カイト・カフェ

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「シンギュラリティって信じられて?」〜2030年の世界 2

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   新指導要領が前提としている2030年の世界では、私たち凡人は生きて行けないだろうというお話をしました。
中央教育審議会 初等中等教育分科会 初等中等教育分科会 配布資料『2030年の社会と子供たちの未来』平成27年9月14日」(以下「2030年の社会と子供たちの未来」)が描く未来は、例えばこのようなものです。
 子供たちが将来就くことになる職業の在り方についても、技術革新等の影響により大きく変化することになると予測されている。子供たちの65%は将来、今は存在していない職業に就くとの予測や、今後10年〜20年程度で、半数近くの仕事が自動化される可能性が高いなどの予測がある。また、2045年には人工知能が人類を越える「シンギュラリティ」に到達するという指摘もある。
 しかしそんな時代は本当に来るのでしょうか。
 来たらこうなるだろうという方向と、来ないだろうという二つの方向から、考えてみたいと思います。とりあえず「シンギュラリティ」です。

 私は教育に関して不用意に提示されるこうした外国語について、非常に神経質になります。欧米からもたらされるものを何でもありがたがる時代ではないと思うのですが、それでもいきなり出されると腰が引けてしまうのは悪い癖です。
 しかしとりあえず、恐る恐る、しっかり調べてみましょう。

【シンギュラリティ=信じられて?】

「シンギュラリティ」はWikipediaでは「技術的特異点」という日本語の項目で出ています。
 それによると、
 技術的特異点は、汎用人工知能(en:artificial general intelligence AGI)、あるいは「強い人工知能」や人間の知能増幅が可能となったときに起こるとされている出来事であり、ひとたび優れた知性が創造された後、再帰的に更に優れた知性が創造され、人間の想像力が及ばない超越的な知性が誕生するという仮説である。

 案外わかりやすい概念でした。

 人工知能が人間の能力を超えた瞬間から技術開発は人間の手から人工知能へと移される、その転換点が技術的特異点(シンギュラリティ)なのです。
 人間を越えた存在(人工知能)が出現した以上、もう人間が技術開発に携わる必要はない、自分自身を改良し進化することのできる人工知能が、1秒間に1京(けい:1のうしろに0が16個もつく)を越える計算能力で休みなく働くと、核分裂のように次々と新しい技術が生み出され、核爆発的な技術革新を遂げるという話です。

 例えて言えば電気通信で、電信から電話へ、電話からケータイへ、スマートフォンへと、人類が100年もかけて行ってきた進化を計算によって一気に行い、「スマートフォン」といった結果を出してくるようなものです。明治の人にスマホが予測できなかったように、シンギュラリティのあとで何が起こるのかはだれにも分からない、そのことを「2030年の社会と子供たちの未来」は、
 これまでの人類の傾向に基づいた人類技術の進歩予測は通用しなくなると考えられている
と表現しています。しかもそれはわずか27年後の2045年に起こるというのです。

【知的職業のほとんどがなくなる】

 ここでとりあえず明らかなことは、シンギュラリティのあとは科学技術者のほとんどが不要になるということです。人工知能がやってしまうわけですから。
 それが、
 子供たちが将来就くことになる職業の在り方についても、技術革新等の影響により大きく変化することになると予測されている
のひとつの意味です。

 シンギュラリティを信じれば、職を失うのは科学技術者に留まらないでしょう。

 例えば医療技術が爆発的に進化すれば外科医も不要になる、世界中の手術データが一か所に集められ、神の手をもった人間医師の技術が人工知能によって正確に模倣されます。新しい症例については人工知能が自身で検討して施術を行い、うまくいけば成功例としてデータベースに蓄積され、失敗例は教訓としてやはり記録される、そうこうしているうちに新しい機器が人工知能の発明品としてもたらされさらに進歩するといった具合です。外科医の入り込む隙間がない。

 企画や戦略といったことはこれまでコンピュータの不得意な分野とされてきましたが、シンギュラリティのあとではむしろ得意な分野となります。人工知能は“常識”に縛られませんからありとあらゆる可能性にあたり、しかもすさまじい速さで計算しますから人間の比ではないのです。

 例えば軍事的な戦略についてもあっという間に数千パターンを考え出し、そのすべてについてシミュレーションしてもっとも効率のよい作戦を紡ぎ出します。基礎となるデータが足りなければ自らハッキングして敵の情報を抜き出し、あるいは必要な個所にドローンを飛ばし、衛星写真の横取りし、さらにあるいは個人のスマートフォンに忍び込んで所有者をスパイに仕立て分析に回します。したがって軍事の専門家も少なくて済みますし、作戦による人的消耗も最小限に抑えられますから兵士自体が極限まで減らされます。

 芸術は――少なくともシンギュラティのあとは「売れる音楽」や「売れる絵画」は人工知能が増産するようになります。人間の好みと作品のパターンとを分析し尽くせば、どんな音楽が心地よく響き、どんな絵画が人に好まれるかはすぐに理解され模倣されます。
 もちろん現在活躍している一流の芸術家たちは仕事を失うことはありません。しかし若い芸術家は育ちません。21世紀のピカソキュビズムにたどり着く前に画業を放棄しなくてはならないし、21世紀のベートーベンは第九を作曲するはるか以前に作曲家をやめています。なにしろ生活していけないのですから。

 さらにそうこうしているうちに、人工知能は個性や独創性も学び始めます。
 個性・独創性といってもしょせん「価値ある偏向」ですから、偏向の様式を学び、少し冒険をすれば今までと違った作品を生み出すことができます。それに価値があるかどうかは購入者が決めることです。
 「価値」が認められれば高値で取引され、その金額が「数値化された価値」としてデータベースに記録されます。

 シンギュラリティのあとの人工知能は「人間をはるかに越えた『知能』」なわけですから、知的職業の大部分が人間の手から奪われてしまうのは当然の帰結です。

【普通の仕事の行方】

 では、そこまで知的でない仕事はどうか――。それについて「2030年の社会と子供たちの未来」は、「そんなのもっと早くなくなっちゃうよ」といった書き方をしています。
 今後10年〜20年程度で、半数近くの仕事が自動化される可能性が高い

 考えられるのは現在も進んでいる生産ラインのロボット化、建設現場における大型ロボット・工作機械の導入、飲食店ではソフトバンクのPepperのような人型ロボットが接客するといったふうです。いずれも汎用ロボットではなく、専用でいいのですからさほど大変ではないでしょう。

  運送も、一人のドライバーが数台のトラックを引き連れて走る実験が行われていますが、40年前の映画「コンボイ」コンボイ=本来は護送船団のこと。アメリカではしばしばトラックの大集団もそう呼んだ)のような大トラック集団をひとりで率いる時代も、もう間近なのかもしれません。

【新しい仕事の創設】

 そうなると2030年、あるいは2045年に人間がやっている仕事というのにはどんなものがあるのでしょう。
(真っ先に頭に浮かんだ“教師”というのは横に置いておいて)「2030年の社会と子供たちの未来」には、
子供たちの65%は将来、今は存在していない職業に就く
とありますが、ほんとうにそんなにたくさんの新しい職業が生まれるものかどうか。

  もしかしたら今の日本には見られなくなった「乞食」といった仕事も復活するのかもしれません。いずれにしろ、私の子や孫や教え子の生きて行く場はグンと狭まってしまいそうです。

(この稿、続く)