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「そのままでいいんだよ」~子どもたちと遊ぶことが好きな先生たちが、実はしていること

「子どもには『そのままのキミでいいんだよ』というメッセージが与えられなければならない」といった言い方があります。特に不登校指導の現場で多用される言葉ですが、非常に分かりにくく厄介です。
 学校は教育を本旨とし、行動変容や成長を目的とするところですから、この言葉を当てはめようとするとなかなかうまくいきません。子どもが「そのままでいい」などと思っている教員は一人もいないからです。しかしもっと厄介なのは家庭です。

 学校(特に担任)と児童生徒のつき合いはせいぜいが2〜3年、それに対して親兄弟と本人のつき合いはほとんど永遠です。息子や娘が30歳になっても40歳になっても「このまま」ではとてもかなわないと普通の親なら思います。それを「子どもには『そのままのキミでいいんだよ』というメッセージが与えられなければならない」と言われても困るのです。

 しかしこの「そのままのキミでいいんだよ」、すっと以前に聞いたことがあるような気がしませんか。

 そうです。大学の児童心理学か何かの講座で学んだ「エリクソンの発達課題」です。その最初の部分で彼は「基本的信頼感」という概念を提唱しています。それは
「母親の適切な対応により、赤ん坊のさまざまな欲求や不快感(オムツがぬれた・お腹が空いた・熱っぽい・あっちへ行きたい・これがしたい)が解消されると、子どもは『どうやらこの世界は信頼できそうだぞ』と感じるようになる。
 そして母親や周辺の人々に根拠のない信頼(絶対的信頼感)を寄せ、そんなふうに十分に大切にされる自分もまた信頼に足るという絶対的信頼感をもつようになる。
 これが基本的信頼感で、乳幼児期にこれを獲得した子は問題が少ないが、これに失敗すると『この世界は自分の手には負えない』『信頼できない世界だ』となり不信感が根づく。こうなると自分も他者も信じられなくなり、生きていくことは非常に困難になる」
といった説明がなされていたかと思います。

 そう考えてみると、何らかの困難を抱える子どもたちの少なくとも一部は、そうした「基本的信頼感」の獲得に失敗した子、あるいは何かの理由によって失ったか極端に弱めてしまっている子、ということになります。ここに問題解決のヒントがあります。

『そのままのキミでいいんだよ』
 この言葉の対象となるのは乳幼児ではありません。そのままでいいはずがないことは自分が一番知っています。だとしたらこの言葉をそのまま使うのではなく、意を汲んで態度として接していけばいいだけのことです。
 要はこうです。
「世界はキミが思っているほど残酷でも、大変でもない。世界はキミを拒否しないし、キミがここにいたってちっとも迷惑でも嫌でもない。キミは学校にとっても友だちにとっても、私(先生)にとっても必要であり、キミが何であれ、世界はキミと繋がっていこうという気持ちを持っている。キミだって、自分自身が思っているより、ずっとうまくやれるはずだ」

 不登校の児童生徒がいると、放課後の体育館や教室で、やたらいつまでも遊んでいる先生がいます。その人たちがしていることは、こうしたメッセージを伝えることです。