カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「夫婦役割分担の代償と、育て直しの話」~かくも厄介な人生の終末② 

 夫婦は一対一体のものであって互いに補うべきものだ、それはいい。
 しかし役割分担をしっかりとして30年も過ごすと、
 分担しなかった部分のスキルは著しく低下する。
 人生の終末期、互いの弱い部分を補強し合わなくてはいけないのだが――、

という話。

(写真:SuperT)

【来月、私はここにいない。そして帰ってこないかもしれない】 

 4月の初めのことだったと思います。
 一日おきに家の周辺を歩く30分のウォーキングの際中、ある畑で熱心に農作業をしている老人を見かけました。老人と言っても私とあまり変わりない年頃の、白髪の人です。
 私は「隣り百姓」ですから、誰かが早めの作業をしていると気になって仕方がありません。そこで、
「今は何の作業をしてるんです?」
と声をかけます。話を聞いて、必要なら後追いをしなくてはなりません。
「ジャガイモは植えたからね。今はキュウリの準備をしている」
 ジャガイモは私も植えたばかりで納得できるものですが、キュウリの露地栽培はまだずっと先。4月初頭では早すぎます。
「ジャガイモはやりましたが、キュウリはまだ一カ月以上も先の話じゃありません?」
 するとこんな答えが返ってきたのです。
「そうなんだけど、そのころ私はここにいないんだよ。そしてたぶん帰って来れらない。だから女房が苗さえ植えればいいように、準備だけはしておこうと思ってね」

 まさかその歳で離婚もないでしょうし、離婚だとしても別れる妻のために畑をつくっておくということもありそうにない――。
 思いがけずたいへんな話に首を突っ込みそうになり、私は慌てて、
「疲れすぎないように、頑張ってください」
などとお茶を濁してその場を去りました。中途半端に病気の話を聞いても中途半端な応援しかできず、切羽詰まるのは目に見えています。


【木々はどうする畑はどうなる】

 定年退職になった夫に調理や洗濯の仕方を教え、万が一自分が先に死んでも困らないようにしている妻、そういう話は聞きます。しかし平均寿命を考えればはるかに“早く死ぬ可能性”の高い夫の方が、自分が死んだ後のことを考えて妻に何かを教えたという話はトンと聞きません。普通の男性は家に専任の仕事を持っていないのでしょうか? ――たぶんそうなのでしょうね。

 私は違います。妻に教えなくてはならないことがたくさんあります。例えば庭木の整理。
 およそ30年前に家を建てたころは市が地域の緑化に熱心で、一定額を越えて庭木を植えたり生け垣をつくったりすると補助金が出る仕組みがありました。我が家は申請するほどでもなかったのですが、それでもけっこうな数の樹木を植えて、毎年、手入れにかなりの労力をかけています。
 困ったことに樹木というのは幹の太さに応じて枝を広げるもので、最初の10年間に伸ばし放題に伸ばした木々は、その後どんなに刈り込んでも翌年になるととんでもなく大きく腕を広げてしまいます。
 私の亡き後、妻はこれをどうするのでしょう?
 もちろんお金をかけて毎年庭師に頼めばいいのですが、妻はそういうことに金を使える人ではありません。

 世話と言えば、困ったことに私の家には付属の畑まであります。父の買った土地ですが、前の持ち主が畑を宅地に造成した際、条例上どうしても切り取らなければならなかった三角形の畑が残ってしまいました。それを父に泣きついて買ってもらったのです。広さは1a(アール:正方形だと10m四方)ほどで、農業というには小さすぎ、素人の家庭菜園としては大きすぎる広さです。
 家を建てて30年近く、この畑は我が家に新鮮な野菜を提供してくれました。しかし私の死んだあとは誰が管理するのか――。

 妻には吸血鬼の血が流れているらしく、日が昇ったあとの屋外では作業ができませんので、ミニトラクターに触ったこともなくマルチシートのかけ方も知りません。キュウリもナスもピーマンも、それぞれ余計な枝を詰めて仕立てるルールがあるのですが、それも知りません。玉ねぎはいつ植えていつ収獲するのか、ダイコンの収穫の時期はどうやって見定めるのか、妻が学ばなくてはならないことはたくさんあります。


【夫婦役割分担の代償と育て直し】

 妻は料理に堪能な人です。したがって結婚以来34年間、私の調理スキルはまったく成長しませんでした。もっともご飯が炊けて味噌汁がつくれますから、あとは冷凍食品で何とかなるでしょう。いつだったかスーパーマーケットで冷凍食品と総菜コーナーをぐるっと見回り、これなら冷凍・総菜それぞれのコ-ナーの端っこから、一品ずつ買って食べて行っても2か月は困らないなと安心したことがありました。ただし甚だしく不経済なことも確かです。
 34年間、買い物も妻の仕事でしたから、私は世間の相場というものがまったく分かっていない。ろくでもないところで細かく高いものを買わされ、全体としてはけっこうな損を出すことになるかもしれません。もっとも損をしたかどうかも理解できませんから、問題がないと言えばないのかもしれませんが――。

 逆に妻の方がほとんど身につかなかったスキルに、コンピュータがあります。困れば隣りにいる私、またはLINEで私に問い合わせれば返事は間もなく来ます。私もそれほど詳しいわけではありませんが調べることは好きなので、答えを導き出すのは早く、苦にもしません。
 しかしその「コンピュータの打ち出の小づち」がいなくなったら、妻はどうするのでしょう。今でも恩着せがましく言うと「だったら諦める」とか言っていますが、つい先日のように単純に“ネットが繋がらなくなった”という状況では、諦めるわけにも行かないでしょう。

 ネットが切れたら最初に調べることは、ルーターのプラグが抜けていないかという、もっとも基本的な可能性です。抜けていなかったら今度はコンピュータやルーター、ONU(光回線の終端装置)を再起動することです。
 ところがコンピュータの再起動は分かるものの、ルーター、ONUの再起動と言われると初めての人間はどうしたらいいのか分かりません。単純にプラグを抜いてしばらく待ち、そのあと差し戻すだけのことだと知っても、動いている電子装置のプラグを外すなど、怖くてできることではありません。コンピュータのプラグを抜いてはいけないということは、この世界に足を踏み入れた時からしつこく言われてきたことです。

 私が死んだあと、たったそれだけの作業ができず、妻はネットショッピングや情報検索を諦めてしまうのでしょうか?

 “愛している”などと思ったこともない妻のことですが、あれもこれもできず、畑は雑草園、庭は荒れ放題、おまけにコンピュータの前でイライラしている姿を思い浮かべると不憫です。
 なにか考えなくてはいけません。私はどうしたらよいのでしょうか。

(この稿、続く)

「更新しました」~キース・アウト

学校での銃乱射事件があったばかりのアメリカで、日本の学校の「不審者対応訓練」が注目されているという。それはそうだろう。こんな安全な国で大真面目な訓練を20年以上も続けているのだから。しかし本音を言えば、やめることができないから続けているだけなのだ。安全教育は増えこそすれ、減ったりなくなったりすることは絶対にない。

kieth-out.hatenablog.jp

「あれ? オレ、もうすぐ死ぬのか?」~かくも厄介な人生の終末① 

 ついこの間のように思っていた「ルージュの伝言」は、半世紀も前の曲。
 長生きの大きな目標だった80歳は目の前。
 しかも老人の未来は若者の未来より混沌としている。
 ちょっと焦り始めた。

という話。(写真:フォトAC)

【時間の感覚がすっかり変になっている】 

 昨日、
「昔、松任谷由実さんがヒットさせた歌に『ルージュの伝言』というのがありました」
と書いて歌詞の一節を引用しました。深く考えてのことではありません。
 ところが今日になって、
「アレ? この曲、みんな知っているのかな?」
と急に不安になりました。何の説明もなくポンと投げ込んでもいい話だったのか? 私にとって昨日のヒット曲みたいなものですが、古いと言えば古いじゃないか。 
 そこで調べると「ルージュの伝言」は1975年のヒット曲、なんと47年――半世紀も前の曲なのです。

 私はこういう時、時間軸をずらして時代感覚を得ようとします。例えば現在の高校生にとって「ルージュの伝言」がどれくらい昔かということを、自分が高校生だったころの47年前を調べることで実感しようとするのです。すると私が高校生だった1970年前後の47年前は1923年あたり、つまり大正12年前後だと分かります。
 大正12年!! 
 11年前に亡くなった私の父が生れた年で、まもなく95歳になる母は生まれる予兆すらなかった時代、関東大震災の年、前年暮にはソビエト連邦が成立し、翌年には第二次護憲運動の起こったころ――。

ルージュの伝言」って、いまの高校生にとってはそんなに大昔の曲なのか! と私は絶句します。

【あれ? オレ、もうすぐ死ぬのか?】

 ある意味で、時間の感覚がメチャクチャになっています。
 古いことは片っぱし「昨日のことのよう」なのに、未来は相変わらずはるか遠くです。そんなことありませんよね。15歳の少年の未来はほとんど永遠のようなものですが、老人の未来には限界があります。それも目の前に。

 私が40代の前半で大病をしたとき、
「今、これで死ぬのも仕方ないが、万が一乗り越えたら80歳までは生きたいものだ」
と思いました。その時の父が73歳でかなり元気でしたから、たぶん長生きはできないだろうが、それでもその時の父は越えたかったのです。80歳は過分な望みで難しいかもしれないが、目標としてはいい数字とも思えました。
 そこで私は、当時手に入れたばかりのメールアドレスに80の数字を入れ、いまもメインで使用しています。

 ところが目標の80歳は目の前、あとわずか11年しかないのです。しかもその11年の長さが感覚的に分からない。

 

【若い頃よりさらに分からない未来】

 十二支が1周回り切らないとか、オリンピックが最大3回しか見られないとか、11年後は孫1号が高校生で2号は受験に向かっているとか、いろいろ思い浮かべるのですがピンとこない。
 同じ80歳でもヨボヨボの老人もいれば、年代別のスポーツ大会で次々と記録を打ち立てる人もいますから、自分がどんな姿で80歳を迎えているのかも想像できない。

 ついこの間まで、
「今が幸せの絶頂かもしれないからすぐに死んでもかまわないが、中国と北朝鮮の行く末を見届けられないのはちょっと悔しいかな」
くらいに思っていたのが、2年を越えるコロナ禍とウクライナ戦争のおかげで世界はすっかり変わってしまい、未練の対象が一気に広がりました。これも困ったものです。

 そして急に切実になってきたのが終活の問題です。まだ先でいいと思っていたのですが、あと11年だと間に合わないものも出てきます。

(この稿、続く)

「息子の保証書を発行する」~長男が結婚を決意した件について③

 結婚は生まれ変わり、親であることは絶え間のない脱皮を繰り返すことだ。
 もちろん変化に結婚や子どもは必須ではないが、私は息子の結婚を喜んでいる。
 そして妻になってくれる人にささやかな願いがあり、
 そのために息子の保証書を書いた。

という話。

(写真:フォトAC)

【結婚は生まれ変わり、生き直すこと】 

 「結婚生活は地獄だ」と言えば、そんなことを言うヤツがいるから少子化が収まらないんだと言われ、「やはり結婚はすべきだ」と言えばセクハラだと言われる、何かと面倒くさい時代です。しかし誰にも結婚しろと言ってもらえない人生も、良いものとは思えないのですがいかがでしょう(とセクハラ発言)。

 もっとも「結婚生活は地獄だ」というような人は、自分でほんとうに地獄にしてしまった少数と、いつまでたっても大人になれないわずかな人々と、あとは「結婚もいいものだよ」と恥ずかしくて言えない照れ屋さんですから、あまり真面目にとらえなくていいように思います。

 私自身は結婚をいい悪いで語ること自体が間違っているように思っています。
 それは基本的に親につくってもらった人生を一度リセットし、他の親につくってもらった別の人の人生と融合することによって、これまでとまったく異なった人生を送る仕組みだと思うのです。結婚は生まれ変わりで、そこから新たな人生が始まります。


【自分は変わらなくても周囲が変わる】

 だから独身時代の生活が永遠に続けばいいと思っている人に、結婚は向きません。実際、40歳まで独身だった私の弟などは毎日が面白おかしく、生活を変える気などまったくなかったようです。

 私は別の理由で34歳まで独身でいましたが、30歳が目の前に迫ったころから周囲の状況がどんどん変わっていくのをひしひしと感じていました。10代のころから一緒にバカをやってきた仲間は次々と結婚し、父親となって遊びの場から消えていきますし、恋愛と無関係に付き合ってくれた女友だちもいなくなって、飲み仲間が世代交代すると私は単なる“おじさん”になってしまったのです。話が噛み合わない、金だけはとられる。そんな人生をあと何十年も送らないのかと考えたら、退屈で、退屈で、それでようやく結婚する気になったのです。

 妻も似たような状況でした。煮詰まった者同士、お互いに歳を食いすぎて凝りに凝り固まってからの結婚ですから “融合”はかなりしんどい作業でした。しかしそれでも、今日まで“飽きる”ことなく生きて来られたのです。
 子どもが生まれると、子どもの成長に合わせて「乳幼児の親」「小学生の親」「中学生の親」と次々と成長せざるを得ず、変化の多い、面白い人生を歩むことができました。

 一流の芸術家や芸能人、手腕に長けた経営者といった、創造的で変化も浮き沈みも多い世界で生き続ける人はいいのです。飽きる暇がありませんから。しかし凡人はそういうわけにはいきません。飽きることなく生きるには、自ら変化を作り出すか、変化するものをそばに置くしかありません。
 もちろん結婚後の変化に、子どもが必須なわけではありません。子に恵まれなかったご夫婦が協力してさまざまなものを生み出し、楽しく人生を乗り切っていく姿を私もたくさん見てきました。
「私たちは子どもがいないから、一生懸命仲良くしていなくちゃいけないのよ」
 それもまたいいのです。意図して夫婦仲良く、互いの人生を楽しいものにしようと努力することは、私がしなかったことで、それ自体すばらしいことです。
 そういった事情も含めて、私は長男アキュラの結婚を喜んでいます。


【息子の未来の配偶者に望んだささやかなこと】

 息子の、未来の妻になる人に、これといった希望があったわけではありません。先日も申し上げたように、「人柄」と同じ意味での「家柄」のいい家庭のお嬢さんだったらいいな、という思いはありましたが、結局は本人次第です。
 またそれとは別に、これも必須ではないのですが、困ったら私たちを頼ってくれる人ならいいな、というのもありました。

 昔、松任谷由実さんがヒットさせた歌に「ルージュの伝言」というのがありました。物語性のある曲で、夫の浮気に憤った妻がバスルームの鏡に口紅で伝言を残し、列車で夫の母親に言いつけに行くという話です。
「明日の朝、ママから電話で叱ってもらうわ、My Daring」

 松任谷由実さんは老舗の呉服店の娘さんだそうで、ウーマンリブの時代にも関わらず、結婚で芸名を夫の姓に変えてしまうような古風な面のある女性です。そんな人は結婚生活もこんなふうに考えるのだと、つくづく感心したものです。
 もちろんこれもいい悪いでなく、好みの問題ですが私は好きです。

 そこで、息子の妻になる人に渡す「保証書」は次のようなものになりました。


【保証書試案】

 
2022年◯月◯日


サーヤ様 様

保証書


 この度は私どもの息子アキュラを夫として選んでいただき、まことにありがとうございました。
 本人についてはある程度自信を持ってお届けいたしますが、万一、不具合または疑問な点がございましたらご実家に頼る前に、メール、FAX、電話、あるいは直接の訪問にてお問い合わせ下さいますよう、お願いいたします。即刻・即座に対応いたします。

【保証対象】
 アキュラ(29歳)

【保証期間】
 婚姻届け提出より3年間
 (それまでに夫育てを完了し、あとは自己責任でお願いします)

【延長保障】
 ありません。

【保証内容】

  •  社会人・家庭人として、常識的な範囲で平均程度以上の機能を有し、実際に働くこと。
  • 社会人・家庭人として不実不正行為を行わないこと。
  • 常に優しく妻と接すること。


【保証適用外の場合】
 お客様の使用上の誤り、不適切な改造、無茶な使用による不都合については保証の限りではありません。

【サポートについて】

  • 24時間、365日、対応いします。
  • 窓口:欄外に記載


【返品について】
 原則として返品は応じませんが、必要な際は別途応談いたします。

【廃棄】

 しないでください。

 
          〒◯◯◯-◯◯◯◯
           住所:(略)
           電話番号:(略)
           E-mail:(略)
           製造元責任者:(父)スパート、(母)ミーナ







「せがれの推薦状」~長男が結婚を決意した件について② 

 子の結婚を機に、親子の関係はさらに離れていく。
 子どもは一人前になり、子が子でなくなっていく。
 いよいよ最後だ。あとは未来の配偶者に託すしかない。
 推薦状のひとつも書いて、よくお願いしておこう。

という話。

(写真:フォトAC)

【娘と息子の親子の関係】 

 おそらく一般化しても問題ないと思うのですが、家から出た子は、女の子だと実家に帰ることが多く、男の子はサッパリ帰らない傾向があるように思われます。特に結婚してからは家族そろっての帰省となると、夫の実家へは年1~2回、妻の実家へは数回といったことになりがちです。私がそうですし、弟も私の父も、それから妻の姉妹の連れ合いたちもそうですから、たぶんそうでしょう。そのくせ妻側の実家にはよく行っています。

 女の子はいつまでたっても甘えん坊で、男の子は冷淡という話ではありません。
 女性の場合、自分の実家に帰れば堂々と怠けていられるという利点があるのです。これが夫の実家だとそう言うわけにはいきません。義理の両親は、「いいから、いいから、ゆっくりしていなさい」などと言ってくれますが油断はできません。口と腹が一致しないのは日本人の美徳であり悪徳でもあるからです。

 娘のシーナも新婚のころ、夫の実家に行くといつも「いいから、いいから」で何もさせてもらえなかったのですが、一朝、決心して「お母さん! やらせてください!」「シーナさん、いいから休んでいて」「いいえ、やります! お願いします!」、そういったやり取りを数回繰り返すと、やがて向こうが引き下がり、「そうねぇ、お願いしようかしら、ひとに訊かれて“ウチの嫁は何もしません”なんて言えないものねぇ~」
 シーナからすれば「だったら言ってよ、お義母さ~ん! やる気あるんだから~」みたいな話ですが、世の世の中、確かにそういった側面はあります。その意味でも、夫の実家は気の置けるところです。

 一方、自分の実家というのは気楽な場所で、学生気分に戻って一日じゅう何もしないでも怒られる心配はありません。何も考えず、何もせずにいること自体が日常からの解放で、心身ともにすっかり癒されることになります。
 夫の方も、これが自分の実家なら、妻と実母の間で飛び交う火花に気を遣い、妻が退屈しないかとあれこれ考えなくてはならないのですが、妻の実家なら堂々と“何もしない婿殿”に甘んじていられます。気楽なものです。

 こんなふうですから、家族丸ごと妻の実家への出入りは多くなるものの、夫の実家との行き来は最小限に留まる――それは仕方のないことかもしれません。


【我が家の場合】

 私の子どもたちも同じで、コロナ禍に見舞われてからはめっきり少なくなりましたが、娘のシーナは三カ月に一回くらいは孫たちを連れて骨休めに帰省し、婿のエージュも半分以上は付き合ってきてくれました。しかし婿の実家の方へは、遠方ということもあって、年2回、行くか行かないかです。
 私の息子のアキュラは、そもそもあまり家に戻ってきません。独身の今でもそうですから、結婚後はさらに帰ってこないでしょう。

 アキュラの妻となる人も、この先あまり会うことはなさそうです。
 近々、初めて顔を合わせて挨拶を受け、遠からず両家顔合わせとなって再び会い、次が結婚式。ここまでは確実ですが、その先に会うのはいつのことになるやら――。下手をすると向こう1年以上、顔を見ることもなく過ぎてしまうかもしれません。1年先に会っても、また次は1年以上先、ということもありそうです。

 もうみんな成人なのだから自由にさせなさい、という理屈は分かります。しかしすでに結婚して10年近いシーナはまだしも、まだ20代の独身で、見るから頼りないアキュラには製造責任を感じます。
 結婚しても2~3年の間は目の隅でとらえて離さないでおこう、そう考えるのも過保護ではないでしょう。


【倅(せがれ)の推薦状】

 結婚に関して息子の推薦状を書こうと考えたのは、実は順序が逆で、先日コンピュータ内の書類を整理していたら4年ほど前、アキュラが就活をしていた時期に応募先の企業に求められて書いた「保護者の推薦状」が出てきたからです。
 両親が揃っている場合は父母二人とも書いて提出しろ、といった課題で、書いたこと自体を忘れていました。

 ただし読み成すと当時の思いはすぐに甦ってきて、「ああ、いい宿題を出してくれたな」と感謝したことを思い出しました。
 いよいよ経済的にも支えなくてよくなるという時期に、子育てを振り返り、我が子を見つめ直すというのは悪いことではありません。推薦状ですから足りなかったことや反省すべきことは記入しませんが、それでも自分が子どもの何を評価し、どんなふうに育てようと思ってきたかはよく分かります。世間的には大した子ではないにしても、その思いに照らし合わせれば、まあまあ満足すべき仕上がりかな、とも思います。

 結局その推薦状は役に立ちませんでした(他の企業に就職した)。しかし捨てるには惜しい文です。もう一度使い回してもいいのかな、と思って「せがれの推薦状」を思いついたのです。
 妻となる人も、私たちがどういう思いで育てて来たのか、気持ちを知れば少しは余計に優しくしてもらえるかもしれません。

 ということで元になる就活の際の推薦状をここに載せておきます。書き直しはこれからです。
*なお、「せがれの推薦状」は、現在放送中のテレビドラマ「元彼の遺言状」のパロディのつもりですが、まったく伝わらんでしょうな?

(この稿、続く)


【4年前の推薦状】~これを改変する

平成30年5月11日


株式会社◯◯◯様

推薦書

 アキュラの父親のスパートと申します。
 息子のアキュラは幼少の頃より好奇心・探求心が強く、3~4歳のころから「見てみたい、触ってみたい、やってみたい」が口癖のような子でした。私はそれをとても好もしいものと感じ、できるだけ多くの体験をさせるようにしてきました。
 小学校の低学年のころまでの興味の対象は昆虫や水生生物、小動物で、カブトムシの幼虫を育てたりイモリやカメを飼ったり、水族館に行けばナマコといつまでも触れ合ったりして飽きることを知りませんでした。
 小学校の高学年からは楽器作りに凝って、段ボールベースギターをはじめ木を削ってギターに似せた弦楽器を作ったり、長じてはエレキギターエフェクター製作などに夢中になって取り組みました。
 いったんこうと決めたら目的追究力は非常に強いと感じています。

 人間関係は非常に穏やかで調和的です。
 中学校時代までは、500人規模の大校の生徒会長選挙に立候補したり文化委員長として全校音楽の指揮をしたりと、大きな集団を動かす機会にも恵まれましたが、基本的には信頼関係に基づいた、息の長い、堅実な人間関係を大切にすることを好みます。目上の方、年長者に対しては常に敬う姿勢を忘れず、失礼な態度をとったりすることは絶対にありません。
 社会人となってからも誠実な企業人として、精一杯会社に尽くしてくれると信じています。

 以上の理由から、息子・アキュラを、誠意をもって御社に推薦いたします。

アキュラ 父親 スパート

 

 

「実現することのなかった婿を迎える儀式と新たな作戦」~長男が結婚を決意した件について①

 長男が結婚を決意し、相手のお宅に挨拶に行った。
 そう言えば8年前、長女の婿が挨拶に来た時は、
 石のように固まった若者を支えるのが大変だった。
 長男はうまくやれただろうか。そして我が家に来るときは・・・、

という話。

(写真:フォトAC)

【長男のアキュラ、結婚を決意する】 

 私には二人の子がいて、長女はすでに結婚して二児の母親となっています。その弟で、今は東京でサラリーマンをしているアキュラ(もちろん仮名)が、結婚することになりました。
 94歳の母(アキュラの祖母)に報告すると、「良かった」「良かった」と泣き、
「もうあの子は結婚しないのじゃないかと思って、心配で、心配で・・・」
――オイ、オイ、母さん、ウチには三人の男がいて、死んだ父(アキュラの祖父)が結婚したのが30歳、私が34歳、弟に至っては40歳まで独身でいたのだからアキュラの29歳なんて若すぎるくらいなものだ、そう言いかけたのですが、だいぶ耄碌していますので訂正するほどのこともないと考え直し、そのままにしました。

 相手のお嬢さんについてはほとんど何も知りません。付き合っていたのは知っていたのですが、名前を聞いたのも最近です。「人柄」と同じ意味での「家柄」のいい娘さんならいいなあと思うのですが、妻に言わせれば、
「アキュラみたいな地味な子を好きになって、結婚してくれようとするのだから、人柄も家柄もいい娘でしょ、きっと」
ということで、こころ穏やかに待つことにしました。

 娘の時は挨拶にきた現在の婿がほとんど石みたいにカチカチで、どうでもいい世間話がひとつ終わっても肝心なことを言い出さず、娘や私の妻が話題の接ぎ穂を次々と繰り返しても出てこないので、焦れた私が、
「で、今日いらっしゃったご用件は?」
と訊いてようやく、結婚の話が出てきました。
「・・・ということで、ご両親にはお嬢さんとのご結婚をお認めいただきたく・・」
 なんでそんな難しいセリフを覚えて来たのか。単に「結婚を認めていただきたいので、よろしくお願いします」でいいのに、あちこちに「お」だの「ご」だのを入れるから「お嬢さんとのご結婚」みたいな変な言い回しになってしまう、と心から同情したものです。

【実現することのなかった婿を迎える儀式】

 娘からは事前に、
「先月から心を病みそうなくらいに悩んでいるから優しくしてね」
と言われていたので手を抜きましたが、実は将来の婿が挨拶に来たら是非ともやろうとしていた計画があったのです。

 ひとつは放送作家でプロデューサーの秋元康さんが結婚前のあいさつに行ったとき、相手の親御さんが言った言葉をなぞることです。
「あなたでしたか。
 『子はさずかりもの』と言いますが、私は『天からの預かりもの』だと考えてこの娘を育ててきました。今日、あなたにお会いできて、『預かりもの』をお返しできるのがほんとうに幸せです」
 記憶が曖昧でまったくその通りではありませんが、いいセリフでしょ?

 もうひとつは用意してあった小箱を渡すことです。
「私には、娘の夫になる人が現れたら渡そうと思っていた品物がひとつあります。これです。
 高価なものではありませんが、私自身が亡くなった義父からいただいたもので、今日までずっと大切にしてきたものです。どうか、お納めください。あなたも大切にして次に受け継いでくださいね」
 そう言って目の前で箱を開けさせます。
 それが実はびっくり箱。

 婿がギャッと叫んで飛び上がり、場がなごむ――そういう趣向で、娘が高校生のころから計画していたものです。娘も大いに乗り気で「やろう」「やろう」と言っていたのですが、直前になって、
「あれ、絶対にやっちゃダメだからね。今、ショック死されても困るから」
ということで中止になってしまいました。それでごく普通の顔合わせとなったわけです。

 先日、アキュラも相手のお宅に挨拶に行きましたが、うまくできたのでしょうか? 親御さん、つまらない画策をしていなければいいのですが。

【次はこちらの番、新たな作戦】

 細かな内容まで聞きませんでしたが、どうやらアキュラはうまくやりおおせたみたいです。今度は我が家の番です。
 こちらは申し込みではなく紹介ですから、さらに気楽にやれると思っていたらアキュラが意外と緊張しています。

 先方に挨拶に行った日の夕方、LINEで様子を訊くと、
「無事、終わりました。とてもいいお父様とお母さまでした!」
との返事。写真が添えられていてずいぶんガタイのいい、強面のお父さんです。そこで、
「お父さん、ごっついなぁ。負けそう」
と続けると、
「威圧しちゃだめだよ。」
 私もけっこうな強面なのです。そこで、
「おう! 任せておけ!」
と書き送ると、
「不安しかないです。」
 アキュラは父を何と心得ているのか。

 しかたないので、私はずっと柔らかな作戦を立てることにしました。アキュラの推薦状と保証書を書いて彼女に渡す計画です。

(この稿、続く)




「中教審は教員の仕事製造マシーンか」~今日は中央教育審議会の誕生日

 6月6日は中央教育審議会の誕生日。
 日ごろ忙しさに取り紛れて気にすることもないが、
 ときどき様子を見にいかないと、とんでもないことになりかねない。
 もしかしたら今まさに、必要のない改革が進められているかもしれないからだ。

という話。


(写真:フォトAC)

中教審の誕生日】 

 今日、6月6日は中央教育審議会(以下、中教審と略す)の誕生日です。
 1952年(昭和27年)の6月6日、文部省設置法の一部が改正され、中央教育審議会が「文部大臣の諮問に応じて教育に関する基本的な重要施策について調査審議し、及びこれらの事項に関して文部大臣に建議する」機関として設置されました。以来70年です。
 
 教育に関する諮問機関としては他に教育改革国民会議とか教育再生会議とか、あるいは教育改革実行会議とかも聞いたことがあるかと思いますが、それらは総理大臣直属の私的機関で、中教審ほどの歴史と重みがあるわけではありません。

 もっとも中教審は重みのあるぶん動きも遅く、すぐに調査だの研究だのと言い出しますので、ひとつの結論を出すのに数年かかってしまうこともざらです。そこで短気な首相は自らの諮問機関をつくってさっさと結論を出してもらい、一気に解決を図ろうとするのです。代表的なのが第一次安倍政権の「教育再生会議」、第二次安倍内閣の「教育再生実行会議」です。

 話を中教審に戻しますが、私は現職の時代、少なくとも学級担任をしている間に、この組織に一切興味を持たなかったことをとても後悔しています。日々仕事が忙しくて手が回らなかったというのが本音ですが、そのために制度変更に対してはいつも後追い後追いで、自分たちがどんどん追いつめられていることに気づかなかったのです。
 今日の殺人的過剰労働の責任は、一部、私たちにあります。


中教審の構造】

 中教審の組織は、Wikipediaによると、
 課題の性質別に分科会、さらにその下に部会・委員会がおかれ、それぞれについて別途委員が選任されている。現在は、「教育制度分科会」、「生涯学習分科会」、「初等中等教育分科会」、「大学分科会」の4つの分科会と、総計約70の部会・委員会がおかれている。また、どの分科会にも属さない、「教育振興基本計画部会」、「地方文化財行政に関する特別部会」の2つの部会がある。
のだそうです。

 委員は29名で任期は2年。今の委員は2年目で、名簿は下にあります。
令和3年3月9日発令 第11期中央教育審議会委員

 注目すべきは現職の教員が一人もいないことです。校長先生(教職員ではあるが教員ではない)が3人いますが、他は各界の名士ばかり。現場の生の声が拾われる可能性は多くはありません。もっとも29人の委員が4つに分かれて参加する「分科会」には「臨時委員」と呼ばれる人々がいて、そこには少数ながら現場教師が参加することもあるので、まったくダメというわけでもなさそうです。

 中教審は諮問機関ですので、文科大臣の諮問に対して調査検討し、最終的に「答申」の形で答えるという形を取ります。会議資料は毎回官僚が用意するらしく、簡潔で見やすいものがかなりの数、出されてきます。
 ちなみに、資料は文科省のサイトで見られますから、いちど議事録を覗いてみるといいでしょう。かなり面白いものがあります


中教審は教員の仕事製造マシーンか】

 ざっと仕組みが理解できたところで改めて俯瞰すると、中教審が大枠で文科省のコントロール下にあることが分かります。「諮問」は議論の方向を最初から絞りますし、「資料」は行くべき方角に人々を誘導するからです。 したがって会議が開かれた段階で答申内容はほぼ決まっており、名士たちの発言は権威を持たせ内容を補強するだけのもの、といった感じになります。

 ところがこうしたやり方で文科省は日本の教育を牛耳っているかというと、それもまた違うように思うでのす。

 中教審は必要に迫られて設置されるのではなく、2年に一度ずつメンバーを変えて必ず開かれるものです。これだけの名士を集めて遊ばせておくわけにもいきませんから、文科省は何らかの諮問を出さざるを得ません。出せば自動的に新しい教育方針、新しい教育が生み出されてくる――つまり現実の教育に必要か不必要かに関わりなく、新しい施策は次々と増え続けるというわけです。学校に要求されるものに悪いものはないので、増やすのは簡単です。
 しかも過去の委員の功績やメンツに対する遠慮もありますから、以前つくられたものが撤回されることもない――。

 さまざまな新しい教育施策が座布団のように上へ上へと重ねられていき、座布タワーがユラユラ揺れて倒れそうになっても、さらに上に載せられようとする――そんなふうなのかもしれません。

 以上は私の勝手な想像で、実際はどうか分かりません。しかし中教審で話し合われていることは近未来の日本の姿です。ときどき気にして、資料探しのつもりでもいいからサイトを覗いてみるといいでしょう。

www.mext.go.jp