カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「やっぱり俺たちはすごいという話」~現代の教員は圧倒的に能力が高い

 小学校の頃はよい子でしたが、中学校に上がったら「よい子」のハードルが上がってしまったのか、けっこう悪い子として扱われることが多くなり、しょっちゅう教師に殴られていました。一回も殴られずに週を終えることはまずなかったと思います。

 殴られている時間をどう過ごしていたかというと、けっこうこれがよく覚えていてたいていは「しかたがねえなあ」と思っていましたし理不尽に殴られたときは密かに闘志を燃やしていました。つまりどちらにしても反省はしていなかったのです。

 体罰で子どもが良くなることはありません。私のような「基本的にはいい子」ですらこの有様ですから、「いわんや悪人をや」です。私よりはるかに何回も殴られていた子たちは常に反抗心を燃やしていたに違いありません。

 しかし周辺は違います。宿題をやってこなかったとか、授業中によそ見をしていたとか、テストの点数が低かったとかいった理由で殴られている(昔はそんな理由でもよく殴りました)友だちを見ながら、周辺の子どもたちが思っていたことは「やべえ」ということです。やはり「ああはなりたくない」のです。これが体罰の抑止力です。

 この抑止力の下で子どもたちは先生の話をよく聞き勉強もよくしました。そしてよく聞けばそこには素晴らしい内容があったり、勉強をすれば理解も進んで勉強自体も楽しくなったりしたものです。
 もちろんだからといって体罰を復活せよとは言うつもりはありません。もともとそんな気持ちもありませんし思ったところで昔に帰るはずもないからです。

 そういえば教室内に貼ってあった「宿題提出グラフ」とか「忘れもの回数表」というのもなくなりました。子どもの心を傷つける残酷な指導だということで消えていったものです。私は先ほど、「小学校の時はいい子だった」と書きましたが、それでも「宿題提出グラフ」でグラフの棒が伸びない分を「忘れもの回数表」で大量得点するような子でした。

 さらにそう言えば、小学校の「帰りの会」でも私はよく名前の挙がる子でした。当時の帰りの会は毎日が大糾弾大会で、クラスの女子が男子の悪行を次々とあげつらって反省を求める時間でした。当時の教師はそれを民主主義的な相互批正の場だと考えていたのかもしれません。しかし糾弾される方はたまりませんでした。

 さて、私の言いたいことは、
「昔の教師は子どもを抑えるための大量の武器を持っていた」
ということです。昔の教師は指導力があったなどというのはとんでもない嘘っぱちで、こうした様々な装置に支えられてようやく教育を行っていたにすぎません。

 そういった武器の一切を取り上げられ、今は「言葉」という極めて不安定な装置しか残っていません。しかしそんな貧弱な武器しか与えられず、しかも多種多様に広がっていうことを聞かなくなった子どもたちを相手に、それでも一定以上の教育成果を上げているのですから現代の教師たちは大したものです。
 そのことは大いに宣伝されていいはずだと私は思っています。

 最後に、
「小学校の頃はよい子でした」というのはやはり撤回した方がいいように思うのでそうします。