テだのキャリアパスポートだの、指導要録や通知票の多すぎる記述欄だの、教員評価だの学校評価だの、総合的な学習の時間だの、

「ヘンリー八世と千日のアン、そしてユートピア」~今日はトーマス・モアの誕生日

 今日はトーマス・モアの誕生日。
 しかしこの人、日本ではあまり知られていない。
 「ユートピア」を書き、ヘンリー八世や千日のアンと渡り合った
 カトリックの硬骨漢・・・らしいけど。
という話。(写真:パブリックドメインQ)

【今日はトーマス・モアの誕生日】

 今日、2月7日はイギリスの思想家トーマス・モア(右図)の誕生日だそうです。1478年といいますからコロンブスアメリカ大陸発見の14年前、日本史に当てはめると応仁の乱の終わった翌年あたりということになります。ちなみにモアが処刑されたのは1535年で、これは織田信長の生まれた翌年に当たりますから、歴史上のだいたいの位置が見えてきます。
 
 このトーマス・モア、何をした人かというと、15世のロンドンの法律家の家に生まれ、オックスフォード大学などいくつかの学校を経て弁護士資格を取得。下院議員になったころから時のイングランド王ヘンリー八世に気に入られ、とんとん拍子に出世して最終的には官僚として最高位にあたる大法官まで出世した人です。敬虔なカトリック教徒で、大法官就任以来2年間で6人の異端者を死刑にしたといいますから、相当な頑固者です。

 ただこれだけだと記録も残らなければ、人々の記憶にも残らない人だったはずです。それが1532年にヘンリー八世の離婚問題にかかわってこれに猛反対し(カトリックは離婚を認めないため)大法官を辞職。後に王の復讐を受けて反逆罪で処刑されます。これによって名を残しました。
 私にはその半世紀余り後に日本の最高権力者豊臣秀吉に疎まれ、切腹に追い込まれた千利休と印象が重なります。


【ヘンリー八世と千日のアン、そしてモア】

 日本史では織田信長豊臣秀吉が出てくると、俄然、話は面白くなりますが、英国史もヘンリー八世が出てくると突然、面白くなります。なにしろ正式な結婚だけでも6回。愛人は数あまた。
 妻である王妃キャサリンの侍女、メアリー・ブーリンに手を出したかと思うといくらもしないうちにその妹アン・ブーリンにも手を付け、ところがアンは姉ほどには従順でなかったようで、王に離婚および自分との結婚を迫ります。そのあたりから歴史は大きく動いて行きます。
 王は離婚を決意しますがトーマス・モアは大反対、ローマ法王も首を縦に振らない。そこでモアを処刑し、ローマとは袂を分かってイギリス国教会をつくり、国教会に離婚を認めさせ再婚するわけです。つまりそのとき歴史が動いたーー。
 
 王がヨーロッパの宗教地図を大きく変えてまで結婚したアン・ブーリンは、女の子しか産まなかったためにやがて疎まれ、3年後に冤罪を被せられて処刑されます。彼女は3年しか王妃の座にいなかったので「千日のアン」と呼ばれています。

 アンの産んだ娘はやがて王位にいてエリザベス1世となりますが、そのエリザベス1世と王位を激しく争った先の女王メアリー1世は、300人ものプロテスタントを処刑したギンギンのカトリック教徒だったことから、「血まみれのメアリー」とあだ名され、それがウォッカをトマトジュースで割ったカクテル、「ブラッディ・メアリー」の名の由来だとされています。
 ね、俄然面白くなったでしょ? この先はご自分で詳しく調べてください。

トーマス・モア著「ユートピア」】

 世の中には著者も作品名も有名で、大勢が知っているのにほとんど読まれたことのない書物、というものがあります。かなりありますがそのほとんどは高校入試や大学入試で覚えた作品です。
 いま評判の「源氏物語」やもうすぐお別れの福沢諭吉の「学問のすすめ」、坪内逍遥小説神髄」、島崎藤村「破戒」――これらは大学入試のために必死に覚えた「名前と作品のペアセット」ですが、中身については特に問われませんでしたから、実際に読んだことのある人はごくごく少数でしょう。西洋史で言えばトーマス・モアの「ユートピア」がその代表です。私も読んだことがありません。
 
 ただし「ユートピア(Utopia)」がラテン語の題名で、「U」が英語の「No」、「topia」が「Where」だという話はどこかで聞いたことがあります。つまり「ユートピア」は「Nowhere(どこにもない場所)」なのです。さらに「Nowhere」を逆に並べた「Erehwon(エレフォン)」という題名の反ユートピア小説があるという話も聞いたことがありますが、これも現物は見たことがありません。
 ただし分からない尽くしでも仕方ないので、生成AI に聞いてみたり自分で調べたりして、知識として頭に詰め込んでおきましょう。以下、叱咤被っていますが、実はそうやって調べた話です。

【で、どんな話?】

ユートピア」は、ラファエル・ヒトラーダスという架空のキャラクターが、航海中に偶然発見した島国について、ヨーロッパの貴族らと対話しながら語るという形式で構成されています。

 理想的な社会で、私有財産はなく、資源も国民に共有されています。労働や財産の平等が重視され、貧富の差が極端に狭められて全国民は家族のように暮らしているのです。
 政治的には民主的な共和制を採用しており、知識人や指導者が統治に参加しています。社会保障や医療・教育も充実していて、国民は健康な上に長生き、信教の自由も保障されています。
 一日の労働時間はわずか6時間。しかしそれは工業化が進んでいるからではなく、国民全体に、自分の利益より公共の利益を優先させる教養と徳が身についているからです。私利私欲のないユートピアでは、犯罪も恐怖も労苦も存在しません。
 
 「ユートピア」は理想的な社会の像を描きながら、その可能性や問題点について探求する哲学的な作品で、満足を知らず、傲慢かつ貪欲で、私利私欲の塊とも言えるヨーロッパ人には、とうていこのような国をつくることができない、だからユートピアなのだ、とモアは言いたいのかもしれません。
 でも、「国民全体に、自分の利益より公共の利益を優先させる教養と徳が身についている」とか「社会保障や医療・教育も充実していて、国民は健康な上に長生き」とか。だいぶ怪しくなってきましたが外国と比べるとまだまだ「貧富の差が極端に狭められて全国民は家族のように暮らしている」とか、――ユートピアによく似た国は、21世紀の極東に実在する、と私は思っています。それについては改めて考えましょう。
 
 ただし、敢えて書きませんでしたが「男尊女卑」だとか「不浄な仕事は奴隷に任せる」など、現在の価値観では受け入れることのできない性格も「ユートピア」は持ち合わせていたようです。なにしろ500年も前の物語。しかたないことなので記録には残しません。

「マルハラ騒動、事の顛末」~メディアの罪、若者も捨てたものじゃない

 LINEなどで句点をつけると若者が怯える「マルハラ」問題。
 メディアはおとなたちに猛省を促したが動かぬ人もいる。
 俵万智はやんわりと反論し、
 当の若者たちからは強い疑念が示される。
という話。(写真:フォトAC)

【若者はおとなに脅かされている(らしい)】

 事の始まりは先月6日の産経新聞の記事、『文末の句点に恐怖心…若者が感じる「マルハラスメント」SNS時代の対処法は』でした。
 それによると、
 LINE(ライン)などSNSで中高年から送信される「承知しました。」など文末に句点がつくことに対し、若者が恐怖心を抱く「マルハラ(マルハラスメント)」が注目されている。若者は文末にある句点が威圧的に感じ、「(相手が)怒っているのではないか」と解釈してしまう傾向にあるという。専門家は、メールに長く親しんできた中高年とSNSを駆使する若者との間をめぐり、SNS利用に対する認識の違いが影響していると指摘する。
らしいのです。

 若者はSNSで改行しても文頭の一字下げもしない、文の終わりで句点(。)を打つこともしない、そうしたSNSの基本をわざと外して句点(。)を打つのは、そこに特別な思い(通常は怒り)を表現するための仕掛けであり、だから年長者からもらったメッセージでもマルがあると本能的な威圧を感じ、恐怖心を抱くというのです。ではどうしたらいいのか――。続きを読むと、
 若者のSNS利用に詳しいITジャーナリストで成蹊大客員教授の(中略)高橋さんは「(若者とやり取りをする際は)句点を除いてあげる。代わりに、『!』や笑顔の絵文字を1つ付けるといい」とアドバイスしている。
のだそうです。そこで私はキレます。

 みんながやるから字下げをしない、句点をつけない、そんな軽薄な文化にどっぷり漬かった超弱者(よわもの)を救うため、大のおとなが千年に渡って築いてきた日本語の表記を棄てて若者にすり寄らなくてはならない、そんなバカなことがあるものか、と私は思うのです。一字下げや句点を書かない新たな日本語は、そこまで尊重すべき価値があるのか。字下げ・句点をなくすなら、いっそ読点も濁点も半濁点もなくして文章表現を平安の昔に戻せばいいのだ。読めないぞ!

【万智ちゃんはやんわりと諭す】

 同じニュースに接しても、頭に血がのぼると訳の分からなくなる私と違って、翌々日の2月8日、歌人俵万智さんはおとなにふさわしいやんわりとした口調で抵抗します。
俵さんはXで「句点を打つのも、おばさん構文と聞いて…」と切りだし「この一首をそっと置いておきますね~」とポスト。「優しさにひとつ気がつく×でなく○で必ず終わる日本語」と歌った。
(2024.02.08 日刊スポーツ(俵万智さん「句点を打つのも、おばさん構文と聞いて…」認識違い生まれる「マルハラ」で一首投稿
 ちなみに「おきますね~」もわざと若者表現に寄せて皮肉った表現のようです。
 勝負あり。
 「マルハラ」で仮に若い人たちが傷ついたとしても、安易におとなが譲歩して従うべきではないのです。傷つきやすい若者こそ恐怖心を克服し、日本文化を守るようにしなくてはなりません。

【若者だって捨てたものじゃない】

 と、これでは話は終わったかのように見えましたが、先週土曜日(3月2日)に至って、注目すべき別の記事が出てきました。
 マネーポストというサイトの、
『「若者批判の印象操作では?」“マルハラ”報道にZ世代から苦言 「句点にネガティブな意味を持たせるのは同世代間限定」「若者だってTPOを心得ている」』
です。
 代表的な発言を拾うと、

  • 僕や友人の感覚では、“マル”だからなんでもかんでも怖いというわけではない。就職活動で企業の方と連絡を取る際には、当たり前ですが句点を使ったメールを打ちます。保護者世代の人、バイト先の目上の人からLINEをもらった時にマルがついていても、そうした関係性のなかでのやり取りなので“怖い”とか“冷たい”とは解釈しません。
  • マルに冷たい印象を感じることも確かにありますが、それは普段からインスタのDMやLINEで短文のやり取りをしている同世代同士の会話に限られるものだと思います。
  •  最近、この“マル”の話題でSNSが盛り上がっていますが、若者がバカにされているような印象を受けました。若者だってTPOぐらいわきまえていますし、それを使う相手の気持ちを感じ取ることができます。

 そりゃそうだ、と私も思います。
 世の中は、社会の最も弱い部分に合わせて制度や態度・風潮などを変化させようとしてきましたが、「十把一からげに“弱者”の烙印を押されるのは困る」という立場も当然あるわけです。
「望んでもいないのに保護され丁寧に扱われるのはバカにされているのと同じだ」と感じる独立不羈な精神ももちろんあります。

 文化というのは過去と現在の衝突の中から生まれてきます。過去が強靭ならその分、現在も強靭にならざるを得ません。新しいものを大切に考えてなおかつ育てようとしたら、安易に妥協してはいけないのです。

【ちょっととぼけた人の話】

 ところで上の記事が出た3月2日の翌々日、日刊スポーツにこんな表題の記事が出ました。
尾木ママは元国語教師だけど「マルハラ」対策済み「僕は寄せるの」句点なしに順応しスタジオ驚く
 記事の中で尾木先生は、
「ネットの文章でしょ。LINEの。だから常識から外れてていいのよ。『。』つけていいのよ。ちょっと上の世代と、今の人が合わないだけよ」
と常識を示しながらも、
尾木氏自身は「僕は寄せるの、若い人に」と句点を使ってないといい「TikTokもやってるし、寄っていくのよ。『。』なしよ」と明かすと、スタジオからはどよめきが起こった。
 私も記事を読んでコンピュータの前で、ひとりでどよめきました。

「子どもを持つことについて、若い人の知らないことがたくさんある」~若者がもう子どもはいらないといい始めた②

 望んでも手に入れられなかった人、
 それがなくても十分な人は除こう。その上で、
 これといったもののない人は、「平凡な道」も閉じない方がいい。
 そこにあるものについて、キミたちの知らないことがたくさんあるからだ。
という話。(写真:フォトAC)

【まずは特別な人々の話】

 子どもを持つ持たないの話をするとき、最初に除外しておかなくてはならない二組の人々がいます。
 ひとつは縁や運に恵まれなかった人たちです。人生は思うに任せないものですから望んでも結婚に縁のなかった人もいれば、たいへんな努力を重ねても子どもに恵まれなかった人もいます。そういう人たちのことは大切に思っていますし、何かを言う資格が私にあるとも思えません。ですからこの人たちについては、そっと触れないでおきたいと思います。
 
 もう一組の人々は、結婚や子どもについて考える間もなく忙しく働いて、有意義な業績を残し、今も疾走し続ける人たちです。念頭には昭和の歌姫、中島みゆき松任谷由実のことがあるのですが、あの人たちは結婚をする必要も、子どもを持つ必要も全くなかった人たちです(と、勝手に思っています)。
 彼女たちの存在価値は誰の目にも明らかですし、後世に残す作品も山ほどあります。「何かを生み出す」という意味では子どもをつくるも曲を作るも同じ、という側面は確実にありますし、育てる大変さは子どもも音楽も似たようなものでしょう。
 ふたりとも子どもがなく、松任谷由実は結婚しましたが中島みゆきはしませんでした。結婚してもしなくても、子どもを産んでも生まなくても、どちらでもいい人たちです。

【平凡な人々は平凡な人生の可能性を棄ててはいけない】

 ただ、そうした才能や仕事に恵まれなかった普通の人々、つまり私のような凡人は、いちおう当たり前のように結婚して、普通に子をもうけ、普通に朽ちて行った方が楽という側面があります。いい悪いの問題ではなく、楽かどうかという話です。
 
 なぜかというと、私たちの多くは自分で思っているほどに個性的でも有能でもないからです。「何かお手本があること」「前例のあること」「当たり前と思われていること」は生きて行く上でけっこう有り難いのです。
 一度しかない人生、横道に逸れたり冒険をしたりということも大切ですが、疲れたら無理をせず、お手本を見たり前例に従ったり、ボーっと生きていたりする、そんな可能性がないと、緊張感の高すぎる人生に私たちはつぶれてしまいます。
 子育てに苦労しつつ子どもから喜びを与えてもらい、手が離れたら自分たちの人生を少々楽しみ、やがて親の介護に苦労し、いくらもしないうちに介護される側に回る――そういう平凡な人生は、少なくとも人間の、生物としての生き方に沿ったものです。破綻がありませんから失点の可能性も少なくて済みます。
 ですから凡人は、普通の人生を送る可能性を、安易に捨ててはいけないのです。
(もちろんそれが必要なら、ここぞというときに平凡な可能性をバシッと切り落とすのは一向にかまわないことです)

【子どもを持つことについて、若い人の知らないことがたくさんある】


《赤ん坊は金がかからない》

 若い人たちのあまり知らないことのひとつは、「子どもが子どもでいるうちは、案外お金がかからない」ということです。
 赤ん坊の着る物なんてたいていはおさがりで済みますし、ミルク代だって月々何万円もかかるものではありません。完全母乳だったら表向きはタダです。紙オムツも今はほんとうに安くなりました。
 また普通の感覚の持ち主なら家に子どもがいる状態で遊び歩いたりしませんから、その分、自分自身のために使うお金が少なくなります。それをミルク代やオムツ代に当てればいいだけのことです。
 戸惑うほどにお金がかかるのは18歳を過ぎてからのことで、それは計画的に貯金したり奨学金制度について十分学んだりしておきましょう。

《助けてくれる人はたくさんいる》

 子どもを持つことについて、若い人が知らないことの二つ目は、子育てを支援する仕組みは意外とたくさんある、ということです。
 地域には保健師さんが巡回していて支援組織も立ち上がっていたりします。子ども園や児童センター・学童保育、保育園・幼稚園・小学校・中学校、PTA。団地や新興住宅地に住んでいれば自然と立ち上がる同年輩のお母さんたちのグループ、親父の会。
 子育てを夫婦二人だけでやって行こうとすれば大変ですが、半分は社会がやってくれますし、まだまだ若い祖父母もあてにできます。小学校に上がるとさらに楽になり、中学生になると寂しいくらいにすることがなくなります。「親より金」みたいな時期に入りますから、貯金だけはがんばりましょう。

《大丈夫、親がダメでも子は育つ》

 三つめは、誰でも知っていることですが、「子どもは親の思い通りにならない」ということです。
 「私のような未熟な人間が子どもなんて育てられるのだろうか」と芯から生真面目なあなた、大丈夫ですよ。意図的に影響を与えようとしても子どもは思った通りになりません。それと同じで、子どもはあなたの未熟さを単純に背負って成長するわけではないのです。完成された大人のもとで育つのもいいですが、子として、親として、いっしょに育って行くのも悪くはありません。
 実際にはたくさんの人の影響下で育つわけですから、あなた影響なんて心配しなくていいほど小さいのかもしれません。それでも心配なら、早い段階から保育園に入れるとか、ジジババをどんどん頼るとかして、たくさんの人間を子どもの周辺に侍らすといいのです。人数が増えれば増えるほど、あなたの影響力は薄まります。

《触れば触るほど子どもは可愛い――それが本能だ》

 四つ目は――これがもっとも重要な件ですが、子どもは信じられないほど可愛い、ということです。子どもを可愛がる本能が、私たちのDNAにはすりこまれています。
 
 これに関して、現代の若者には不利な面と有利な面があります。
 不利な面は、昔と違って赤ちゃんと自然に触れ合う機会がほとんどないということ。兄弟が少ないですから年の離れた兄や姉の子どもの世話をさせられるとか、生まれたばかりのイトコがいるといったこともなく、隣近所に赤ん坊のいることも少なくなっています。学校の家庭科の、保育実習でしか小さな子どもに触ったことがないという子も少なくありません。ですから小さな子の無条件に可愛い様子を、経験する機会があまりにも少ないのです。
 
 有利な点は、「男性が家事・育児の半分を担うのは当然」という社会風潮が広まって来ていて、子どもが生まれるとかなり早い時期から男性も育児に参加させられることです。当然のことをするわけですから「させられる」は語弊がありますが、早く赤ん坊に慣れ、戸惑いや怖れを克服してしまうと、子どもは一気に可愛くなるものです。昔の父親はどう扱ったらいいのか戸惑っているうちに、子どもと触れ合う黄金の時を失ってしまいました。だから楽しさ・面白さも知らないのです。
 
 自分の時間がなくなるから子どもがいらないという若者たち――特に男性は、子どもの世話する楽しさ面白さを知らないからそう思うのです。ゲームのスキルを上げるのも育児のスキルを上げるのも同じように面白い。難度が高い分、後者の方がより面白い。 乳幼児のステージをクリアすると、子どもの方が未満児レベルにステージアップしてしまいますからまた別のスキルが必要。小学生の親であることと高校生の親であることでは、求められる技能が全く異なりますからまたスキルアップ。ゲーム好きにはたまらない世界ではないですか?

「『なぜみんなは、あんなに嬉々として親になっていけるのだろう』と思った日から」~若者がもう子どもはいらないと言い始めた①

 半世紀前の私は、
 結婚することにも、子を持つことにも怯える人間だった。
 「なぜみんなは、あんなに嬉々として親になっていけるのだろう」
 そして今、似たような若者が急増しているというのだ。
という話。(写真:フォトAC)

【あれほど不安だった私が親になった日のこと】

 中高生時代からの友人で、もっとも早く結婚した男はそのとき25歳でした。一浪の上で4年生大学を卒業していますから社会人2年目での結婚。いま考えても早いことは早いと言えます。その1年後、彼は父親になりました。

 同じ時期を私は、フワフワと雲の上を歩くような生活をしていました。アルバイト崩れの就職で、これといった希望も見通しもなく、要するに地に足のつかない生活を送っていたのです。そんな私から友人を見ると、これはもう信じられない奇跡の話で、20代も半ばを過ぎたばかりだというのにどうして一人の女性の運命を背負えるのか、なぜ父親になるなどといった大胆な決断ができたのか、不安ではなかったのか、恐ろしくはなかったのかと、さすがに本人に聞くことはしませんでしたが、到底信じられない気がしていたのです。
 なぜみんなは、あんなに嬉々として親になって行けるのだろう?
 
 それから10年近くもたった34歳の年に(とは言ってもあと半月ほどで35歳)、私も結婚し、36歳で1児の父に、40歳で2児の父親になりました。30代半ばになって、さすがに腰も座り、人生にも自信がついて来たころのことです。
 しかしそれよりも私に勇気を与えたのは、仲間も周囲の人々もほぼ30歳までに結婚して親になっているという事実でした。もう「親になるのが不安」などとは言っていられなくなったということです。そこまでみんなができることなら、私だってたぶんできるだろう――そんな気になっていたのかもしれません。

【半世紀前の自分が今、目の前にいる】

 ひと月ほど前の産経新聞ニュースに「大学生の19%子ども望まず 大幅増加、物価高影響か 就職情報サイト調査」という記事がありました。就職情報サイトを運営するマイナビの調査結果で、昨年同時期の13・1%から大幅に増加したとありますが、この1年の大きな変化となると物価高しか考えにくいので、そこで「物価高影響か」となるのですが、果たしてどうでしょうか。

 さらに注目すべきは、
『複数回答で男女に理由を尋ねたところ「うまく育てられる自信がない」(57・4%)が最多だった。次いで「自分の時間がなくなる」(51・5%)、「経済的に不安」(51・0%)となった』
という部分です。半世紀も前の私と大して変わりない、同じような人間が大勢いる、しかも私のころよりずっと増えているわけです。

【この記事は信用していいのか】

 もっともこの就職情報サイトのアンケ―トだけだとツッコミどころはたくさんあって、記事によると対象者は、
マイナビに会員登録している全国の大学3年生、大学院生」
ですから、その若さで「子育てに自信がる」「自分の時間は不必要」「経済的にも自信がある」と言い始めたら、「コイツ、現状認識できてんのか?」とかえって不信感が募ってくるに違いありません。
 
 ではこれがあまり信用できない調査かというと、対象者を広げたそれ以外の調査によっても――例えば18~25歳の若者の調査「2023年…若者たちの価値観」(2023.12.31 まいどなニュース)、あるいは18~34歳の調査『「子どもなんてほしくない若者」が急増しているのは「声なき若者の絶望」の表れ』(2023.09.24 Yahooニュース)でも、「子どもはいらない」とする若者が増えているという状況は変わりないのです。しかも後者によれば「子どもを望まない」傾向は、2005年(平成17年)あたりから急速に高まっていて、まったく揺らぐことがないのです。
 
 子どもを望まない若者が、特にこの一年間で急増したというマイナビの調査は、対象者が結婚や出産に現実感の薄い年齢・環境(大学生・大学院生)の者に限っていたからでしょう。物価高が緩和すればすぐにも下がる数値かも知れません。しかし全体傾向としてはむしろ、不可逆的に、確実に増え続けていると考えて間違いなさそうです。
 なぜそんなふうになってしまったのでしょう。
 (この稿、続く)