カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「更新しました」~キース・アウト

 巷で部活動の顧問拒否が話題となっている。課外活動への関与は義務ではなく、顧問を引き受けるかどうかは「任意」なのだそうだ。私は任意だとは思わないが、顧問拒否が可能ならむしろ学級担任の方を拒否したい。担任の手から離れた「特別の教科道徳」や「総合的な学習の時間」は、地域に移行するようマス・メディアは大いにがんばってもらいたいものである。

kieth-out.hatenablog.jp

 

「部活指導、好きでやっているわけじゃない」~やたら熱心な教師たちの本音 

 部活動にやたら熱心な教師たちが、揶揄されたり煙たがられているらしい。
 本業をおろそかにした上、長時間練習や体罰に走りやすいのだそうだ。
 しかし部活がなくなるならまだしも、
 目の前に子どもがいて、それで手を抜けるのか?

という話。

(写真:フォトAC)

【部活のBDKは仏教伝道協会ではない】 

  部活動のことをあれこれ調べていたら「BDK」という言葉が出てきて、意味が分からないので調べたら、出てきたのは「仏教伝道協会」。何か話が合いません。Wikipediaには他に「ブラック&デッカー」という電動工具メーカーもありましたが、これも違うでしょう。
 私が探しているのは部活に関わるもので、生き生きと清々しいものではなく、揶揄や嫌悪感をもって使われる言葉です。

 そこ出Google検索にかけたら、出てきました。元文部科学事務次官前川喜平氏による「手抜き授業をする『部活大好き教師』は辞めよ~前川喜平氏が示す『部活動改善』の方策とは?」(2018.09.19東洋経済ONLINE)という文章の中にあったのです。

toyokeizai.net

 けっこうな長さの文ですが、表題にある「部活大好き教師」が出てくるのは最後の十数行だけ。そこではこんなふうに説明されています。
 学校の教師の中には、「BDK」すなわち「部活大好き教師」「部活だけ(しかしない)教師」と言われる人たちもいる。この類いの教師はもともと部活動が好きだから、いくらやっても負担感がない。そのため、生徒たちを過度の長時間練習や体罰などで肉体的・精神的に追い詰めてしまうことも起こり得る。
 一方で、本来の仕事である授業への取り組みはおろそかになりがちだ。


 現在SNS上では、「部活を守るために教員の働き方改革に抵抗する『守旧派』『抵抗勢力』『獅子身中の虫』みたいな扱いをされているのがBDKです。「課外活動なんだから、部活はやりたい人がやればいい」というときに想定されているのも「BDK」です。


【こうして私はBDKモドキとなった】

 私がこれに引っ掛かるのは、現職時代の私も、もしかしたらBDKに見えたかもしれないと思ったからです。
 ただ、当時の私が“部活、大好き”だったかというと、決してそうではありません。職務だと思ったからやったまでのことで、教科指導や生徒指導や道徳教育に一生懸命取り組んだからといって、大好きだからやったのではないのと同じです。ただ、部活については、それ以外に“生徒たちに惨めな負け方をさせたくない”という強烈な動機付けがあったのも事実です。それには部活に対する考え方を、根本的に変えるような思い出がありました。

 二番目に赴任した中学校で、私は最初バレー部の副顧問でした。初任校で学級経営に失敗したという経緯がありましたから、最初から正顧問はムリだと思われていたのかもしれません。
 転任して間もなく行われた市内大会でのことです。第一試合が終わって選手を休ませている間、私は体育館の観客席に上がって前任校の試合を見ることにしました。教科担任として知った子がたくさんいたからです。
 懐かしい顔を見られたのは良かったのですが、試合の方は散々でした。相手が強豪ということもありますが、前任校チームの未熟さは素人にもわかるほどで、まるっきり相手にならないのです。
 負けた選手たちの顔も見られないので、私は遠回りをしてチームの控室まで行こうとしました。ところがどこでどう間違ったのか、負けたばかりの前任校チームと鉢合わせをしてしまったのです。するとその中のひとりが、
「ああ、T先生じゃないの、久しぶり。私たち負けちゃったよ、見てた? メッチャチャクチャ弱かったでしょ」
 そんなふうに言って笑って見せます。泣くこともできない、もう笑っちゃうしかできることがない、そんな印象でした。
 翌年正顧問になることが決まっていた私は、そのとき誓ったのです。
「相手がどんな学校であろうとも、負けるにしても全セット、必ず半分以上の点数を取る。子どもに惨めな思いはさせない」

 しかし後から考えるといかにも素人くさい決心で、市内とは言っても優勝するようなチームから半分以上の点数を取るには、ベスト4以上の実力がなければだめだったのです。かくして私は“部活の鬼”になりました。まさにBDKです。 


【惨敗は許せない。親も許さない】

 信念から、あるいは性格的に、はたまた状況として、部活に熱心に取り組めない(取り組まない)先生がいることは私も知っています。ことさら非難するつもりもありません。
 しかしそうした人たちは、野球なら0-21、バスケットボールなら2-52、バレーボールなら2-25、3-25で自分のチームが負けたとき、生徒たちの顔を見てどう思うのでしょう?

 私の娘のシーナはクラスで一番のチビなのに、中学校のバスケットボール部では選手でした。本人が異常な努力をしたということもありますが、練習試合でひとつ勝って全員が泣くような弱小チームでしたから簡単にポジションを得られたという側面もあります。そして案の定、三年生の大会ではトーナメントの一回戦でぼろ負け、あっという間の敗退でした。

 私は熱心に取り組んでくれなかった中学校の顧問を密かに恨みました。確かに本人は背も低く、基本的運動能力にも欠けるところがあったかもしれません。チームの練習量も圧倒的に少なかったのかもしれません。しかしそれでも2年半、他の子も含めて、子どもたちは必死にがんばってきたのです。決してあんな惨めな負け方をさせていいものではありません。


【好きでやっいてるわけじゃない】

 これは正義の問題ではありません。
部活動は教育課程にない課外活動だとか、部活指導は教師のサービス残業によって支えられているとか、本来は学校のすべきことではないとか――それらは全部正しく、改善は一刻も早くなされるべきだと私も思います。しかしだからといって改善の進まない今、目の前の部員の指導をおろそかにしていいということにはならないと、私は思うのです。

 私は部活顧問なんてちっとも好きではありません。ですから小学校に異動して部活がなくなり、土日が自由に使えるようになると本当に幸せでした。しかし再び中学校に戻っていたら(実際に何度も希望しましたが結局かないませんでした)、以前と同じように部活動に熱心に取り組み、BDKと呼ばれても不思議のない生活を続けたと思います。初任校のバレー部や娘が味わった思いを、教え子にはさせたくからです。

 実際問題として、部活動をするために教員になったり、部活動が好きで好きで何としても続けたいと思ったりしているような真のBDKは、どれくらいいるのでしょう?
 仮に部活動の地域移動が成功して、教員が副業届を出さなければ指導者になれなくなったとき、それでも指導を続けるBDK。もちろん土日のみの民間移動でしかも受け手がいない、といった中途半端な状況では続ける人もいるかもしれませんが、完全移行が進んだら100人にひとり(10校にひとり)も残らないと私は思います。BDKに見えるほとんどの教師は、必要に迫られ、誠意のみで働いているのですから。

 そんな私のような人たちも、前川氏のような人間から見れば、
 もともと部活動が好きだから、いくらやっても負担感がない。そのため、生徒たちを過度の長時間練習や体罰などで肉体的・精神的に追い詰めてしまうことも起こり得る。一方で、本来の仕事である授業への取り組みはおろそかになりがちだ。
ということになる。納得できませんね。
 

「部活の地域移行、どこでもできるわけじゃない」~土日の部活がなくなると平日の時間外勤務が減少するという怪 

 スポーツ庁有識者会議が、部活の地域移行に関する提言案をまとめた。
 テレビニュースは地域移行に成功した先進校を紹介するが、
 どこのとしでもできるというものではない。
 さらにそれで教員の過剰労働が解消するわけでもない。

 という話。

(写真:フォトAC)

有識者会議、部活の地域移行を提案する】 

 一昨日の夜、NHKは部活動の地域移行に関するニュースを繰り返し伝えました。それによると、
「部活動を地域に移行していくための課題を議論してきたスポーツ庁有識者会議は、31日、指導者の確保策や大会のあり方などを盛り込んだ提言案をとりまとめました。6月にも有識者会議の正式な提言としてスポーツ庁に提出されます」
とのことです。

 私は夜7時のニュースとニュースウォッチ9で同じ内容を見ましたが、地域移行がうまくいっている学校の例として取り上げた二校が、それぞれの番組で異なっていたことには驚きました。内容の使いまわしをしなかったわけです。

 7時のニュースが扱ったのは茨城県つくば市立矢田部東中学校、ニュースウォッチ9は岐阜県羽島市竹鼻中学校です。

 通常、テレビニュースで文科省の方針がうまく実現できている学校が紹介されるときは、ほぼ確実に文科省か県指定の研究校です。研究予算をたんまりもらい、市町村の強力なバックアップを背景に、2年余りも没頭しての研究なのでうまくいかないはずがないのです。
 案の定、矢田部東中学校は県の「運動部活動運営の工夫・改善研究校」で、2020年から3年越しの研究成果が、いま出てきているわけです。
 竹鼻中学校についてはこれといった研究指定があったわけではないようですが、部活の見守りなど保護者の負担が大きい伝統があり、それを解消するというのが地域移行の発端だったみたいです。
 そして両校に共通するのは、社会環境に恵まれていたということです。


【地域移行のうまくいく学校の特殊性】

 いうまでもなくつくば市は、旧東京教育大学の流れを組む筑波大学がつくった研究都市です。Jリーグ入りを目指すサッカーの「つくばFC」やVリーグ2部バレーボールチーム「つくばユナイテッド」、野球は筑波大学大学院野球コーチング論研究室、陸上はNPO日本スポーツアカデミー(旧つくばスポーツアカデミー)と、受け皿はいくらでもあるのです。必要なら筑波大学の学生を組織化すればいくらでも働いてくれます。何しろ教師の卵の牙城なのですから。

 一方、羽島市竹鼻中学校の近くには「はしまなごみスポーツクラブ」というクラブがあり、ここが竹鼻中学校全12運動部の休日指導を、一手に引き受けることになったのです。
 費用は個人負担で6900円(年間)。竹鼻中学校の生徒数はおよそ550名でその8割が運動部だとすると、年間300万円ほどの収入。これで利益が出るかどうか疑わしいのですが、運動部を丸ごと引き受けてくれる組織があったのは僥倖でした。

 以上が地域移行をうまく果たした代表的な2例です。
 さて私たちの町に照らして、可能性はあるでしょうか?


【人口40万人の都市でも人材は探せない】

 NHKのニュースはまた、地域移行に困難をきたしている例も挙げています。
 同じ取り組みをしている千葉県柏市は、1校に必要な指導者を集めるのに2カ月を要したと言います。来年度は全中学校に広げるためにさらに200人必要だそうですが、掘りつくしたところから探し出す200人ですから容易ではないでしょう。
 人口41万人の柏市ですらこうですから、地方の中堅以下の都市では話になりません。
 先に挙げた竹鼻中学校にしても、羽島市内にはあと三つの中学校がありますから、そちらまで手が回り切れるか。
 スポーツ庁有識者会議は、どういう目算があってこのような提言案を出そうとしているのでしょう。

 私は単に文科省の提案を潰したいと思っているのではありません。
 部活の地域移行の失敗はもう10年以上も続いているのです。いま再び(あるいは三度)失敗を繰り返すことで、本質的な問題解決が先延ばしにされるのが嫌なのです。
 学校部活は、本気でいったん全部をぶっ潰すような荒業でもしない限り、結局、教師の元へ戻ってきます。だとしたら校内の部活環境を整えない限り、部活に食いつくされる教師の生活は変わるはずがないのです。


【土日の部活動がなくなると平日の時間外が減る怪】

 話は少々変わりますが、一昨日の部活に関するNHKニュースを見ながら、「こりゃあ明日のネットは大騒ぎになるぞ」と思った部分がありました。そして大騒ぎにならなかったことに軽い衝撃を覚えています。

 それはニュースウォッチ9で、
「土日の部活動を委託してから、残業時間は減少。先生1人当たり、平均月13・3時間短くなりました。ゆとりが生まれた分、授業や生徒指導に、より時間がかけられるようになったと言います」
と説明された部分です。そのあとのインタビューでも先生が、
「(土日の部活動を)委託することによって、事前にいろいろな準備ができるので、子どもと接する時間が増えたかなって思います」
とおっしゃっておられました。
 普通に考えたら変でしょ? 土日が空くと平日の残業時間が減るのです。

 しかし部活を担当した教師ならわかるでしょう。私も大会が終わったあとは思ったものです。
「ああ、これでやっと土日に落ち着いて仕事ができる」
 そうです。特に大会前(4月~7月、9月~10月)は練習試合がたくさん入るので、土日がまったく使えなくなります。そうなると本来は土日にやるべき授業準備や運営計画がほとんど平日回しになってしまうのです。インタビューに答えた先生の「事前にいろいろな準備ができる」の“事前”は月曜日の前、という意味です。

 繰り返しますよ、本来は土日にやるべき授業準備や運営計画が平日回しになる。それが委託によって休日にしっかり働けるので、平日の超過勤務が減る。
 NHKはまるで気づかなかったかのようにサラッと流し、視聴者もほとんど引っかからなかったようです。
 しかし私は怒っています。教員の多忙はタマネギのように、いくら剥いても簡単には解消しないのです。NHKはその大切なところを、素通りしてしまいました。
 
(追記)
 今朝(6月2日朝)の7時のNHKニュースで改めて矢田部東中学校が取り上げられ、今回は主として問題点が紹介されていました。
 ひとつは矢田部東中学校の運動部の中にも外部委託のできない部があること。水泳部は地域のスイミングスクールに打診しても条件が合わず、いまも探し続けているということ。
 もうひとつは年間300万円ほどかかる外部委託運営費について、これまで三分の一ほど占めていた国からの補助金がなくなり、外部指導者による休日指導を減らさざるを得ないことです。減った分は本来の顧問が補わなくてはならないでしょう。

 ただ、それでも月2回以上のプロによる指導は、矢田部東中学校運動部をものすごく強くするはずです。そうなると周辺の学校は、どんな犠牲を払ってでも同等以上の体制をつくらざるを得なくなります。
 毎月1万円も親に払わせるわけにはいきませんから、結局、大半はつくば市が出すことになるでしょう。そんなお金があるなら講師を数人雇ってほしいと考えるのは、私くらいなものかもしれませんが。
 

「セーフティネットとしてのPTA」~PTAについて改めて考えた②

 PTAというのは学校の欠けたる部分を補助する組織だ。
 それを任意団体だから入るも入らないも自由だ、というのもしっくりこない。
 学校からすればあれば有り難く、なければ教員がやるか放置されるだけだ。
 だから私が副会長(校長)だったら、保護者にはこんなふうに話しかけるだろう。

という話。

(写真:フォトAC)

【PTA副会長がご挨拶申し上げます】 

 皆さんこんにちは。ただいま紹介にあずかりました副会長のT****です――とは言っても先ほど入学説明会であいさつした校長のT****ですから、よもや忘れておられないでしょう。本校のPTAは三人目の副会長が私ということになっています。PTA=ペアレントティーチャーの組織の、教師側の代表者ということです。

 さて、いま会長さんの方からお話があったように、PTAは任意団体ですから何が何でも入らなくてはいけないというものではありません。ですから「私には関係ないワ」とおっしゃる方は今すぐに席を立ってくださってもかまいませが、それでもせっかくいらっしゃったのです。とっておきの情報もありますので、よかったら最後までお付き合いください。

 さて、すでにお兄ちゃんお姉ちゃんが本校に在籍している保護者の皆さんはご存知かと思いますが、PTAの活動というのはこれがけっこう面倒くさいものなのです。
 学級PTAでは参観日のたびに担任の先生と相談して懇談会のテーマを決め、予め進行計画を立てて話し合いをしなくてはなりませんし、資源回収では各地域の人員を把握して移送のためのトラックや乗用車を手配しなくてはいけません。 
 運動会では駐車場係や運営のお手伝い。前日準備では万国旗を張ったり周辺の草取りをしたり――あ、グランドの端にある入場門、あれは毎年PTAの皆さんがつくってくれるものだって知っていました?
 PTA作業ではプールの清掃や廊下の壁塗り、日ごろは子どもにやらせられない窓ふきだとかトイレの徹底清掃だとか、せっかくの休日を丸々使って働かなければならないのですから、ほんとうにたいへんです。
 もちろん任意団体なので、何が何でも加入しなければならないというものではありませんが。


【意外と気持ちにひっかかることも多い】

 おっとすみません。目立つところで朝の交通当番、あれを忘れていました。横断歩道で安全を確認して、子どもを渡してやるあの仕事です。あれ、年に3回くらい回ってくるのですよ。
 7時半から8時くらいまでやってそれからの出勤ですから、お勤めをされている保護者はたいへんです。
 おまけに通りかかった車がスーッと止まって、窓から顔を出したママ友が、
「あ~ら○○さん。交通当番? ご苦労様。私はPTAに入っていないからいいけど、入っている人はたいへんよねェ。これで雨でも降っていたら最悪! でも大事な仕事! 頑張ってね、ウチの子もよろしく~!」
 なんて言われたら殺意が芽生えますよね。横断歩道が血に染まる・・・。

 冗談はさておき、立場を変えて、皆さんがPTAの会員でなく、うっかり知り合いが当番をやっている道路に入ってしまったとしましょう。どうします?
 まさか先ほどふざけて言った保護者のように「ご苦労さま! うちの子もよろしく!」なんて言わないとは思いますが、何となく通過しにくい、顔を見られたくない、そんな感じですよね。だって相手は会費を払ったうえに当番なんかやっているわけですから、平気で通過するのは難しそうです。

 ああ、通過するのは難しいと言えば、さっきお話しした運動会の入場門、あれだってPTAの前日作業のおかげだと知ったらなかなか通過しにくいものでしょう。知らなければ気にならないのですが、さっき私が話してしまいましたから皆さまご存知――。裏口から静かに入るしかありません。
 いやいや、もちろん入場門から堂々と入ってくださってもいいのですよ。何といってもPTAは任意団体、会に入るか入らないか、入場門に入るか入らないかは自由に決めていいのですから。

 それにPTAの会員がぐんと減って今のような活動ができなくなったとしても、実際にはそんなに困らないのかもしれないのです。プール掃除だって先生方が何時間かかろうとちゃんとやってくれますし、運動会の万国旗張りだって、どんなに夜遅くなっても先生たちがやってくれるに決まっているからです。
 学校の先生というのは、子どもの安全や成長のためならいくらでも我慢できる人たちなのです。運動会は子どもにとっての夢舞台。万国旗も入場門もない地味な運動会なんて、先生たちに我慢できるはずがありません。
 最近は心の病気で休職される先生たちが全国で毎年5000人以上にのぼります。早期退職の先生方もずいぶん多くなりました。みんな歯を食いしばって頑張っておられます。でも、もっと頑張ってもらいましょう。

 あ、そんな皮肉な言い方をしたからって、PTAに加入して一緒に支えてくださいという話ではありません。PTAは任意団体なのですから、入るも入らないも自由に決めてくださればいいのです。


【本当は自治体がすべきことも多いが――】

 ただ、資源回収での収入が備品や修繕に使われる他に、クラブ活動でも使われていることはご承知ください。本校には金管クラブと陸上クラブがありますが、4年生なってお子さんがいずれかのクラブに入る予定があるとしたら、多少は気を遣いましょう。自分が入会していないPTAの補助のおかげで、ウチの子が生き生きと活動できる、というのではどう考えても寝覚めがよくありません。
 ああ、もちろんだから入会しろという意味ではありません。

 おっしゃる通り備品や修繕やクラブの補助は本来、市のやるべき仕事です。プール掃除とかトイレの徹底清掃だとかも、業者に委託すればずっと丁寧にやってくれるはずです。ペンキの剥げた教室なんて学問の場として最低じゃないですか。それもPTAでなく、専門家に任せるべきでしょう。

 しかし「べき」では何も動かないのです。市だって予算はギリギリですからプール掃除に業者を入れろと言ったら「じゃあ、何を外すの? 図書費を半分にする? それとも校務員さんを2校兼務にしようか?」ということになります。ない袖を振らせることはできないのです。結局、先生たちで何とかするか、何とかできなければ放置するしかありません。


【特別な人間関係を持つ】

 先ほど会長さんは「PTAの活動は刺激的でとても面白い。人生の大きな転機となる」とおっしゃいました。私もそう思います。しかし同時に、私はPTA活動がつくる新たな人間関係にも注目します。
 “ママ友ならたくさんいるワ”とおっしゃる方もおられるでしょう。もちろんそれも大切な人脈ですが、PTAがつくる人間関係はその先に担任教師もその他の教師も、教頭先生も副校長も校長もいるのです。学校の敷居がぐんと低くなります。

 子どもの様子が少し変で不安な時、いきなり担任のところを訪ねる保護者がどれくらいいます? あるいは担任の先生に不信感を持った時、誰に相談すればいいのか、誰が話しやすいのか、分かりますか?

 私はこの世界に30年以上もいるのでよくわかるのですが、子どもの問題がまだほんの小さな“芽”くらいのときに、学校にドカドカと入り込んであれこれ言ってくるのはほとんどがPTAの役員の方々です。何しろ敷居が低いですから土足でも入り込めてしまうのです。そして問題が小さい段階ですから、あっという間に解決してしまいます。解決しなくても、将来の不安への準備ができます。
 自分はそんなにズカズカと学校にはいれるような人間ではないという方、もちろん性格は変えられません。しかしそういう友だちがいたら、何かと心強いでしょう? そしてそうした人と仲良くなるには、とりあえず一緒に活動するしかないのです。

 PTAで培った人間関係は校長・教頭に近いところにありますから情報も速い。
「ねぇ、ねぇ、ねぇ、校長先生がちょっと口を滑らしたんだけどさァ」
といった話は、特殊な人間関係の中でしか共有されないものです。


【子どものためのセーフティ・ネット】

 言いたいのは、PTAは子どものためのセーフティ・ネットだということです。いわば保険です。何もなければいいのですが、何かあったときには決定的に役に立つ、それが学校におけるPTAのひとつの側面です。

 会員になったところで、会費は取られるワ、仕事はさせられるワで、ロクなことがありません。たいていのひとはそのまま無事6年間を終えて、その意味では入会しないというのも選択肢のひとつです。しかし普通の人は若死にする予定がなくても生命保険に入りますよね? 大企業の社員でも失業保険には入っておく。それと同じで、万が一のことを考えると、会員でないことは保護者を大いに不安にさせるものです。

 さて、今日はPTA副会長として長いお話をさせていただきました。私や会長の話を聞いたからといっても無理に入会することはありません。PTAは何といっても任意団体ですから、入るも入らないも自由です。
 また、私の話は聞き流してもいいような軽いものですから、あまり深刻にとらえなくてもけっこう。外に行って「校長が、何が何でもPTAに入れといったような話をした」などとおっしゃらないよう、お願いいたします。
 入ってくださいとも、入りましょうとも申し上げませんでした。仮にそう聞こえたとしても、言ったのは校長ではなくPTAの副会長ですから、その点もよろしくお願いします(アハ!)。
 

「自主組織・任意団体という軛(くびき)を逃れる」~PTAについて改めて考えた 

 保護者にとって、PTAに加入するかどうかがテーマとなってきている。
 過去を振り返れば、私たちは労働組合を潰し、町内会を弱体化させてきた。
 こうしてひとつひとつ自由になってきたのだが、
 その自由が、私には
どうやら不安なのだ。
という話。(写真:フォトAC)

【品性としてのPTA加入】 

 孫のハーヴが小学校にあがったのに、新型コロナ感染で入学式に出席できなかったというお話はしました。今日はさらにその2カ月ほど前の話です。

 ハーヴの母親、私にとっては娘のシーナが、何かで寄こした電話のついでに、こんな話をしてくれました。
「この前ね、ハーヴの来入児入学説明会があったのだけど、その帰り道でね、説明会で仲良くなった二人のお母さんと一緒に話しながら帰ったんだけど、『PTAどうする?』っていう話が出たのよ。そうしたら片方のお母さんが、
『うん、なんだか卒業式にコサージュをもらえるかどうかって、それだけのことみたいよ』
だって。私、びっくりしちゃって。噂には聞いていたけど、PTAに入るかどうかが話題になる時代なんだよね。あ、もちろん私は入るけど、(入会しないのは)品がないから」

 その時はピンと来なかったのですが、あとになって「品がない」の意味が分かりました。“PTAに入るか入らないかを何か貰えるかどうか、損得の問題として考え、入会しないこと”が下品だという意味です。私もそう思いました。

 PTAはデパートの友の会ではありません。なにかいいものが貰えるから入る、もらえないからやめるというものではないと思うのです。それは強いて言えばアイドルのファンクラブのようなもので、(もちろん何かが貰えるという特典もあるでしょうが)基本は応援したいから入るのです。そこに損得を持ち込んだら、生粋のファンは怒ります。

「PTAは任意団体だから入らなくてもいい」という運動はずいぶん広がりをみせて、都会ではすでに入らない人も多くなっているのかもしれません。昨日はネットで「教師の入会も強制されるべきではない」という記事も読みました。私は典型的な老害教師のさらに成れの果てですから、深くため息をつきました。
 この調子で行けばまもなくPTAも体をなさなくなって、やがて消えて行くことでしょう。こんなふうに学校に関わる組織がなくなっていく――それには苦い思い出があります。


【組合は死んだ。私たちが殺したのだ】

 昨日、「起業家精神教育」について半分絶望しながら書いて、ふと思ったのは、
日教組全盛の時代なら、こんなことにはならなかったのかもしれない」
ということでした。今さら新たな追加教育の話があったら、瞬時に政府に噛みついてくれたのかもしれない――。

 もっともその時代であっても日教組の主な活動目標は賃上げや労働環境改善ではなく、世界平和や反戦でしたから(私にはそう感じられた)、ことは簡単に進まなかったかもしれません。
 ただ、それでも現在よりは政府にブレーキがかけられたように思うのです。政府の側にも、安易に突っ込むと絡んでくるから何かと面倒だと、組合に対する遠慮がありました。

 その大切な労働組合日教組)を、誰が今の惨めな姿にしてしまったのか――。もちろん私たちです。

 私、個人についていえば日教組の連合加盟で職場が二分されて以来、職場長くらいはやるものの、組合活動からは常に距離を置くようにしてきました。あからさまではありませんでしたが職場に目に見えない分断があって、活動を深める以上は旗色をはっきりさせる必要があったからです。それが嫌だったのです。
 私は主流派と反主流派の両方に軸を置くコウモリでのままでしたが、それが嫌で組合をやめていく先生も少なくありませんでした。やめた先生はとうぜん新卒の先生に勧めたりしません。ですから組合員数は細るばかり。そして今の状況です。

 私はそれでも資格のあるうちは組合費を払い続けました。規模はとんでもなく小さくなってしまいましたが、組合員を守ろう、教員を守ろう、日本の教育を守ろうと本気で努力されている先生はどこかにいるのです。休日にデモに参加したり総会の準備をしたり、機関誌の原稿を書いたり――。彼らや彼らの先輩たちが頑張ってくれたからこそ、享受できる権利も資金もあるのです。
 私は活動しない、だったらせめて資金的には援助する、さらにまた1万分の1%くらいにもならないかもしれないけれど加入率の支えにもなる、そういう思いでいました。

【地区の自治会を抜けてしまうということ】

 PTAと同じ任意団体・自主組織というともうひとつ心に引っ掛かるものがあります。町内自治会です。この3月まで、8軒の家族を束ねる持ち回りの組長でした。
 同じ組の中にあと4軒あるのですが、内3軒が空き家、そしてもう一件は4年前に脱退されたお宅です。もう40年もこの地区に住んでいるのに、自分に組長が回ってきたのを機に、市役所や区長にねじ込んで、やめることを認めさせました。

 私は想像がつかないのです。
 月一回の地域清掃にその家からは一人も出て来ません。自治会員ではないので当然と言えば当然です。しかし掃除の音や話し声も聞こえるはずのその時間を、家族はどんな思いで過ごしているのでしょう? 地域の氏神の大祭は、ここ二年ほどはコロナで中止になっていますが、手伝いにも出なかった一家は、出かけることはなかったのでしょうか。打ちあがる花火をどんな思いで見たのでしょう。

 さらに言えば万が一、大災害となって避難所が開設されたとき、この一家はどんなふうに中で過ごすのでしょう。
 もちろん市民をやめたわけではないで避難民として公平に扱ってもらえるのは間違いありません。しかし避難所の実際の運営は町会単位になりますから、町会費を払っていない一家には、仕事が回ってきません。仕事をしない人にも、他の家族は優しくしてくれるでしょうか?
 だからといって今さら、「何か手伝うことはありませんか」とは言いにくいし、言われた方も素直になれません。
「だったら最初から、やることをやれよ」
 口に出してそういう人もいないと思いますが、目はそう言っています。

 

【オレの安心安全は誰が守るのだ】

 もしかしたら詰まるところ、私は臆病者なだけのかもしれません。皆が属している集団から抜けることの恐怖、抜けたあとのその先にあるものに対する恐怖、そうしたものが私を組織に引き留めているだけなのかもしれない――。

 しかし翻って、そうした「組織から積極的に抜け出していく人々」が独立心に満ちた不羈の人間たちかというと、そうでもないような気もしてきます。彼らの一部は「オレはオレでやっていくから放っておいてくれ」と言っているのではなく、
「何でオレが金を出したり働いたりしなくちゃいけないんだ。オレの安心や安全は、自主組織や任意団体ではなく、他の誰かが担うべきじゃないのか」
 そう考えている可能性があるからです。

(この稿、続く)

「それでも教員の仕事は増やし続けると、政府は言った」~新たな追加教育が発表された件について

 今度は「起業家精神教育」だそうだ。
 学生起業家による出前講座や大学のプログラムへの参加など、
 学校の負担にはならないと言いたげだが、そうか?
 政府は、今後も教員の仕事を増やし続けると宣戦布告したのだ

という話。

(写真:フォトAC)

【新たな追加教育が発表された】 

 昨日(2022.05.28)の読売新聞Onlineに、『「起業家精神」教育、小中高で強化…新興企業育成「5か年計画」に明記へ』という記事がありました。

www.yomiuri.co.jp 政府が年内にも策定するスタートアップ(新興企業)を育成するための「5か年計画」に、小中学校や高校への働きかけを強化する方針を明記することがわかった。(中略)

 具体的には、起業した学生などによる小中高生向けのセミナーや出前講座の実施を支援することなどを想定している。理数分野で高い能力を持つ小中高生には、大学で行われる起業家精神教育を含む高度なプログラムへの参加を視野に入れる。早い段階で起業家精神に触れる機会を設け、起業を将来の選択肢に加えてもらう狙いがある。

 絶望というのは大げさですが、私の中で何かがスコンと落ちたような、折れてしまったような感じがありました。

 小学校における35人学級のための増員が進行中の現在、これ以上の教員増加はまったく考えていない文科省財務省。コロナ対策ですっかり予算のなくなってしまった地方公共団体。したがって教員は一人も増やせない。
 そんな状況で叫ばれる「教員の働き方改革」は、できもしない部活の民間委託を叫ぶくらいで、遅々として進まない。

 それならば仕事を減らすかというと、実際に縮小されるのは運動会や文化祭、始業式に終業式と、子どもが楽しみにするものや伝統あるもの、教育的価値や効果が保障されたものばかりで、小学校英語やらプログラミング教育やら、GIGAスクールやら、ほんとうに効果があるのか必要なのか、疑わしいものばかりが追加されていくのです。
 ほんとうにやりきれない。

 さらにここ数年は「ITC教育」やら「命を守る教育」やら。そして今回は「起業家精神教育」です。
 政府はここに至ってはっきりと、
「教員の仕事は絶対に減らさない。今後も増やすのみだ」
と宣言し、教員の多忙に対処しないことを明らかにしたのです。
 それが私の心を挫きます。

【起業家は子どもの教育にも能力があるのか】

 もっとも政府もかつてより知恵がついたようで、
具体的には、起業した学生などによる小中高生向けのセミナーや出前講座の実施を支援することなどを想定している
と、暗に負担が少ないことも示唆しています。金も出すと。
「まあ、まあ、まあ、先生方、大した負担じゃあないですよ。先生方はうしろの方でお茶でも飲みながら一緒に勉強してくれればいいんです」

 しかしどうでしょう? 小中学校の教育で「場所と時間を提供してくれれば、あとは成果を上げます」といえるようなものがあるでしょうか? あるとしてもそれで力がついたり、興味関心が高まったりするものでしょうか?

 一番心配なのはセミナーや出前講座の講師が、起業の専門家であっても教育の専門家ではないということです。そもそも言葉の意味を子どもたちに理解させることができるのか。
 講座を始める前段階で、「起業」と「企業」の違いが分からない子どもがたくさんいて、さらにそれを上回る子どもが「起業」も「企業」も初めて聞く言葉だ、という状況を解消できるのか。解消できたとして、そこから始める講座を時間内に終わらせることができるのか――心配の種は尽きません。


【教員は支える】

 そこで教師は前もって子どもたちの実態を調べ、基本的な知識や興味関心を揃えるための準備をしておきます。講座が終わればどの程度理解したのか、関心がもてたのか、調べなくてはなりません。その上で不足の部分は補充します。真面目にやれば何時間もかかる内容ですが、講座の前後15分ずつ程度でもいいでしょう。しかしその15分を意味あるものにするために、教師はどれくらい勉強すればいいのか。

 とりあえず私などは「起業」の意味すら分かりません。貿易商のような仕事をするとして知っていなければならない法律や慣習はどれくらいあるのか、あるとしてどこの聞きに行けばいいのか。借金はどのようにするのか、提出しなくてはならない書類には何があるのか、どこへ出せばいいのか。とりあえず何を相談したらいいのか、費用はどれほど掛かるのか――子どもから尋ねられても答えられないことばかりです。

 もちろん自分が今すぐに教員を辞めて新しい仕事を起こせるほどに十分な学習をする必要はない(そんな知識や技能があったら教員は辞めている)と思いますが、いまの無知で子どもに向き合うのは勇気のいることです。


【大した負担でなくても、死ぬほどやらされれば死ぬ】

 いうまでもなく知識の収集ですからそれとてたいした負担ではありません。小盛のご飯を食べる程度の話です。
 けれど、考えても見てください。そんな小盛のご飯が、起業家精神教育以外に目の前に30杯も40杯もあるのです。正式な食事(基本的な教育課程)を終えたあとで、小盛と言えどご飯30~40杯を全部食べたら、死にます。

 もしかしたら政府はこんなふうに言うかもしれません。
「そこまで深刻に考える必要はないでしょ。専門家にセミナーや出前講座をチョイチョイチョイとやってもらって、それで終わりにすればいいのです」
――たしかに。
 しかしその程度のものなら、最初からやらなくてもいいのではないですか?
 

「中学生は、英語にも絶望しながら入学してくる」~中1英語がやたら難しくなった

 ウクライナには意外なほど多くの英語使いがいる。
 さもありなん。皆、今日を見越して頑張ってきたのだ。
 日本はそうはいかないし、そうなってほしくない。
 子どもたちは、すでに英語疲れもしているし――。

という話。

(写真:フォトAC)

ウクライナ人々は、どうやら英語が堪能らしい】 

 テレビでウクライナに関するニュースを見て驚かされることのひとつは、英語の堪能な人が何人もいることです。街でマイクを向けられた警察官が英語でボヤく、小さな子どもを抱えた母親が英語でまくし立てる、女子高生くらいの女の子が落ち着いた英語で窮状を訴える――。
 同じことを日本で試したらどうでしょう。
 アメリカ人が街の警察官にマイクを向けたら、英語でボヤいてくれるでしょうか? 20~30代のお母さんが英語でまくし立てるな場面を、カメラは捕えることができるでしょうか? 
 困って英語で話しかければそれぞれ誠実に答えてくれるでしょうが、単なるインタビューなら片っ端逃げ出すのがオチです。

 もっとも「ウクライナの人々は英語が堪能」と言ってもどうやら年齢的限界もあるみたいで、私よりも年上、つまりお祖父ちゃんお祖母ちゃん世代はムリなようです。マイクを向ければウクライナ語しか返ってきません。ただしこの世代はロシア語はできて、今回のウクライナ戦争の初期、街に立つロシア兵に、
「ポケットにヒマワリの種を入れて戦場に行きな! お前が死んだらそこからヒマワリの花が咲くから」
と毒づく老婆の姿が世界に配信されました。

 なぜウクライナの年寄りはロシア語が出きて、若い世代は英語が堪能なのか――。
 要因は歴史と今回の状況を振り返れば明らかです。年寄りがまだ年寄りではなかった時代、つまりウクライナソビエト連邦の一部だったころは、ロシア語で喧嘩ができるほどに堪能でないと生きていけなかったからです。
 若者は、世界中のどこへ逃げても英語さえできれば最低のことはできそうだと、そんな切実な思いから英語を学び、あるいは学ばされてきたのでしょう。


【母国から追い出される人、政府から逃げなくてはならない人々】

 ウクライナを脱出した人々は(のちに国内に戻った人も含めて)600万人にものぼるそうです。ところが同じ時期、母国を離れたロシア人も200万人以上いたのです。
 政府による弾圧を怖れて脱出した反戦の士もいれば、自由を求めて国外に逃れる芸術家もいました。とにかくロシア国内に留まったら財産が守れない、商売にならない、そういった事情で逃げた人もいるでしょう。もちろんその上、おそらく外国語ができたから軽々と国境を越えられたのです。
 私のような人間は戦争が始まったからと言ってすぐに動くことはできません。日本語とその方言しかできないからです。国を棄てるハードルが最初から高いのです。

 以前、文在寅前大統領のお嬢さんが東南アジアに本拠地を移し、そこで暮らしているという報道があって話題になりました。日本の大学に留学経験のある娘さんです。
 テレビにたびたび顔を出すサムソン電子の副会長:李在鎔(イ・ジェヨン)さんはソウル大学卒、慶応大学修士課程修了、ハーバード・ビジネススクール博士課程修了という輝かしい肩書を持っています。しかし注目すべきは頭の良さではなく、日本とアメリカの両方に足掛かりを持っている点です。資産の一部も海外に移してあるはずです。
 ついでに言えば中国の習近平のお嬢さんもハーバード大卒でした。

 韓国の政財界、あるいは中国の支配者層のほとんどが海外に資産を持ち、いつでも逃げ出す準備をしています。準備の中にはもちろん語学の取得も入っていて、子弟には厳しく指導してあるはずです。

 昨日まで、私が日本が戦争に巻き込まれる可能性について考えながら、頭の片隅で冷笑的に思っていたのは、“戦争が近づいたら日本人も必死に勉強して、英語も堪能になるかもしれないな”ということです。
 尖閣が取られた、沖縄も危うくなっている、九州でも人々が本州に移動し始めた、と同時に北海道の北側でもおかしな動きがある――そんな状況が10年も続けば、放っておいても人々は英語に熱中します。映画「日本沈没」に近い状態になったら、日本人は世界中に分散しなければならない。そのとき英語は必ず役に立つからです。
 しかしこんな平和な状況にあって、外国軍からも政府からも追われる心配のない現在、何の必要があって小学生のころから英語を学ばなくてはならないのでしょう。


【これからの中学生は、英語にまで絶望しながら入学してくるのかもしれない】

 こんなウンザリとした、皮肉な気持ちになったのはネット上で、
「中学校1年生の英語の教科書が、とんでもなく難しくなっている」
という記事を読んだからです。
 小学校5・6年生で習得してきた部分があるから、それを前提に中1の英語は進められる、そのせいだといいます。納得できる話です。

 かつて中学校の英語は多くの新入生の希望の星でした。
 小学校の6年間に勉強がよく分からなくなってしまった子も、嫌いになってしまった子も、中学校へ行けば英語がある、そこで逆転満塁打が放てるかもしれない、勉強は全部嫌いだけど英語は好きになれるかもしれない、まったく知らない世界だからすごく面白そう――そんなふうに胸をときめかせて始められたのが英語でした。そして実際に英語がツボにはまり、他の教科も引っ張られて学力全般に工場の見られた子もいました。もちろん「やっぱりダメだった」という子も少なくありません。しかし少なくとも半年間は、夢を見て、楽しい日々が送れたのです。それで十分じゃないですか。

 しかし今後は、英語にまでウンザリとした気持ちをもって入学してくる子がたくさんいるのです。かわいそうですね。
 小学校英語って、そんな犠牲を払ってまでやらなくてはならないものなのでしょうか?
 あとは部活くらいしか、新入生が楽しみにする材料はありません。あ、いや、いまや部活動さえも縮小していく方向ですよね。