「技術の枯渇の問題」~利益を生まなくても、伝承しなければならない技術がある

 2012年12月12日、「12」が三つも続きます。「イチ、ニ、イチ、ニ」と勇ましいことです。それはさておき・・・、

 最近のニュースに、アップル社が生産の一部をアメリカ本土に戻すというのがありました。外部委託している中国の工場での相次ぐ争議、賃金上昇、情報の漏えいなど、労働市場としての中国に以前ほどの魅力がなくなったからです。アメリカ国内の平均賃金が下がって中国との差が縮まったことや、高い失業率を背景にオバマ大統領が製造業の国内回帰を重点政策に掲げていることも追い風となっています。ただしクックCEOはこんな言い方もしています。
「アップルのような米企業が中国などのアジア企業に生産を委託しているのは、コストが安いからではなく、求められる製造技能が今の米国には存在しないからだ」
 したがって国内回帰と言っても、デスクトップ・パソコンのような緻密さを必要としない製品の移転ぐらいしかできない見通しのようです。深刻な問題です。

 社会科の明治時代の学習で、
「なぜアジアの国々の中で、唯一日本だけが工業化に成功したのだろう」
という設問を立てることがあります。もちろん外国の植民地にならなかったことも含め、国際政治の中で様々な幸運に恵まれたことが最大の要因ですが、江戸末期すでに「産業革命」直前と言ってもいいような工業基盤があったことも押さえておかねばならない重要な点です。「マニュファクチュア(工場制手工業)」という厄介な言葉を暗記するのはそのためです。工場制手工業に巨大な動力源を加えれば、それが即近代工業の始まりなのですから。
 そうなると今度は、なぜインドや中国では工場制手工業が進まなかったのかという新たな問題が発生しますが、答えは実に簡単です。そうした工業の芽は、ヨーロッパの資本主義に完全に滅ぼされてしまったからなのです。

 イギリスの飛びぬけて安い綿製品の流入によって、インドのゴアやカルカッタの織物工業者はすべて職を失いました。地方から都市に出ていた職人たちは一斉に帰郷するのですが、田舎に十分な土地があって農業が可能なわけではありません。家に帰りつかなかった者、再び都市に向かって倒れた者の骨で、「ヒンドスタン平原が白くなった」と言われるほどです。

 今でこそインドも中国も21世紀の大国と並び称されますが150年に渡って日本に後れを取った原因の一つは、明らかにこうした産業基盤の喪失です。新しい産業を立ち上げる足場がないのです。そして現代のアメリカも、今や部分的に生産者としての力を失っています。
 一度失った技術は容易に戻らない。昔できたのだから今もできるだろうというのは甘い考えだ。上の事実が教えることはそういうことです。

 私は以前、研修旅行のついでにセイコーエプソン社の時計工場を見学したことがあります。見せてもらったのは1個何百万円もする高級宝飾時計です。その世界にはロレックスだのオメガだのといった老舗ブランドがいくらでもあるのですから、セイコーが無理に参入する必要もなさそうなのに敢えて手作り時計にこだわっているのです。その最大の理由が「技術の保全」。

 今後、高級な機械時計が大きな利益を生み出すとは思えなくても、その技術を守っていくことがいつか決定的な何かに役立つかもしれない、そう考えると手放せないのです。
 優秀な企業倫理とともに、日本が守っていくべき重要な点がここにもあるのです。