カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「オマエ、近づきすぎじゃないか?」〜スズメの話①

 ブリューゲルの「バベルの塔」を見るついでに、もうひとつ美術展を見ておこうと計画したのが国立西洋美術館「アルチンボルド展」。ところが何たる調査不足、上野公園の入り口のチケットセンターで入場券を買おうとしたらこれが20日(本日)からの開催なのです。

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 しかたないので木陰に場所を移し、ネット検索で再検討です。 ――と座った石囲いで隣を見ると、そこになんとスズメがいるのです。写真では一羽だけですが実際には三羽、入れ代わり立ち代わり私の隣で行ったり来たりしているのです。  半世紀をはるかに上回る年月を生きてきて、さらには子どものころ数百羽のスズメが飛び回る環境の中で育った私にして、初めて見る光景です。  手の届くところにスズメがいて写真撮影ができる、何たる無防備! 何たる人懐っこさ! 何たる野生の欠如!  ほんとうにびっくりしました。

 

【近づく生き物、遠ざかるもの】

 そう言えば中国の人たちは、同じ上野公園でハトに囲まれるととても妙な気持ちになるそうです。中国ではハトは絶対に人間に近づかない(食べられちゃうから)。

 更についでですが明治10年(1877)、東京で大森貝塚を発見・発掘したアメリカ人動物学者、エドワード・モース回顧録「Japan Day by Day」(ちなみに私のこのブログは、昔「デイ・バイ・デイ」というタイトルでした)で次のように書いています。

 先日の朝、私は窓の下にいる犬に石をぶつけた。犬は自分の横を過ぎて行く石を見た丈(だけ)で、恐怖の念は更に示さなかった。そこでもう一つ石を投げると、今度は脚の間を抜けたが、それでも犬は只(ただ)不思議そうに石を見る丈で、平気な顔をしていた。その後往来で別の犬に出喰わしたので、態々(わざわざ)しゃがんで石を拾い、犬めがけて投げたが、逃げもせず、私に向って牙をむき出しもせず、単に横を飛んで行く石を見詰めるだけであった。私は子供の時から、犬というものは、人間が石を拾う動作をしただけでも後じさりをするか、逃げ出しかするということを見て来た。今ここに書いたような経験によると、日本人は猫や犬が顔を出しさえすれば石をぶつけたりしないのである。

 つまり昔のアメリカ人は、猫や犬が顔を出しさえすれば石をぶつけたのです。アメリカの犬は人間をそういうものだと学習しました。
 しかしひどい目に遭った犬が個体として人間の危険性を学習したとしても、アメリカの犬がことごとく逃げ出すとなるとどうなのでしょう?

 むろん「アメリカではほとんどすべての犬がひどい目に遭っている」というのが一番わかりやすい説明です。
 あるいは犬がまだ小さく、親と一緒に行動している時期に親の動きからそれを学んだのかもしれません。それも一つの答えです。頭の良い犬ならそういうこともありそうです。
 けれどハトという、本当にちっぽけな脳しか持たない小動物が、どうやってそれを学習したのか、これはちょっとした謎です。

 私は自然科学にはトンと無知で、かつてスズメバチの巣を退治するのに目立たぬよう黒ずくめの服装で出かけようとして、給食調理員のおばさんたちに呆れられたことがあります。私の脳も小さいのかもしれませんが、ハトよりさらに小さな脳しか持たないハチは、どうやって「黒い生き物が来たら襲うこと」を覚えたのか、これも不思議です。

――と上野公園の入り口の石囲いされた樹の陰でボンヤリと考えていた私は、そのあととんでもないことに気づきます。

 そう言えばここ何年もスズメの群れを見た記憶がない・・・。

(この稿、続く)