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「学校林の話」~学校の所有する森林がある意味

 学校林を持つ学校というは本校で2校目です。平地の学校ばかりに勤務していたので、前々任校(K市N小学校)で初めて経験しました。しかし本校には学校林作業というものがまったくなく、不思議に思って市に問い合わせ、地図上で確認したことがあります。

 ところが呆れたことにN小の学校林はこまごまと五箇所に分かれており、いずれも山の傾斜地でとても入れるところではない上に、そのうちの一つは50kmも離れたS市内にあったのです。

 事情を良く知る古老に聞くと、戦後間もない時期、深刻な燃料不足に困った市が地区に命じて学校林を手に入れるよう指導したというのです。どうせ山の中の学校ばかりだから簡単に手に入ると思ったのかもしれません。しかしそんな単純なものではありませんでした。

 N小の近くのA小やB小は地区自体が山林を持っていましたからそれをそのまま学校林にしましたが、新開地のN小にはそのようなものがなく、困った住民は金を出し合ってとにかく安い土地をつまむように買い集め、指示された広さの学校林を用意したのです。それが使えない5箇所です。

 もともと薪集めが目的だった学校林は、すぐに役目を失ってしまいます。ストーブの中心が安い石炭ストーブで占められてしまったからです。そのまま忘れ去られるはずでした。ところがそのあと、とんでもない学校差が生まれます。近くに別荘地が出現し、巨大なゴルフ場がいくつも造成されると、その一部がA小やB小の学校林に引っかかり、以後両校には膨大な借地料が入るようになったのです。羨ましかったですね、これは。

 さて本校の学校林ですが、「記念誌」を見ると昭和5年、校舎新築記念事業の「記念設備費繰り出し方法」に「一百五十円 学林の間伐及び下刈純益より」とあるのが初出です。
 昭和7年には本校初の修学旅行が行われますが、その際も「学林手入費昨年分手入れ請求、本年分合算計三十円を児童補助にあつること」とありますから、学校林に間伐や下草刈りの仕事に出るとお金がもらえたようです。おそらく村は児童が手入れをした学校林の木を売り、学校の運営費に当てたのでしょう。そしてその一部を直接学校に渡したに違いありません。
 もっともこのときの「新校舎」はD地区に建てられたものですから、学校林もその近くにあったのと思われます。

「記念誌」における学校林(学林)の記載はこれ以後2〜3あるだけで、戦後それがどうなったか分かりません。ところが校内にある「学校林経営計画書(自 昭和39年―至 昭和43年)」を見るとこんな事実が分かってきます。
「従来から学校林といわれる山林はあったが、その経営は村で行ってきた。従って学校林とは名目のみで、教育の面に充分活用することはできなかった。このような実情から、実質的な学校林設置の話合いが進められ、前記村有林の広葉樹伐採跡地に決定をみて、昭和39年から事業に着手し、その後学校林設営条例の制定等を経て今日に至っている」

 本校が現在の場所に建てられたのは昭和44年のことです(その際R分校とY分校が閉鎖されます)。つまりその統合新校舎新築落成を期して、現在の学校林が新たに決められ整備されたのです。

 また上の文にある「学校林設営条例」には次のような一文があります。
「(目的)第1条 T小学校に学校林を置き地域産業振興教育と併せて学校基本財産の造成を図るを以って目的とする」
 すなわち学校林設置は地域産業振興教育(この場合は特に林業に関する教育)を中心的目的とし、財産として利用することがもくろまれているのです。

 実際には殆ど利益を生み出さない学校林ですが、将来的には何かの可能性があるのかもしれません。