「昭和歌謡とオタクが世界を救う」②

 いつだったか路上の外国人に日本の感想を聞くテレビ番組で、気の弱そうなフランス人の男の子が、
「ボクはシャイで引っ込み思案だから、日本の生活がよく合うんです」
と言うのを見たことがあります。私はテレビのこちら側で、今流の言い方で言えば「禿同!」という感じで激しく頷いていました。
 そうだろ、そうだろ、欧米人にだってシャイなヤツもいればネガティブなヤツもいる、ナイーブな人間もいれば寂しがり屋だっているはずじゃないか(なのに何で現実に見かける欧米人はあんなに明るいんだ?)ということです。

 アメリカン・ポップスの動向なんてさっぱりわかりませんが、たまに目にすると女性はすべてセクシー・ダイナマイト(この言葉は私世代でも古いが)、どんなに歌がうまくても――と言うか「歌がうまいんだから、あとはどうでもいいじゃないか」と思うのですが、どうやらセクシーでないと成功できないらしい。そしてそのあられもない姿でガンガン押してくる。
 男性歌手はすべからく黒人で(白人もいるかも知れない)、シャウトするかラップするか(薄い皮膜で包むことではない)で、ほかの歌唱法は見たことがない。
 そういえば私の数少ない欧米人体験(ALT《外国語指導助手》とか保護者とか)からしても欧米人、特にアメリカ人に暗い人はいない。まるで明るく快活であることを強制されているかのようにみんな陽気であけっぴろげです。でも人間ですから、それがすべてではないでしょう。 アメリカ人にだってヨーロッパ人にだってきっと明るくない人はいます。彼らはどこでどのようにして自己表現をしているのでしょう? どこで暮らしているのでしょう?
――そこで思いついたのがオタク文化です。

 いまや日本のオタク文化は世界を席巻しているかのように言われますが、そんなことはありません。ポケモンGOが大ヒットし、安倍総理スーパーマリオに扮して、フランスのジャパンエキスポで25万人が集まろうが、サブ・カルチャーはあくまでもサブ・カルチャー、中でも“オタク文化”はさらに特殊な一部だからです。
 日本にきて渋谷あたりを平気でセーラームーンに扮して歩いているような外国の女の子も、本国では絶対にそんなことはしません。日本だからできるのです。
 それどころか母国では日本のアニメが好きだというだけで白い目で見られたりします。それだけならまだしも、時にはいじめられることだってあある、そもそもティーンエイジャーにもなってマンガを見ていること自体が異常者扱いなのです。

 日本でも1989年の宮崎勤事件で初めてその存在が知られたとき、「オタク」はかなり胡散臭く不気味な人たちでした。今で言う“キモイ”存在だったのです。それが長い年月の間にようやく社会的に認められ、一部の商業主義者によって利用されるようになりました。しかしだからと言って表社会で全面的に受け入れられているわけでもありません。
 隠れキリシタンのように隠す必要もありませんが、社会人になってもアニメやコスプレが趣味だと公言するのはやはりはばかられます。“オタク文化”というのは、結局は日本のサブ・カルチャーを媒介とした「集団一人遊び」だからです。集団の中にはいるが決して和したりしない、その意味で非社会的あるいは反社会的な存在なのです。

 現在、外国人で日本のサブ・カルチャーに染まっているような人間は基本的に“オタク”です。徹底した個人主義と自己主張に馴染まない異端者が「セーラームーン」や「ナルト」を通して国際的な「集団一人遊び」に加わろうとしているのです。そして日本にはそうした孤独者を受け入れる包容力があります。
 というか、個人主義に徹底して自己主張に厳しく、強く明るいアメリカ、アメリカしたアメリカ人やフランス、フランスしたフランス人よりは、弱くナイーブな欧米人たちの方が、よほど受け入れやすいのです。

(この稿、続く)