なぜだろう

 むかし勤めていた小学校にウコッケイがいたのですが、まさに「尾羽打ち枯らした」という形容がぴったりの年寄りで、子どもたちがいくら世話をしたところでタマゴなど産むはずのない鶏でした。ほんとうは若い鶏を追加したいのですが、鶏というのは縄張り意識が強く、新たに入れた鶏はイジメ殺されてしまいます。

 せっかく世話をしているのだから子どもたちに毎朝タマゴを採集する喜びを味合わせたい、と願った校長先生は、ある日、私にこんなことを言ったのです。

「二人で、ナイショで、絞めちゃいましょうか」

 もちろん冗談です。しかしその翌日から、ウコッケイは必死にタマゴを産み始めました。

 それより昔ですが、私の自宅の柿の木が、アメシロなどで手間がかかる割にはさっぱり実をつけず、そこでもう諦めて秋には切り倒してしまおうと、そんな相談をしていたら突然大量の実をつけるようになり、木は今も生きながらえています。

 不登校の指導が行き詰って、もうダメだ、今までの方法を変えて本格的に手を入れ直そうと決心した翌日、突然その子がひょっこり登校してくることがあります。

 ハードな生徒指導を強いられて、もう限界だ、ここから先は警察の仕事だと思った次の瞬間に、生徒が突然大人しくなってしまうことがあります。

そこで「しばらく様子を見てみよう」ということになりますが、ウコッケイや柿と違って人間は何の理由もなしに突然変わったりしません。結局もとに戻ってしまいます。

 このことは指導の側から見ると一手も二手も遅れたことになります。一度ついた勢いが殺がれ、やり直しに時間がかかり、結局問題を複雑にしたり困難にしたりしてしまいます。

 しかしそれにしても、ウコッケイも柿も不登校の子も非行少年も、なぜその瞬間に反応できたのでしょう?