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「社会科はまったく面白くない教科になった」~今の働き方改革は教師を幸せにするのだろうか①

 かつて社会科は、ドラマを見るように面白く、
 ドラマを生きるように楽しかった(少なくとも教師にとっては)。
 それが教科の役割を減らされ、時数も減ったら、
 すっかりつまらないものになってしまった(少なくとも教師にとっては)。
 という話。(写真:フォトAC)

【見てきたようなウソをつく教師たち】

 江戸川柳に「講釈師、見てきたようなウソを言い」というのがありますが、学校の教師、特に社会科教師も平気で「見てきたようなウソ」を言います。
 私の知る限り、近代以降の教師で、織田信長を直接見た人は一人もいませんし、長篠の戦いに立ちあった人も一人もいません。それなのに、あたかも見てきたかのよう滔々と語る社会科教師のなんと多かったことか。
 
 しかし時には講釈師のような彼らの語りが、450年余り前の愛知県の一角を、戦場として彷彿とさせ、映し出すこともあるのです。
 彼らは黒船来航や西郷隆盛の最期についても、あるいは遠い南アフリカ共和国サウジアラビアの経済についても、やたら熱っぽく語りましたが、だからといって江戸末期から明治に至る日本に生きていたはずもなく、ほとんどは南アやサウジに行ったこともないのに偉そうな顔をしていたのです。
 実際に行ったことも見たこともないのに彼らは語るのをやめず、教えることもやめたりはしませんでした。それは教えることが楽しかったからです。自分が苦労して学んできたことの、面白さや楽しさを、じかに伝えるのが大好きだったのです。

【社会科の指導時数が減らされる】

 昨日申し上げた通り、社会科は繰り返しやせ細ってきた教科です。生き方を教える学問なのに道徳的な部分を削られ、子どもたちをダイナミックに動かす問題解決学習も取り上げられると、面白さが薄れ、指導時数まで減らされていく運命にありました。
 
 例えば私が中学校の社会科教師だった昭和から平成にかけての時期、社会科の年間指導時数は中学校1年生が140時間、2年生も140時間、3年生は105時間でした。当時はすべての教科の時数が35の倍数になっていて、年間に35週間授業を行うと、毎週1時間とか2時間とか、そんなふうにきれいに配当できることを原則としていました。したがって年間140-140-105時間の週ごとの配当は4-4-3時間、つまり1・2年生の社会科(地理・歴史)が週4時間、3年生の公民は週3時間の割合で授業が回されていたのです。
 
 ところが時数は指導要領の改訂のたびに弄ばれ、140-140-70~105(3年生70~105時間ってどういうことだ?)や、105-105-85(年間85時間って、各週何時間の授業なんだ?)といったわけのわからないものとなり、現在はおおむね105-105-140で落ち着いています。それでも私が社会科教師だったころに比べると、35時時間も短くなっているのです。

【社会科はまったく面白くない教科になった】

 35時間も少なくなって楽になったと思わないでください。大部分の中学校教師は学級担任もしていますから、その場合は35時間の削減の代わりに105時間の「総合的な学習の時間」を背負うようになったからです。さらに平成の間はキャリア教育だの「特別の教科道徳」の所見だのと、学級担任の仕事は増え続けましたから、社会科の削減が余裕に結びつくことはありませんでした。
 逆に、時数の減った中で同じだけの内容を指導しようとすればとんでもなく忙しいことになり、教師の負担はさらに増えます。知識偏重に偏るなといわれても、時数は減ったのに指導内容は「ゆとり反省」で戻っていますから、どうしても詰め込みになります。
 
 忙しくなって「見てきたようなウソ」を語ることもなく、問題解決学習もしない、ただ淡々とPDCA*1)を繰り返して、詰め込みがきちんとできているかどうかを確認する日々――そんな授業が楽しいはずがありません。児童生徒にとってはどうなのか分かりませんが、教師にとっては確実に、全く、面白くも楽しくもないのです。

【指導時数が減ると教育はつまらなくなる】

 社会科というのは、まじめに取り組むとけっこう大変な教科です。
 地域を教材にしようとすれば、とりあえず子どもたちの住んでいる町や村にどんな特徴や歴史があるか調べ、それが子どもたちに伝えるべき価値があるかどうか吟味し、必要に応じて再調査を重ね、授業しやすい形に構成し、資料をつくり、板書(黒板に書く内容やレイアウト)を計画し、実際にリハーサルを行って計画を練り直す。そうしたことを繰り返すしかありません。せっかくそこまでやっても、異動ひとつで無駄になってしまうそんな教材研究を、昔の教師たちは平気でやっていました。しかしそれは、昔の教師たちが優秀だったからでも使命感に燃えていたからでもありません。
 そこまで時間をかけて作り上げたものを、子どもたちが目を輝かせて追求してくれたから、そして自分自身も成長できたから――一言でいえば、授業研究が面白かったからなのです。
 それがいつの間にか、全くつまらなくなってしまった。
 問題の要は、指導時数が減ると、教育はつまらなくなるということです。

*1:Plan(計画)、Do(実行)、Check(測定・評価)、Action(対策・改善)