カイト・カフェ

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「だから日本はダメなんだ」~日本はどこまで遅れているのかの検証①

 先日のあるニュース・バラエティで朝日新聞が取り上げられ、「朝日は一貫して日本を貶めるような報道を続けた」ということで盛り上がっていました。
 反対はしません。しかし「日本を貶めた」のは一人朝日新聞だけでなく、つい数年前まで、テレビや雑誌に顔を出す“知識人”たちはほとんど全員が、“日本を貶める”ことで生計を立てていたはずです。その極めゼリフはこれです。
「そんなことをやっているのは日本人だけです」
「こんなことだから世界に笑われるのです」

 この場合ほんとうに「そんなことをやっているのは日本人だけ」なのか実際に「世界から笑われ」ているかどうかは問題になりません。私たち庶民はそれを確認できるほど世界を知っているわけではないからです。留学や海外研修で外国事情に詳しい人からそう言えば黙っているしかない、しかしそれにしても胡散臭いことだとずっと思っていました。

 19年前のある夜、私は“いじめ”をテーマとするシンポジウムの会場にいました。その前年、大河内清輝君のいじめ自殺事件が起こり、世はいじめ批判・学校批判に沸騰していたのです。その会場で、観客席からこんな発言がありました。
「“いじめ”というのが外国にあるのか調べたところどうやっても見つからない。どうやら日本特有の現象らしい。やっと見つけたいじめ事件は海外の日本人学校のものだったという、笑えない事件があっただけだ」
 私は瞬間的に「それは違うだろう」と思いました。排斥や統合、闘争といった極めて動物的な 活動をともなう“いじめ”が、日本の文化圏にしかないというのは信じがたい話です。けれど有効な反論が思い浮かばないうちに話は先に行ってしまい、結局なにかを言う機会を失ってしまったのです。あとから考えたら児童小説なら「クオレ」や「小公女」、映画なら「果てのない物語」や「キャリー」など、“いじめ”場面が出てくる作品はいくらでもあったはずです。
 あのとき思い出していれば、あんなくだらない意見は簡単にひねりつぶせたものをと、ずいぶんホゾを噛んだものです。

 以来、私は「そんなことをやっているのは日本人だけです」「こんなことだから世界に笑われるんです」といった話が出るたびに、可能な限り調べるようになりました。OECDPISAで「日本は成績はいいが数学や理科を楽しいと感じている児童生徒は少ない」とか、東大でさえ「大学世界ランキング20傑」に入っていないと言ったことに対する反論は、そうして用意したものです。 
 ところが「日本を悪く言うことが知識人の基本的姿勢」という状況は、ある日を境に突然変化します。2011年3月11日です。

 震災における日本人の勇気・沈着、不屈と不倒、礼節と協力――ありとあらゆる道徳性が世界に紹介され絶賛されるにいたって、初めて知識人たちは「日本を貶める」ことをやめ始めたのです。「そんなことをしているのは日本だけ」だからダメなのではなく、だから素晴らしいということになったのです。 
 しかしそれでバランスの取れた報道をするようになったのかというと、必ずしもそうではありません。
 現在、書店に行くと新刊の陳列棚は、いかに日本が優れていて世界に絶賛されているかというものと嫌韓・嫌中の書籍でいっぱいです。これもいかがなものか。
 さらに細かく見ていくと、いまだに、何の事実も検証もないのに「だから日本はダメなのだ」と暗に言っている部分がいくらでもあります。「教育」はその代表的な部門です。

(この稿、続く)