「若き教員の皆様へ」

 このブログの元となった原稿は2005年の4月から当時勤務していた学校で書き始めたものです。ただしネット上にブログとしてアップし始めたのは2006年11月の中旬からで、つまりおよそ1年半のブランクがあったわけです(そのあたりの事情については「おやおやおや」 - エデュズ・カフェに書きました)。
 その1年半分については退職後順次アップしてきたのですが、何しろ一度書いた文というのは気持ちが離れてしまったものなので本当に面倒くさく、しかも2006年11月以降のものと違って公開を考慮していないので脇が甘すぎる、書き換えなければならない、ということでずいぶん時間がかかっていました。
 今回、冬で畑仕事ができないこともあって時間に余裕ができてようやく重い腰を上げ、ついに全体をつなげることができました。

【結局、仕事は楽しかった】

 そうやって過去の文章をあれこれ書き替えながら丁寧に見て来ると、何やかや不満を言っても結局仕事は楽しかった、喜んでやっていたな、ということが思い知らされます。
 もちろん学校勤務の大変さは今も昔も変わりありません。
 国や県からくる指示・指導にはときに不合理なものがあり、不登校がニュースになれば調査、体罰が問題になれば調査、研修、そして報告と、本来の教育活動以外のところで慌ただしいのも今と同じです。
 その間も学校行事は目白押しで総合的な学習の時間の設定など、対外的な仕事も少なくありません。もちろん教科指導はきちんと行わなくてはなりません。そして子どもは予想外の時に予想外の問題を起こし、保護者の一部はしばしば聞き分けのない駄々っ子だったりします。
 しかしやりがいはあった――。
 もう十分にベテランと言っていい年でしたから、事件事故が起きてもいちいち不安にならずに何とか凌げるようにもなっていました。すると思いっきり力を発揮できる部分も見えたりします。
 アップした文章を書き始めた当時は単身赴任で時間は自由に使えましたので、朝は4時に起きて4時半までに出勤し(宿舎から学校までは5分)、夜は9時に退勤して10時には寝るという16.5時間勤務生活でした。しかしそれは面白がってやっていたのであり、初夏のころは朝強い日差しの中で一仕事を終え、一服つけても誰も出勤してこない(当たり前です、まだ午前6時ですから)、厳冬期は真っ暗な道を出勤して「なんて立派な教師なんだ、真っ暗な時刻から仕事して!」と自分自身に感動し毎日を面白がって送る――その様子が当時書いた文章にもあふれています。

【若き教員の皆さん】

 どんな仕事も同じでしょうが、10年間真面目に真剣に頑張れば何とか自分のものになるはずです。たいていのことは不安なく、問題なく対応できるようになります。
 さらに10年頑張ると、ほとんどのことが楽しく面白くなります。力が発揮できるときです。
 教員の場合さらに言えることは、保護者の年齢を越えるとさまざまなことが各段に楽になります。これは間違いありません。この世界、若いというのは決して得なことではありません。
――できれば結婚して、子どもを持っていると何かと便利です。
「先生はお子さんがいらっしゃらないから分からないのです」というのは理不尽な訴えで、
「子どもなんかなくても、こっちの方がよほどお前んところの子どもを愛しとる!」と言ってかまわないような先生はたくさんいます。それくらい皆さん真剣に仕事をしておられます。
 しかし実際に「子どもがいないから分からないこと」もあるのであって、その代表は“親らしい理不尽な気持ち”そのものです。ほんとうにやりきれないほど理不尽になることがあるのです。それを知っているだけでも、少しは保護者に優しくなれます。
 またそもそも子どもがいれば、「先生はお子さんがいらっしゃらないので・・・」といった訴えを最初から遮断することができます。

 今、教員としての人生の緒に着いて、ほんとうに苦しく辛い思いをしている先生方(それは30数年前の私自身なのですが)、大丈夫です。必ずこの世界は面白くなります。私がそうだったのですから。