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「部活は絶対なくならない」~教師の働き方改革の行方③ 

 中学校教師の苛酷な勤務状況という話が出ると、真っ先にやり玉に挙げられる部活動。
 しかし部活の外部人材の活用、外部委託という話は、もう20年以上の歴史を持つ。
 具体的な動きが始まってからでも10年以上。
 これだけかかってもできないことは、結局できないことだ。
という話。

f:id:kite-cafe:20210414065927j:plain(写真:フォトAC)

 

【部活動をいかにせん】 

 教員の働き方改革で常にもっとも問題になるのは部活動です。
 部活の一部は明らかに毎日、勤務時間外に行われていますし、休日に出勤しなくてはならないのも部活動のためというのが第一だからです。
 
 部活が学校にとって負担だという話は20年以上前からあったもので、1996年4月~7月にかけて文部科学省(当時は文部省)が実施した全国調査「中学生・高校生のスポーツ活動に関する調査」(『運動部活動の在り方に関する調査研究報告書』(1997年))のなかにも同じような内容を見つけることができるといいます。(2018.01.02 Yahooニュース「学校から部活がなくなる? 完全外部化の是非」

 部活を外部に移行するという話も「開かれた学校づくり」の一環として模索され始め、2000年代後半に至ってようやく「社会体育」への移行というかたちで動き始めます。
 学校がいきなり部活動を放り出しても受け皿がありませんから、社会体育としてのスポーツ団体を立ち上げ、徐々に移行しながら最終的には社会体育に任せてしまおうという計画です。
 ところが始めてみるといきなり躓きます。そもそも組織が立ち上がらない、指導者になってくれる人がいなかったのです。

 現在のようにさまざまな制約が課せられる以前、部活指導は「朝7:00~8:00、午後16:30~18:30、休日は3時間まで」というのが基本でしたから、部活動を社会体育に移行する、あるいは外部指導者に来てもらったり外部委託にしたりするといった場合、その時間帯に活動できる人や組織を探さなくてはなりません。中途半端な時間帯で、普通の勤め人には対応できるものではない。
 話があと先になりますが、言うまでもなくバスケットボールやバレーボール、あるいは吹奏楽といった特殊な世界の指導ができることが前提です。十数年前の「社会体育への移行」はその点で大失敗をしてしまいました。

 

【社会体育への移行は、教師の大幅負担増を引き起こした】

 とりあえず地域は、当時、平成不況のためにかなりたくさんいた教採浪人(教員採用試験を受けるためにアルバイトをしながら試験勉強をしていた若者)に白羽の矢を立て、いくつかの社会体育団体を立ち上げました。もちろんすべての部活というわけにはいかず、都会の学校でも2~3の部で導入できたにすぎません。
 実際、教採浪人は各市町村に何百人もいたわけでなく、教育委員会から出される謝礼もスズメの涙ほどでしたから受け手も見つからなかったのです。

 実際の活動もまた中途半端でした。
 部員にとって活動の時間は変わりません。ただし朝部活は社会体育扱いなので教員は来なくてもいいということになり、午後も退勤時刻の17時までは教員がいるものの、あとは社会体育の講師が指導するという形を取ります。生徒からすれば「お手伝いのお兄ちゃんが来て、遅くまで熱心に指導してくれる」という感じだったのかもしれません。しかしそれも1~2年が限度でした。
 なにしろ教採浪人ですから翌年には合格してしまったり、講師として採用されたり、あるいは2回も3回も落ち続けて結局、別の進路に進んだりと、かなり早い段階でいなくなってしまったのです。

 代わりはそう簡単に見つかりません。しかし社会体育は存在する。
 運営組織として社会体育は部員の保護者たちが主体でしたが、困り切ったこの人たちはあろうことか学校の部活顧問に指導者を頼みに行ったのです。ほかに人がいない以上、やむを得ない措置でした。
 社会体育に指導者がなく、地域に候補者もなく、保護者に哀願されると教員は応じざるを得ません。受けなければ子どもたちを放り出すことになります。また(正直に言いますが)、むしろ積極的に呼応していった教員がいたのも事実です。

 チームを本当に強くしたい部活顧問たちはこの機を逃しませんでした。制度の趣旨の先取りをして学校から部活をなくし、あっという間に社会体育への移行を果たしてしてしまいます。
 どういうことかというと、放課後すぐに部員たちを下校させ、早い夕飯を摂らせたあとで改めて集合させるのです。社会体育は学校の活動ではありませんから校長の指導を受けることもありません。18時に始まった練習は、理屈上3時間でも4時間でも続けることができます。土日も制限なくできます。

 

【負けてもいいが子どもたちをなぶり者にされたくない】

 もちろんそこまで勝つことにこだわらない教師は真似をする必要はありません。しかし次第に過剰練習の波に飲み込まれて行きます。勝たなくてもいいのですが、なぶり者のされるような負け方はしたくないのです。

 野球の0-20(コールド)、バスケットボールの2-50、剣道・柔道の10秒一本負け。

 指導者の力量に差があり、練習量にも、個人の能力にも差があるとはいえ、同じ2年半を競技に捧げてきた部員たちが、コートで手も足も出ずに好き放題にされているのです。試合中であるにもかかわらず顧問に向けて繰り返し投げかけられる助けを求めるような視線――他のチームについて傍で目撃しただけですが、私は二度と忘れることはできません。
 他校が無制限の練習をしていると聞けば、応じざるを得ないのはそのためです。

 かくして部活の社会体育への移行は、無制限の教員の負担増となって戻って来ました。もちろん問題となって今は禁止されていますが、昨日お話しした「公立学校における働き方改革の推進(全体イメージ)」の③外部人材の配置支援と④部活動の見直しは、単に金を出して、どこかの学校が死ぬほど苦労して成し遂げた稀な成功例を示そうというだけのものです。安易に真似できるものではありませんから要注意です。

 断言しますが、学校から部活動をなくすことなどでできません。できても1~2の部活だけです。
 1日につき3時間、週6日の指導で生計の成り立つだけの指導料(例えば年収400万円の複数年保証)を払えばやる人も出てくるでしょうが、そんなことは不可能です。
 文科省の「善処します」を信じて部活の外部委託に期待するのは時間の無駄です。そんなことはやめて、今できることを要求していくしかありません。

(この稿、続く)