カイト・カフェ

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「最後に頼りになるのは、苦しさを共有し、支え合う仲間」~年度の下半期をどう過ごすか

これといった行事のほとんどない下半期、
子どもの意識も活動もボンヤリと遠くへ行ってしまう。
しかし待て、こんな時期でもできることがある。
こんな時期にしかできないこともあるのだ。
という話。(写真:フォトAC)

【年度の下半期をどう過ごすか】

 昨日もお話ししましたが今日9月30日で令和4年度の上半期が終わり、明日から下半期となります。今年度の折り返しです。中学校では一斉の衣替えがあったりして気分を一新するにふさわしい時とも言えます。
 ただし小学校ではまだ運動会や音楽会が残っているところがあり、中学校でも文化祭がたけなわ。部活動の新人戦も上位大会に勝ち進んだチームはまだまだ気が抜けません。慌ただしい日が続きます。
 しかしそれらが終わってふっと気づくと、あとにはほとんど何も残っていません。学校全体、あるいは学年ひとつになって取り組む諸行事が一段落して、この先3月まで、あるのは受験と卒業式くらいのものです。それも最高学年だけの話です。
 
 一方、先生たちはどうかというと、実は気が休まるどころではないのです。「研究の秋」とか言って研究授業・公開授業が11月末まで目白押しですから、ある意味一年中で一番、浮ついている時期とも言えます。
 先生たちは授業研究で死ぬほど忙しいというのに子どもたちは野放し状態、それでうまくいくわけがありません。だから「魔の11月」が来るのです。

【行事の目標の大きなひとつは仲間づくり】

 ところで今日まで子どもたちを走らせてきた学校行事とか学年行事とかいったものは、学校においてどういう役割を担っているか、ご存知ですか? 実はそれは世間一般や子どもたち自身が思っているようなお楽しみのためのものではないのです。各行事にははっきりとした教育目標があり、それを実現するために細かな計画が立てられているのです。
 
 例えば修学旅行なら、
 (目標)
(1) 普段生活している地域を離れ,日本国内の他の地域についての見聞を広める。
(2) 特に歴史・文学の既習事項について,関連する地域に実際に行き,理解を深める。
(3) 公衆道徳について,体験を通して,よりよい在り方について学習する。
(4) 集団活動のよりよい在り方について,活動・体験を通して学習する。
 
 (1)~(3)の知識に関わる部分だけだったら普段の社会科や国語、あるいは道徳の時間にしっかりと力をつけ、あとは現地で確認すればいいだけです。しかし最後の集団活動はそういうわけにはいきません。事前にきちんとした班編成をし、係活動を確認し、場合によっては事前訓練もしておかなくてはなりません。

 キャンプだったら、飯盒炊爨の練習を一度はしておかないと当日食いっぱぐれます。運動会の係活動も、事前の練習をしておかなければドベの子に1位の等旗を渡してしまったり、綱引きの綱が出て来なかったりするでしょう。 
 そうした事前学習や訓練は、行事の当日をつつがなく送るためであるのと同時に、行事に向けてどう協力していくかという学びでもあるのです。どれひとつとっても自分の立場や仕事に関する深い知識と自覚がなければ始められず、互いに協力し合わないと成立しないからです。

 みんなで常に自己の立場と責任を考え、どう協力できるか考え続ける――。だから学校生活の背景に「修学旅行のために」「運動会のために」といった「~のために」の雰囲気が漂っている間は学級が荒れにくく、子どもたちも荒みにくいのです。学級という本来は「同じ地域に住む同い年の子」という以外の何の共通点も目的意識もない子どもたちが、しばらくのあいだ目的集団としてまとまっているからです。
 そこに年度下半期をどう過ごすかのヒントがあります。

【最後に頼りになるのは、苦しさを共有し、支え合う仲間】

 受験を控えた最高学年には独特のやり易ささがあります。
 私は凡庸な教師でしたので一人ひとりが別の受験会場に向かう入試では、個の力が試されると考え、独りぼっちでも戦える受験戦士を育てようと考えていました。しかし同じ時間を、「受験は団体戦だ」とばかりに集団として乗り切ろうと考えている教師たちもいたのです。
 
 昔は「隣りの仲間を引きずり降ろすくらいのつもりで頑張れ」とか言いましたが、今は違います。いわば「隣りのヤツを持ち上げて、その勢いで自分も引き上げてもらおう」とそんな感じになります。
 互いに教え合ったり、仲間の学習の進度を確認して励まし合ったり、喜びや苦しみを共有するように仕向けるのです。夜、ひとりで勉強しているときも、
 「あいつも今、きっと頑張っているのだからオレもがんばろう」
   そうした意識だけが苦しい学習を支えます。
   
 ではそれより下の学年はどうしたらよいのか――。これには簡単な説明があります。
 1年後、あるいは2年後、自分たちがそういう目的集団になれるような活動を重ねればいいのです。その意味では秋の読書週間だとかキャリア教育だとか、はたまた総合的な学習の時間だとか、あるいは細かな行事の準備だとかで集団性を高める活動をすればいいのです。
 
 私はかつて「『3年生を送る会』で3年生を泣かせる」を目標に、細部までこだわった計画づくりをした2年生を見たことがあります。それは見事な活動ぶりでした。この学年は翌年、性懲りもせず「バスガイドさんを感動で泣かせる修学旅行」をもくろんでこれも成功させています。
 それぞれ面白がっての活動でしたが、担任のほんとうのもくろみは最後の年に「苦しい受験をみんなで支え合って戦える集団」づくりであったと、今なら分かります。