カイト・カフェ

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「不審者もどきの話」~不審者と見まごう人々、不審者と間違えられそうな私

 先日の担当者会で警察の方から、「そろそろ防犯教室も校舎への不審者侵入から路上の声かけ事案にシフトしていきたい」といったお話がありました。全くその通りだと思います。池田小学校のような事件はあれ以来起っていませんし、声かけ事案や路上での痴漢被害、連れ去りは繰り返し起っているからです。また現実問題として、声かけ問題には、なかなか厄介な面もあります。

 数年前のこと、保護者の一人から電話があって「娘の同級生が不審者に会い、助けを求めてきたため今、車に保護している」とのことです。慌てて職員室の数人と現場に行くと、5年生の女の子が二人、ワゴン車の後部座席で丸まって震えていました。電話をくれたお母さんは二人の子をかばうように運転席から睨みを利かせています。中に入れてもらって話を聞くと、
「幹線から細い路地に入ってしばらく行くと、向こうから走ってきた軽トラックが二人の横で停止し、運転席の男が助手席越しに体を乗り出してきて窓を開け、何かを言ってきそうな様子だったので慌てて逃げてきた」とのことです。不審者というにはあまりにも平凡な風景です。
 そこでどんな人だった、と聞くと、
「お爺ちゃんだった。青い帽子をかぶって・・・○○ちゃんのお祖父ちゃんそっくりだった」
「その○○ちゃんのウチはどこなの」と尋ねると、××保育園のすぐそばとのこと。それは現場から100mほど先の地点です。
「もう一度。その軽トラを運転していた人、どんな人だった」「○○ちゃんのお祖父ちゃんそっくりだった」
 そりゃ○○ちゃんのお祖父ちゃんだろ。

 窓を開けて声をかけようとした程度では事件性はないので「警察に連絡するほどのこともなさそうなので、私たちでこの子を家まで送りましょう」というと“保護”してくださったお母さんが納得しない。そこで現場から○○ちゃんの家へ電話をかけ、“お祖父ちゃん”と話をしようとしたところ、ついさっき出かけたばかりという。ますます怪しいのですがしかたないので、結局私たちで歩いて送ることにしました。のちに確認するとやはりそのお祖父ちゃんでした。

 あるとき河川敷を車で走っていたら急な通り雨で、あたりが土砂降りになってしまいました。見ると数十メートル先を若い女性がバッグを頭にかざしながら歩いています。私の車にはひとにあげていいようなビニル傘が一本入っています。しかし車を停めて声をかける勇気がない。警察沙汰になって時間を取られるのもかなわない・・・停めようかどうか迷っているうちに車は女性の横を走り抜け、今さら引き返したらかえって怪しまれそうなので諦めました。

 また別のあるとき、忘年会に向かう道路で道に迷ってしまい(というかそもそもその場所を把握していなかった)、あちこち走り回って探すうちに、人通りのない丘の中腹で女子高校生三人組に出会いました。昔だったら横付けで場所を教えてもらうところですが、今はそういうわけにはいきません。50m近くもやり過ごしてウサイン・ボルトでも追いつけない距離まで離れ、そこで車を降りて大声で道を尋ねることになります。内心“ばかげたことを”と思わないわけではありませんが、不審者と間違われ警察でも呼ばれたら大変です。
 しかしどう考えてもこんな世の中、間違っていませんか?

 日本は現在でも世界でもっとも安全な国です。不埒な気持ちから女の子に声をかける人より、普通に道を聞きたかったり親切がしたくて声をかける人の方が何百倍も多いのです。

 大切なのは声をかけられたら身構えたり逃げるのではなく、適切な距離をきちんと取って話のできること、不信感を前提とするのではなく、信頼を基調としてその上できちんと対処できる子、そういう子の育成こそ大切なはずです。親御さんだって、常に社会に敵愾心を燃やす子など、育てたくはないはずだと思うのですが。