カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「世間知の学習 3」~最も大切な人生の知恵について考える編  

 どうしようもないバカ息子にキレて・・・
 しかしそれでも私の人生はうまく回る
 それとは別に
 この慌ただしい一週間の経験を通して
 一番大切な人生の知恵は こういうことだったと
 改めて思うことがあった

というお話。

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 【トボケた息子に父親がキレる】

 粗大ごみは直接持って行けば無料で処分してくれる。しかも処分場はアキュラのアパートのすぐ目の前だ。

 その素晴らしい情報を急いで報せ、
「今夜中に申し込んでください」
といった私の依頼を、アキュラは5日に渡って放置しました。その間二回ほど催促したのですが、
「今、歓迎会に出ているので帰ったら対応します」
「申し込んだら携帯からのWeb申し込みはできないそうです」
「仕事中で電話をかけることができませんでした」等々はかばかしくない。

 その結果5日目に申し込んだところ、
「土日ともすでに予約でいっぱいで別のところを紹介された。そちらは土日にやっていない。父に行ってもらってもいいんだけど、区民でないとだめだしなァ」

 私の中で何かがプチンと切れる音がしました。
 脳の血管かと思って一瞬心配しましたが切れたのは堪忍袋の緒で、以降15分に渡って電話口に向かってガンガン怒りの言葉を投げつけ、引っ越しが決まって以来、腹にため込んだ数十トンの怒りのマグマを吐き出したのです。
 アキュラをそんなふうに怒ったのは10年ぶりでした。

 オマエがしないからオレがやっているオマエの仕事に、
 オマエが不熱心で、不熱心のためにしでかしたオマエの不始末を
 尻拭いしているオレの仕事をオマエがあざ笑うとは何事だ
ということです。

 しかし怒りに任せて怒鳴り散らして電話は切ったものの、粗大ごみ問題は宙に浮いたままです。もう息子にやらせる分を残していたら何も進みません。幸い怒りのエネルギーは十分残っていましたからその勢いで処理センターに電話して、なんとか頼み込んで引き取ってもらうしかない、たとえベッド1台だけにしても・・・
 
 

【閉じた道の脇に道が見える】

 そう決心して電話した処理センターの女性は、事情を話してもケンモホロロで付け入る隙がありません。そんな申し入れは、これまでもいくらでもあったからでしょう。

「処分券を購入して家の前に出すという方法がありますが、回収日をお調べしましょうか」
 もちろんそのやり方は知っていますが、どうせ日にちが合うはずはありません。アキュラの不作為のためにタダで済む粗大ごみ処理を、数万円かけて業者に頼む不合理に茫然としながら、電話を切るのも失礼なので聞くともなく聞いていました。すると女性が小さく叫びます。
「Tさん(私のこと)、息子さんの地域の回収日、日曜日になっていますよ!」
 え?
 
 私はどこまでも運のいい人間です。家族が何回足を引っ張っても、そのつど道が見えてくる。日曜日の自宅前回収ならほとんど問題ない――。
 
 

【私は息子の育て方を間違ったのか】

 そのことを妻に話して愚痴ると、
「仕方ないじゃない、そういう子に私たちが育てたのだから」
と言います。
 そうだろうか?

 仕上がりを見れば確かに不出来で、作品の不出来は制作者の責任ということになるのが通例ですが、しかし私は責任をとりたくない。そんな子どもに育てるつもりはなかったからです。
 つもりはなかったのにそんなふうに育ってしまった――なぜか。

 野菜だったらそれは生産者の腕前だけでなく、天候や苗の問題もあります。
 料理を、レシピ通りグラム単位で測ってストップウォッチまで持ち出してつくって、それで味が悪かったら素材を疑うべきです。

 物の出来不出来は、制作者の腕だけで決まるわけではありません。特に子育てには絡む要素が多すぎて、制作者(親)の意図が十分に果たされることは稀なのです。
 思った通りに子は育たない――それが普通の姿で、そうである以上私が全責任を取ることはない!――と、妙に建設的な言い訳を考えながら、最後にたどり着いた答えは
「欠陥は多々あるものの、全体として自分はいい子育てをしたな」
と、自分自身とアキュラを受け入れなければならないということです

 私が過保護だからアキュラの自立性が不十分なのか、もともと自立性の乏しい因子を持って生まれてきたから親が過保護にならざるを得なかったのか、それは分からないことです。しかし過保護でなければ育たなかった“良き性格”だってきっとあるはずです。
 お坊ちゃま育ちですら人を妬んだり羨んだり、騙したり傷つけたり、追い詰めたりしません。それだけでも私の子として、十分、満足いく出来だとも言えます。

 足らぬところは、それを補ってくれる配偶者を見つけることで補ってもらいましょう。
 
 

【もっとも大切な人生の知恵】

 母に話を戻します。
 骨折をしたその晩に大病院の救急救命センターに行ったわけですが、そこにはさまざまな患者がいました。
 乳幼児にありがちな急な発熱のために来た人から、救急車で運ばれてきた瀕死の重病かもしれない人まで――対応で言えば小児科も外科も、消化器内科も脳外科も、ありとあらゆる病人が次から次へとやってきます。
 そこまですさまじい多様性は、救急救命センター以外に考えられません。

 そこでまず私の目を引いたのは、車椅子で受付に来た30歳前後と思われる女性です。体を前に折り曲げて今にも車椅子から堕ちてしまいそうです。もちろん手続きをしているのは本人ではなく、私と年恰好の似た初老の男性です。父親なのでしょう。
 手続きが終わると女性は車椅子も辛いようで、結局待合室のシートに横たわってしまうのですがそれを介助する父親の様子があまりにも落ち着いています。きっと初めてのことではないのでしょう。

 しばらくすると、驚いたことにまったく同じ年頃の女性が再び車椅子でやってきます。背後に立つのは、今度は夫婦です。

 私の娘のシーナも30歳が目前に見えてきましたが、手元を離れて10年、結婚して5年です。過保護の私が背後にいるとはいえ、一義的にシーナを保護すべきは夫のエージュです。
 しかしシーナが私の元にもどりエージュもなくて、しかも今、車椅子で私がここに運びこんでいるとしたら、
「それはかなり辛いな」
と思いました。

 他人の困難を見てわが身の幸福を確認するというのは後ろめたい行為ですが、救急の父娘が私たちとほぼ同じ年齢であることを考えると、思わず重ね合わさざるをえなくなるのです。

 良いも悪いも、優れるも劣れるも、すべて等身大の自分や家族を受け入れ、手に入らなかったものを数えるのではなく、今、手の中にあるものを数えて大事に握り閉めて生きる――。

 この一週間の慌ただしい経験を通して、一番大切な人生の知恵はそういうことだと改めて確認しました。

                                                            (この稿、終了)